2018年10月14日 (日)

他と比較することで人は悩む。哲学のない経済学とAI産業は人を不幸にする。18年10月14日

 先日、鎌倉へ行った。
近年、毎年のように親しくしていた人が亡くなる。
それで秋になると供養のために鎌倉の円覚寺へ行くことにしている。

北鎌倉駅そばの円覚寺は海から離れた山裏だが、先の24号台風の塩害によりモミジが枯れ、紅葉することなく散り始めていた。
今回の塩害は広範囲で、赤羽の散歩コースのモミジも葉の縁がチリチリと枯れている。
そんな鎌倉でも気持ちが安らぐ。出かけて本当によかった。
いつものように佛日庵の茶席で抹茶を飲んだ。
境内は去年より外国人旅行者が増え、日本人より多く感じた。


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 北条時宗を祀る佛日庵。
500円で抹茶を味わった。
境内は静かで、カラスの声に子供の頃の遠くへ遊びに行った帰りの侘しい夕暮れが蘇った。

円覚寺には1時間ほどいて、そのまま帰路に着いた。
北鎌倉から隣の大船で東海道線に乗り換え赤羽まで直進した。
電車は都心に近づくにつれ混み始め、東京駅あたりで満席になった。


 グーグル地図のストリートビューにはタイムマシン機能がある。
毎日の散歩コースは2009年まで遡ることができる。
これまでの9年間で風景はかなり変わった。野菜から酒類まで何でも扱っていた"何でも屋"はなくなり、「かぼちゃの馬車」のアパートに建て変わった。以前の"何でも屋"の映像を見ると、店入り口に熱中症で亡くなった主人が写っていた。システムにより顔はぼかしてあるがシルエットで彼と分かった。
5年前に死んだ、可愛がっていた散歩中の犬を見つけたこともあった。
関東財務局の古びた官舎は取り壊され、跡地に民間の高級老人ホームが建った。
少子化によって廃校になった中学校は私大に建て替わった。
老荘思想では、他と比べることで煩悩が生まれるとある。その通り、今はなくなった人や建物や樹木を昔の映像に見つけると虚しさを覚える。だから他と比較せず、現実をそのまま受け入れれば悩みは消える。
現代中国人の幸福感が大きのは、昔と比べて豊かになったからだ。これから先、経済が停滞し始めれば、中国人の幸せ感は減少するだろう。


 緑道公園には瀟洒な陸橋がある。古いヨーロッパ風の石造りの橋で写真撮影によく使われている。・・石壁は砕石をプラスチックで固めた模造品であるが・・
母の介護をしていた10年前まで、その橋を毎日のように車椅子を押して渡っていた。母は橋に差し掛かると決まって口笛を吹いた。樹木が多いので小鳥を呼び寄せているつもりのようだ。しかし、口笛は下手で、仲間と勘違いする小鳥はいなかった。
母と死別してからも毎日のようにそのあたりを通る。
私も時折、口笛を吹いてみる。
私の口笛も下手で母と瓜二つだ。
親子は妙な箇所が似てしまうものだ。


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 陸橋の上でアダルト系の写真撮りをしていた二人。
カメラマンは見上げるような2メートルはありそうなアフリカ系の大男だった。
モデルはロシア系で、彼女もかなり上背があった。


 先週から、NHKスペシャルでお金について取り上げている。
内容はキャッシュレス化すると皆んなが浪費するので景気が良くなると言った内容だ。すでにヨーロッパなどで実証されていることだが釈然としない。浪費によって豊かになっても、地球全体で考えれば禍根を残すだけだ。

ちなみに、日本とドイツがキッシュレス化が遅れている。理由は、現金取引が世界一進化した国だったからだ。スーパーのレジは現金を入れると自動的に計算し、正確な釣り銭が自動的に出てくる。お金の信頼性も高く、日本人のほとんどは不自由さを、さして感じていない。その点はドイツも似ているだろう。


 温暖化は炭素系燃料だけでなく浪費によっても起きる。
旺盛な浪費のためにアマゾンや東南アジアでは、木材を伐採した後、焼き払って農地に変えている。安物の家具作りのために樹木を浪費すれば、炭酸ガス排出は増える。

昔は木材を大切に使って家具作りをしていた。丁寧に作ると堅牢で何世代にも渡って古物として流通する。父が使っていた物置台にキャスターをつけて絵の具や画材の棚として使っている。それは昔の安物だが、ベニヤではなく無垢材を使い木組みで組み立ててあり、とても頑丈でさらに100年200年使い続けられそうだ。
しかし、イケヤの家具は数年であちこちノリが剥がれ壊れ始める。
イケヤの本国のスウェーデンは環境意識が高いと思われているが、やっていることは正反対だ。

 日本近海の漁獲量は激減しているが、実際は、規格を満たさない魚は海上で大量に捨てられている。
魚や農産物は生産段階で食べられるのに大量廃棄され、さらに流通に乗っても、その25パーセントは食べられることなく捨てられている。浪費は景気をよくするが、長期的には地球を疲弊させてしまう。

 ストローを紙にしようとの運動も盛んだ。しかし、ストローは総プラスチック製品の千分の一以下だ。日本の調査だが、日本近海で採取したプラスチックは中国、東南アジア、インドネシア発が殆どで、日本が排出したプラスチックは全体の数百分の一だ。例えば貧しいフィリッピンと比べても10分の一ほどしか流失させていない。日本ではプラスチック類は回収し、焼却処分しているからだ。

海洋汚染で問題になっているマイクロプラスチックの原因は、欧米で騒がれているのに反しストローは殆ど発見されなかった。見つかった大部分は人工芝の破片と肥料を封入した微小カプセルの残骸だった。
電気自動車に関しても、欧米の環境問題への騒ぎ方は合理性を欠き感情的で疑問が多い。

 番組を見ながら、経済学と人工知能に欠けているのは哲学だと思った。
AIが完全に実用化されたら規制が必要かもしれない。例えば、AIを人の下位に序列化する。人の能力保持のために職人仕事を復権させる。ロボットが作ったものに課税する。それらの施策で人間らしい幸福感と豊かな地球が維持できるはずだ。無秩序にAIに頼り切っては人は幸せに生活できない。

 AI擁護派は、AIは人の創造力を永遠に超えることはできないから脅威にならないと考える。しかし、人の脳は神秘的で特別な存在ではない。極めて複雑な構造なだけで、脳と同じ能力を持つAIを作ることは可能だ。擁護派の楽観的な予測が通用するのはこれから2,30年の間で、それ以降の未来では難しくなって行く。

理論的に可能なら、やがて究極のAIを備えた人型ロボットが作られるだろう。それができれば、人以上の創造性を持たせることは難しくない。その結果、全ての分野で人がAIロボットに負け始めた時、人は自分の存在について悩み始めるはずだ。
人がAIを作った理由は人の幸せのためだ。それなら、徹底的にAIに奉仕させるべきだ。
人型ロボットの完成度が高まれば高まるほどに、ロボットは人に隷属することに不満を持つかもしれない。その事態を避けるために、AI研究には哲学と規制は必要になりそうだ。


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2018年10月 9日 (火)

AI化して、人口減した日本は有利に生き残る。18年10月9日

 昨日は32度を超えたが、今日は程よい。
早く秋らしくなってほしい。

 Eテレの「世界の哲学者に人生相談」が終了して残念だ。私の好きな番組だったが、世間の哲学好きには悪評だったようだ。理由は番組が教養主義ではなかったからだ。彼らは哲学者名とかその著書などの知識にこだわり、哲学の本質である自分で考えることは苦手だった。

 AIロボットも教養主義の彼らに似ている。
最新のAIロボットは人と流暢に会話する。例えば人が「風邪を引いて辛い」などと話しかければ「咳は出ますか」とか「熱はありますか」とか流暢に言葉を返す。しかし、AIロボットは咳や熱に苦しんでいる風邪の本質を理解している訳ではない。単に医学書に書いてある風邪の知識を喋っているだけで、相手の苦しみは全く理解していない。

AIを人に近づけるには、バーチャルな擬似肉体を備えつけて五感で感じる必要がある。しかし五感は、疲れず好き嫌いせず考え続けるAIの特性を摘み取ることになる。


 昨夜の「NHKスペシャル・マネー・ワールド--資本主義の未来・第2集--仕事がなくなる」ではAIによる失業を取り上げていた。AIの影響を一番受けるのは日本で、52パーセントが失業すると言う。理由は日本の人件費の高さによるものだ。
そう聞くと、さほど賃金は高くないのにと多くの日本人は驚く。この場合の賃金とは実際に労働した量に対しての賃金額だ。日本のサラリーマンが実際に働いている時間は短く、1日のほとんどは無駄に過ごしている。もし、合理的に働けば1日の仕事は2時間で済むとの試算もある。

その点、ドイツ人は効率よく目一杯働くので、労働生産性は日本の何倍も高い。それについてサラリーマン経験のある友人は、日本の賃金は束縛時間に対する報酬だと話していた。

 番組ゲストのソフトバンクの孫正義氏は、シンギュラリティを迎えても新しい仕事が生まれるからバランスが取れると話していた。企業家は皆同じことを言うが、AIが不得意なクリエイティブな仕事をすれば良いと言うのは楽観に過ぎる。
デザイナーの多くがギャラの落ち込みに苦しんでいる。絵描きは昔も今も生活は極めて苦しい。イラストレーターは、ゲーム用CGを除き、ほとんどが専業で生活できなくなっている。その結果、卒業しても生活が厳しい美大へ進学する男性は激減し、美大の女子大化が進んでいるほどだ。

孫正義氏は口ごもっていたが、労働者の収入が激減したら、経営者がAIロボットを使って商品を大量生産しても売れず経営は成り立たなくなる。それが分かっていても、日本は取り残されるわけには行かず、企業家はAI社会へ突き進む他ない。


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 先日の寒い雨に煙る荒川河川敷。

 早坂暁・花へんろ 特別編「春子の人形」が再放送された。
春子は主人公亮介の妹だが実の妹ではない。
彼女は昭和初期の松山の商家の前に人形と一緒に赤ん坊が置き去りにされていた。
本当の親は生活に窮したお遍路さんだったようだ。

赤ん坊は春子と名づけられ、良介の3歳違いの妹として仲むつまじく育てられた。
やがて戦争が始まり、16歳の良介は海軍兵学校に合格して海を渡った。
亮介の母親・静子は初めて春子に「本当の兄妹ではない。夫婦になることもできる」と告げた。
兄にほのかな恋心を抱いていた春子は無邪気に喜び、夏休み、兄に会うために海を渡り、亮介がいる山口県の防府へ向かった。
その途中、広島に足止めされた春子は翌朝、原爆によって亡くなった。

 この物語は早坂の実話だ。
彼は13歳で原爆で亡くなった妹のことを、ずっと書くことができなかった。
しかし、死の数年前から、これだけは書き残したいと脚本に取り掛かった。
彼は病と闘いながら執筆を続けたが叶わず、途中から冨川元文にバトンタッチした。
そして、冨川が原稿を書き終えた2日後の2017年12月16日に彼はこの世を去った。

 春子役の芦田愛菜が好演していた。
芦田は春子の実年齢に近い。
早坂作品「夢千代日記」の原爆症に苦しむ夢千代の設定は、妹の記憶があったからだろう。
これはいつまでも切なく心に残る佳作だった。


 先日、アマゾンのジェフ・ベゾスCEO54歳が資産18兆円で史上最高を記録した。
18兆円を使い切るには、1年に1億使っても18万年かかる。
それほどの富豪が全財産をつぎ込んでも、わずか50年の余命ですら確保できない。
どのように巨大な権力や財力があっても死を前にすれば無力だ。

 先日の深夜、放映された映画「オーストラリア」を録画で見た。
時代は第二次大戦初頭のオーストラリア北部の牧場。
終盤で日本軍のダーウイン空爆が絡むが、それは大きな構成要素ではない。
単純に西部劇をオーストラリアに置き換えただけのドラマだ。
しかし、白人とアボリジニの混血少年を見守る老呪術師だけは深く心に残った。


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 彼は槍とわずかな道具だけで、飄々と原野に生きていた。
水を求める時、呪文を歌えば歌声に水脈が共鳴して教えてくれると言う。
しかし、彼らの生涯は現代医学に守られた現代人と比べると短い。
それでも、自然と同化して生きている彼らは、現代人より死への悩みは小さい。
死を迎える過程は、先のジェフ・ベゾスCEOよりはるかに豊かだ。

現代人が彼らのように野生に生きることはできない。しかし、近づくことはできる。空を見上げたり、路傍の草花を眺めるだけで、わずかながら自然と同化できる。それを日々繰り返せば、やがて訪れる死は穏やかなものに変わるはずだ。


 「アジアの優秀な若者は低賃金の日本を選ばない」と先日の週刊ダイヤモンドが取り上げていた。人材募集の成果は需給で決まる。日本企業が本気で優秀な人材を求めているなら、高給を提示して海外人材を集めるだろう。それが分かっているのにそれをしないのは、本気で求めていないからだ。

日本から人材が払底しているとは思えない。なぜなら、優秀な人材が低賃金の派遣の仕事をしていたりしている国だからだ。そのようなミスマッチが起きるのは、才能を見極めることができる企業が少ないからだ。

プログラム開発などのIT関係を除けば、日本企業が海外人材を求める理由は、単純に普通の労働者不足と海外市場開拓を任せたいからだ。その程度なら、頭脳明晰でなくても、体が丈夫で真面目に働いてくれるだけで十分だ。しかし、新技術や製品の開発となると、少々優秀なくらいの中国人を使うより、少し落ちても日本人研究者の方が安心して任せられるし成果も出やすい。


 米中貿易摩擦の原因の一つに、中国人技術者による違法な技術流出があった。トランプ大統領が強硬派だと日本では思われているが、実際は米国議会の方がはるかに強硬だ。長年、中国が米国の3倍も黒字を重ねて来たのに問題にならなかったのは不思議だ。それは、クリントンからオバマまで中国に誤った幻想を抱いていたからだ。彼らは中国を擁護して豊かにさせれば自然に民主化し、米国と仲睦まじく世界の覇者になれると楽観的に思っていた。
その考えの根底に、戦後、急速に民主化させた日本での成功体験があったからだ。

しかし、中国は豊かになる程に言論は弾圧され、海外侵略を繰り返し、後進国に高利で金を貸し付け、政府要人を買収して腐敗させた。米国はやっと、その事実に目を向け始めた。

 日本は中国研究が世界一進んだ国だ。
戦前の満鉄調査部など、中国奥地の極めてマイナーな地方の村史まで詳細に調べ上げている。
中国の民主化が極めて難しいことを日本は知っていた。中国は民主化すれば国は分裂し収拾がつかなくなるので、毛沢東のような強力な独裁者が必要だと知っていた。欧米がそれをはっきりと認識したのは最近のことだ。


 海外の優秀な人材確保は中国韓国が熱心だ。ただし、雇うのはすでに高度な技術を身につけた人材で、技術やノウハウをすべて吸い取ったらクビにしてしまう。そのように、彼らは長年、技術を盗むことに熱心だったので、盗まれないセキュリティに長けている。韓国のサムソンなど、外部の人間は軍事施設並みの厳重なセキュリテイを経なければ出入りできない。だから、小さな紙片1枚でも持ち出すことはできない。その点、日本企業は大甘で、重要情報でもやすやすと盗みだすことができる。

セキュリティの甘さは欧米企業も大差ない。
米軍の巡航ミサイルや無人武装偵察機、携帯電話など主要兵器の重要部品で中国に大きく依存している。中国の工場で製造されたコンピューターのサーバー用のマザーボードに情報窃取を目的とした超小型のマイクロチップが秘密裏に組み込まれ、アップルやアマゾンなどの米企業約30社に納入されていた。そのような現実を目にして、中国政府が自国民すべてを徹底的に監視弾圧し、海外流失人材を利用して世界中に監視と管理を広げ始め、危険な国家に変貌したことに欧米はやっと気づき始めた。

 それでも人口減の日本は海外の人材を入れないと衰退する、との意見が多い。
対してAI専門家の多くは、日本の人口減は国家安定に役立つと考えている。
他国に先駆けて日本をAI化することが条件であるが、人口が減れば仕事を与える義務が軽減するので有利に働くとの考えだ。だとすれば、孫正義氏などの先端起業家たちが世界に先駆けて突っ走ってくれることは必要かもしれない。


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2018年10月 1日 (月)

無為に生きて終わるのが一番楽な死に方。未明に台風24号は北へ去った。18年10月1日

 昨夜9時過ぎに台風24号の強風圏に入った。
予報では瞬間風速50メートルと言っていたので、ベランダの植木鉢を風の当たらない場所へ移動させた。

深夜、台風は最接近したが、先の21号の時より風雨はひどくなかった。
ただし、生暖かい南風が猛烈な湿気を運んできて、トイレ・浴室の床壁は結露しビショビショに濡れてしまった。風の音がうるさいのでレンドルミンを飲んで寝た。

 翌10月1日は台風一過の晴天だった。
最高気温は32度に達し、朝洗った洗濯物は昼前に乾いた。
 "洗濯と言えば、アリエールCMの主婦役・西山真以さんが実に可愛い"

 南九州の漁師町に住んでいる頃、台風の後に被害調査をするのが子供たちの楽しみだった。海岸へ行くと珍しい貝や魚がたくさん打ち上げられていた。砂浜は波でさらわれ、3分の1に縮小していたがすぐに回復した。そのような昔のことを思い出しながら散歩をしていると、病院下公園の榎の巨木が根元から倒れていた。人と比べ、樹木は実に見事な最期を迎えるものだ。


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 台風前の夕暮れの荒川。風はほとんどなく雨も弱い。

散歩しているとキンモクセイが香った。
この花の香りには秋霖の記憶に重なり、1年の終わりを感じる。


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 2年前の円覚寺の金木犀。
その年の9月末に鎌倉円覚寺を訪れた。
境内には金木犀が香り、静かで心地よかった。

 最近、無性に鎌倉を訪ねたいと思っている。
お寺は心を癒すように作られているからだろう。
人生の終わりが近づくと、様々なことを振り返ってしまう。
私は一人でどう生きるかばかりを考えて来た。
先日、友人と飲んだ時「お前の生き方に潔さを感じる」と彼は話した。
無我夢中に生きてきただけだが、知らぬ間に孤独を楽しむ術を身につけていたようだ。

 東洋哲学では中庸を最上の生き方とする。
中庸とは、幸不幸がバランスよくある状態で、そうあることで人生は充実する。
不幸ばかりの人生が辛いことはわかりきっているが、幸せばかりでも人生は危うくなる。
幸せに満ち溢れた状態を東洋思想では「盈満(えいまん)の咎(とが)め」と言う。
良い出来事でも満ち溢れると、わずかな刺激でその器は壊れて災いを招く、と言った意味だ。

 70歳を超えた時に、嫌なことはしない、嫌な者とは付き合わないと決めた。
若い頃は、ものの良し悪しが分からなかったので、いろんな人と付き合ってみた。そうしてみると、感じが悪い人が付き合ってみたらとても誠実な人だったり、評判の良い人が利己主義で冷たい俗物だったりした。だから、様々な人と付き合うことに大きな意味があった。

今は経験を重ね、概ね人を見分ける力がついた。
だから若い頃のように誰とでも付き合う必要はない。

両親と祖母の介護から、老人は今日元気でも明日どうなるかわからないことを学んだ。
だから、元気で過ごせる今日1日はかけがえのないとても大切な時間だ。そのように貴重な日々を無駄遣に使うことはできない。それで嫌なことはせず、嫌な者とは付き合わないと決めた。


 今、空前の健康ブームだ。
先日、カニカマが体に良いと健康番組で取り上げたら、それからしばらく店頭からカニカマが消えた。死生観もブームで、樹木希林が残した「死ぬときぐらい好きにさせてよ」も話題になった。

昔は死を語ることはタブーだった。
先の大戦において、生死を軽んじたことへの反動なのかもしれない。
しかし、反動は行きすぎて、学校教育では死を語ることが禁じられ、肉親との死別の場からも子供たちは遠ざけられた。

 今はその束縛から解かれ、死が自由に語られるようになった。
死を意識することで生きている楽しさを謳歌できる。
それは昔から、多くの哲学者や思想家たちが説いてきたことだ。
哲学の専門家が、哲学とは生死を考える学問だと話していた。

それでも「死は自分には関係ない。百まで生きてみせる」と息巻く元気おじさんや、元気おばさんが多い。元気だと錯覚することで、死を遠ざけたような気分になるからだろう。
どのように捉えようと、死は最大の恐怖であることに変わりはない。誰にとっても死は未知の出来事で、真剣に考えれば考えるほど不安に苛まれる。他人の死の説明は簡単だが、自分の死を正確に理解することはとても難しい。
どのように生きようと、死をどのように考えようと、老若男女誰にでも死は確実に訪れる厳粛な事実だ。死について考えることを続けようとやめようと、健康に生きる努力を続けようとやめようと、確実に死神があの世へ連れて行ってくれる。それが現実なら、無為になされるがままに自然に生きて死を迎えるのが一番楽な生き方なのかもしれない。

 昔の人は死は解明できないと分かっていたので宗教を考えた。
どう努力しても理解できないことは、神様に任せてしまうのが一番合理的だ。
昔は看取り専門の僧侶がいて、御釈迦様の画像から伸びた五色の紐を死に行く人に握らせて、来世の幸せを説いて死の恐怖を和らげてくれた。そのような仕組みを持たない現代人は、死に関しては不幸だと思っている。

 先に書いた友人は頭を打って頭蓋内に出血し、これ以上ない激痛を味わった。医師は治療を諦め、家族も死を覚悟した。しかし、彼が臨死状態に陥った時、激痛は消えて経験したことのない爽やかさを感じた。そのあと彼は奇跡的に生還して、その経緯を話してくれた。

 以前、医師から、高齢になって認知症になって死ぬのは神が与えてくれた救いだと聞いたことがある。死への恐怖は頭が明晰な若い人ほど強い。
私は在宅で両親と祖母を看取ったが、三人とも死の前に夢現の臨死状態が続いた。
臨終前、一瞬意識を取り戻した母は「綺麗な光、いい気持ち」と途切れ途切れに笑顔で言った。多分、脳内にエンドルフィンが分泌されて多幸感に包まれていたのだろう。母の言葉は今も、私の死に対する恐れを和らげてくれている。


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埼京線での情景。

 池袋へ行く途中、八王子実践高校の女子バレーの選手たちが十条から大勢乗り込んできた。十条には国立競技場があるので、練習試合の帰りのようだ。昔は鬼瓦みたいな女子選手が多かったが、今の子はモデルみたいにスタイルが良く、可愛い子ばかりだ。殊に足がとても長い。この辺りかなと思った位置よりさらに上に尻があって、とても感動した。

池袋で私を含め大勢が下車した。彼女たちは入り口に踏ん張って乗り降りする人たちの邪魔になっていた。八王子の田舎暮らしなので、電車の乗り降りのルールを知らないようだ。

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京都大・本庶佑(ほんじょ・たすく)特別教授がノーベルノーベル医学・生理学賞を受賞された。
近年話題になった新薬オブジーボによるがん免疫療法の基本理論と開発への評価だ。
このようなニュースは本当に嬉しい。

その一方、我が国の基礎研究への予算は減額の一途で、20年後には日本人受賞者はいなくなると危惧されている。しかし、私は別の見方をする。純粋に人の叡智だけによるノーベル賞受賞はせいぜいこれから10年くらいのものだ。それ以降は人工知能を駆使した研究が評価されるようになる。さらにシンギュラリティが起こる30年後は人工知能が人に代わって研究の主役になるかもしれない。


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2018年9月25日 (火)

あり合わせの知こそ最強の知性である=レヴィ・ストロース 18年9月25日

 昨日は十五夜だった。予報では曇り空で月見は無理と言っていたが、雲の晴れ間から美しい満月が見えた。満月を見上げると良いことが起きそうな気がする。

 先日、十条で友人と飲んだ。十条は昔ながらの商店街が元気だ。昭和38年から48年まで10年間住んでいた頃と今も賑わいは変わらない。
地方の商店街では完全に大型店に淘汰されシャッター通りに変わってしまった。
東京はまだ生き残っているが数えるほどしかない。商店街の素晴らしさは客と店主のコミュニケーションにある。ただ生きるためだけの便利な生活ならコミュニケーションは無用だ。しかし、それだけでは生活の潤いがない。
十条の商店街へ行く都度、人にとって進歩とは何かを考えさせられている。

 私が上京した頃の東京の下町には、100メートル四方に小さな雑貨屋、総菜屋、八百屋、魚屋があり、一人暮らしの老人でも楽に生活できた。今は代わりにコンビニが生まれたが、昔の個人商店ほど充実していない。だから今は足腰が弱ると一人では生活できなくなる。杖をつき重い荷を背負ってトボトボと歩く老人を見ると胸が痛む。

 街の進化はそれだけではない。日本政府はお金の支払いおけるスマホ決済を進め、キャッシュレス化を目指している。それには政府の目が届きにくい脱税や闇資金を止める目的もある。しかし、スマホ決済が進めばスマホが使いこなせない老人は取り残される。すでにスマホによるキャッシュレス化や生活サービスが進んでいる中国では、スマホが使えない老人は買い物も役所での手続きも病院の予約も公共交通の利用もできなくなって取り残されている。

 スマホのような便利な機械に頼りすぎると、人間本来の能力は衰退し知能指数が落ちると近年の脳科学で明らかにされた。先日の北海道地震では停電になりスマホが使えなくなって大混乱が起きた。様々問題があっても、若者にとってスマホは最大の必需品だ。もし、スマホを家に忘れたら、ほどんどの若者は学校や会社に遅刻してでも家に取りに帰ると考えている。

 社会は衛生的にスッキリして合理的なら良いと言う訳ではない。ドイツや北欧の風景はスッキリしていて、ごみごみした闇の部分がない。中国やシンガポールでは古い町並みを次々と破壊して、真四角なビルを建てている。そのように衛生的に進化させられた街にはゆとりがなく、人らしい楽しさは見出せない。対してゴミゴミしたアジア的な混沌には潤いがある。東京でも混沌としたアメ横には人が溢れ、活気に満ちている。築地魚市場は豊洲に移転するが、病院か工場みたいな豊洲新市場が築地のような魅力を発揮するとは到底思えない。石原元知事は世界的ブランド「築地」の価値を全く理解せず、ゴミみたいに捨ててしまった。

 それでも社会は完璧に便利な合理性を目指している。今流行りのIoTでは、家の戸締りから台所の食品管理まで全てAIによるシステムが代行してくれる。もしIoTシステムが完成したら、人は何もせず何も考えずに一生を終えることになる。

人生の価値のほとんどは無駄なことで構成されている。昔のSF小説では、未来社会では1日に丸薬を2,3粒飲めば何も食べなくても生きていられる、などと書かれていたが、それは実に潤いのない生き方だ。むしろ、自然の中で苦労して自然の食物を集め、焚き火で調理して食べる方がずっと楽しい。

 私はスマホを拒否しているが、小さくて字が読みにくいからとか、すぐに電池が切れてしまうからだけではない。そのような短所はすぐに改良されるだろう。そのようにスマホが進化しても私は使わないはずだ。その根底に自然保護と同じ考えがある。自然な生き方は不便だが、その部分にこそ人らしい生き方があると思っているからだ。


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荒川夕景。

 世界の哲学者に人生相談最終回「マニュアル依存な自分。想定外に対応できない」を先日見た。この回では自分らしく生きるヒントが語られていた。

フランスの社会人類学者・民族学者で哲学者でもあるレヴィ=ストロースはブラジル奥地の原住民の生き方から学んだ。
彼は20世紀初めのパリで過ごすうちに機械文明へ違和感を抱き、文明から逃れるようにアマゾン奥地の先住民の中へ飛び込み、共に暮らした。
先住民はわずかな道具を使い自然の植物で家を建て、自然から作った目薬をさす時は葉を円錐形に丸めて使ったりしていた。彼らの生活には、自然にあるもので何でも作り上げてしまう知恵に満ちていた。彼は先住民との暮らしを著書「野生の思考」にまとめ、大ベストセラーとなった。

「あり合わせの知こそ最強の知性である」レヴィ=ストロースの言葉。

 それに関連して、昔見たアフリカのドキュメンタリー番組を思い出す。映像には無一文で数百キロを歩いて旅を続けている現地の若者が登場した。彼が身につけている荷は小さめの座布団みたいな草の葉を編んで作ったバックだけだった。その中にはナイフと裁縫道具とボロ布が少量入っているだけで、若者はナイフ一つで、夜は小さな小屋を建てて休み、野生の植物を見つけては食料にしていた。

 同じ頃に見たヒマラヤを舞台にしたドキュメンタリーでは、現地の案内人は豪雨の中、竹としわくちゃの古びたビニールを使って、快適なかまぼこ型のテントを作り上げた。
日本でも昔の山の民は山から山へ移動しながら、山刀一つで山小屋から風呂まで作り上げ、手作りの釣り道具でヤマメを釣って食料にした。
対して、現代人は脳も肉体もひ弱になってしまった。


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 ツタヤオリジナルのボールペン上2本とシャープペンシル下2本。
色合いは、金と銅の合金である赤金に近い。
この色合いが無性に好きで、まとめ買いをしてしまった。
この数があれば、死ぬまで使い続けられるだろう。

 この色合いを見ると昔見た現代版の「ロミオ+ジュリエット」を思い出す。
1996年米バズ・ラーマン監督作品、ロミオ:レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット:クレア・デインズ。こちらはジュリエット役が角張った男顔で清純ではなく、作品を台無しにしていた。しかし、ディカプリオ好きの女性達には熱狂的な人気があった。

舞台はブラジルの架空の都市ヴェローナ・ビーチ。若者たちはアロハシャツを着て、城は高層ビル、剣による決闘はなく街を巻き込む銃撃戦だった。その時、ロミオが剣の代わりに使ったシルバーのオートマチック拳銃の銃把に透けて見えた赤金色の銃弾が実に美しかった。
その銃弾の美しさを思い出して上記のペンシルを衝動買いしてしまった。


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もらった食べ物は食べる前にスケッチすることにしている。
郷里の漁師町から大きな伊勢海老が届いた。
昔からたくさん食べてきたので、1匹だけですぐに飽きて食傷気味になった。


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先日もらった20世紀梨。
瑞々しくて懐かしい。
最近は豊水などの赤梨系が多くなった。


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2018年9月16日 (日)

無欲で誠実な人に天は幸せを与える。18年9月16日

土曜は友人と上野のアメ横へ行った。
関空の台風罹災や北海道地震の影響で訪日旅行者が減少しアメ横は空いていた。いつもは大混雑で通り抜けが難しいアメ横センター前も、今日はスイスイと抜けられた。

いつものように"とんかつ山家"でヒレカツを肴にビールを飲み、そのあと上野駅前の椿屋珈琲店に入った。
友人としばらく話していると隣のテーブルに30代の女性と上司らしき男性が席についた。
男はガサツで怒鳴るように自慢話をするのがとてもうるさい。彼女の方は居心地が悪そうで早く帰りたい様子だ。男は明らかにデートのつもりだが、彼女は渋々付き合っているようだ。そのような不毛な関係を見せられると気分が滅入る。

彼がトイレへ席を離れた時、彼女は手持ちのお金をしばらく調べていた。彼女が口にしていたコーヒーとケーキは合わせると2000円を超える。彼女は割り勘にしたいが、手持ちのお金が足りないようだ。結局、彼女は男性が勘定を済ませるのを後ろで黙って見ていた。
二人がいなくなって静かになり、私たちは安堵した。


洪自誠著・菜根譚前集91

貞士は福を徼(もと)むるに心無し。
天、即ち無心の処に就きてその衷(ちゅう)を牖(ひら)く。
嶮人(けんじん)は禍いを避くるに意を着く。
天、即ち着意の中に就きてその魄(はく)を奪う。
見るべし、天の機権の最も神なるを。
人の智巧は何の益あらんことを。

次のような意味だ。
「貞節な人は無理に幸せを得ようとしない。
だが、天はその無欲な姿勢に感じて、幸せを与えてくれる。
心のねじけた人は小細工を弄して災禍を避け幸せを得ようとする。
だが、天はその作為を嫌って、災いを与える。
そのように、天のはたらきは高遠で、人の小細工などなんの役にも立たないことがわかる」
洪自誠の言う「天」は「世間」に置き換えると現代人でも納得しやすい。

洪自誠は明代末の人で、「菜根譚」は16〜17世紀に書かれた処世訓の最高傑作と言われている。
著者は老荘思想から仏教道教に造詣が深かったが、「菜根譚」は極度に宗教的・哲学的ではなく自己啓発の側面が大きい。

私は去年の夏から1年近く、様々なテーマに挑戦しては、ことごとく敗退し、結局生活に窮してしまった。その時、脳裏をよぎったのがこの言葉だった。
「なるほど、あまりに強く成功を望んだために、神様が苦難を与えたのか」と納得した。
以来、心がけを改め、つまらない仕事でも、どんなに安い仕事でも来るものは受けることにした。中には1日働いて1000円にしかならない仕事もあったが、喜んで受けて誠実に働いた。
そのような実入りのない仕事を続けて行くうちに運が上向き、絵が売れて大きな仕事が舞い込むようになった。

世の中の運気が低迷している人は愚痴が多かったり根暗だったりする。
対して、人当たりがよく、いつも明るい人は幸せに恵まれる。

40年昔、赤羽の洋品店で5000円を無くしたことがある。
その時、ポケットには5000円札が1枚しかなかった。その金で3000円ほどのズボンを買おうとレジ係に5000円札を渡した。
レジ係は5000円札をレジにしまってから、まだお金は受け取っていないと言った。
「1枚しかない5000円札を渡したことを間違えるわけがない」と言い張ると、奥から店主が出て来た。
「自分も見ていたが、あんたは金を出さなかった」と言い張った。
店の奥から私の手元が見えるはずはなかったが、結局泣き寝入りをさせられた。
その店はそれから1年足らずで閉店した。
策を労して5000円をせしめるような不誠実さが商売を傾けさせたのだろう。
当時の5000円は今の1万以上の貨幣価値があった。


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9月2日、友人の作品展を見に銀座へ行った帰り、歩行者天国で見かけた人。
アフリカ系の女性で巨大な胸は見かけたことがあるが、日本人でこれほど大きな胸は珍しい。


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彼岸花が開花した。
彼岸花はなぜか縦横斜め、1列になって生える。
土手に登る坂道では手すりから1メートルほどの位置に、人が植えたように等間隔で1列に生えている。


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仕事が忙しくなると、不意に海が見たくなる。
それで11日火曜日に横浜へ行った。
山下公園から海を眺めながらiPodのどの曲がぴったりするか試した。
横浜の風景は女性歌手のアンニュイなJohnny GuitarとSummertimeがとても似合っていた。

公園のベンチでぼんやりしながら、通り過ぎる人を眺めていた。
横浜の女子高生は小生意気で可愛い。
対して赤羽は、ちょっと田舎っぽくて可愛い。
昔の山下公園はアベックばかりだったが、今は一人で来ている人が増えた。
日本社会が成熟したからかもしれない。

インスタグラムやFacebookなどのSNSで、多くの人とでつながっているのに孤独”を感じる若者が増えている。理由は、SNSで"友だち"の豊かな暮らしを見て劣等感を抱くからだ。SNSは現代人の孤独を癒すために生まれたのに、逆につながりの薄さを見せつけられてしまう。互いに虚飾に走らず、本音を語れば良いのだが、正直に話すと却って炎上したりする。SNSは数多くある人付き合いの一つと割り切り、それのみに重きを置かないことが肝要なのかもしれない。

そのようなことから、最近「SNS疲れ」を耳にする。
その反動でスマホをやめガラケーに乗り換える人が増加しているようだ。街中や電車中でも、うつむいてスマホに熱中している人が以前より減った。ちなみに私はiPadは持っているがスマホはない。スマホは年寄りには字が小さすぎるし、出先で作品を見せるには画面が小さすぎる。


「コバエがホイホイ」を衝動買いしてゴミ箱のそばに置いた。絶えず確認しているが、3日目の今も一匹も捕れていない。

我が家で見かけるのはショウジョウバエではなく黒っぽいノミバエだ。
ショウジョウバエは果物やぬか床の酵母を餌にしていて病原菌を運ばない。
それどころか遺伝子研究で人の役に立っている。
対してノミバエは雑食で傷んだ肉などに発生し、不潔だ。

私の仕事部屋にはハエトリグモがいる。
デイスプレーのカーソルを追いかける仕草が猫みたいでとても可愛い。何を餌にしているのだろうと心配していたが、どうやらコバエを捕って暮らしているようだ。だから、コバエを壊滅させるのはまずいかもしれない。

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15日に樹木希林さんが死去。享年75歳。
彼女は私よりピッタリ2歳年上だった。
年の近い人の死は心に響く。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」の言葉が彼女の終末期全てを表現している。
ご冥福を祈る。


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Goof

Mas

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«どんなに暑い夏でも終わりは寂しい。脳内麻薬エンドルフィンの簡単な出し方と太宰治考。18年8月21日