2018年4月18日 (水)

貧富に関係なく、現代人は様々な孤独と戦っていた。18年4月18日

文書ソフトJedit X をJedit Ω proにバージョンアップさせた。今までのバージョンは文字入力すると、通常は平仮名表記の言葉まで不自然に漢字変換する癖があり平仮名へ戻すのが大変だった。それはバージョンアップでやや修正された。

バージョンアップすると旧文書ファイルを新ソフト対応に変更する必要がある。その作業をしながら、ついつい昔の日記を読んでしまった。それは大掃除の時に畳の下に敷いた古新聞に読み耽る心境と似ている。その中で13年前の2005年6月19日の日記が目にとまった。

その頃、母は肝臓ガン手術が成功して体調は安定していた。母を自然公園へリハビリに連れて行った帰り、桐が丘団地を抜けることがあった。その道で車椅子を押す親子によく出会った。車椅子に乗っているのは交通事故で重度の障害を負った息子だった。大柄な息子を小柄な70歳ほどの母親が押すのは大変そうだったが、暑い日も休まず施設へ連れて行っていると彼女は話していた。

三十代後半の息子の頭には半分を縦断する大きな手術跡があった。それは十年前の交通事故の跡で、生死を彷徨いなが奇跡的に助かった。彼女は今も、事故の知らせがあった午後3時になると胸が苦し苦なると話していた。彼女の人生はその一瞬から激変し、夢見ていた息子夫婦と孫達に囲まれた穏やかな老後を完全に失ってしまった。

それから数年後、親子とはまったく出会わなくなった。元気なら母親は80代中ば、息子は50代前半だ。13年の年月は一瞬で過ぎてしまう。過ぎてしまった年月に隔たりを感じないのは、人は時間の幅を記憶できないからだ。時間の幅は記憶を時系列に遡ることでしか認識できない。そして今現在もまた一瞬も休むことなく過去に取り込まれ、人は今現在を認識することができない。今現在は理論的に存在するだけで、人はそれもまた認識できない。

現代宇宙論の一つに、宇宙はシャボン玉の表面のような二次元で、我々が感じる宇宙はシャボン玉中のような空間に二次元の情報が映し出された幻覚である、との考えがある。人が認識している現実も同じように、脳の記憶域に収まった情報をホログラムのように脳内に立体化して認識しているにすぎない。


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雨上がりの河川敷ゴルフ場。

世の中には、豊かな人、貧しい人、才能がある人、権力者、不幸な人と様々いる。
それらの違いは、過去の積み重ねによって生まれる。
未来は過去からの因果関係で形作られることは間違いないが、それは不確実なものだ。
それを痛烈に感じたのは、阪神大震災と三陸大津波の時だった。
地震が起きる寸前まで平和な日常が流れていたのに、被災後に多くの人が命や大切な人を失って不幸のどん底へ落とされてしまった。


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東京北医療センター下の公園。

荘子の名言に「不測に立ちて無有に遊ぶ」がある。
意味は・・・明日のことは考えたり計画したりせず、今起きていることに対して受け身に素直に従えば、生き生きとした人生を送ることができる。未来を予測したり、その結果を他と比べてはならない。悪い結果を否定してしまうのは、他と比較して劣っていると思うからだ。未来も同じで、他と比較することで、結果や運命は良くなったり悪くなったり不安定に揺れ動く。

命は不安定でいつ失うか分からないし、最終的に誰もが失うものだ。どのような権力者でも、惨めな貧乏人と同じように最後に死が訪れる。不幸な人は死を受け入れる能力が優れていて、権力者たちより穏やかに受け入れてしまう。ガン宣告を受けてうろたえ「いくら金がかかっても良いから治して欲しい」と医師に虚しく懇願するのは権力者たちだ。今、世界で一番命が不安定で、不安に苛まれている権力者は北の将軍様だろう。

 人生は死への前奏曲である リスト


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ベンチから顔を出しているハルジオン。
人気のあるベンチだが、いつもハルジオンは無傷でいる。
みんなが気をつけて腰掛けてくれるからだろう。


息子をリハビリに連れて行く母親に出会った頃、毎日のように自然公園に心を病んだ40代ほどの息子の手を引いて散歩に来る70代ほどの老夫婦がいた。
老親はいずれ障害を持つ息子を残して、先に逝かねばならない。13年を経て、あの老夫婦のどちらかが逝ってしまったかもしれない。しかし、障害者を大切にする体制はできていて、健常者よりケアをしっかり受けて穏やかな生活を送ることができる。孤独による自殺のほとんどは、ケアシステムの外に放置された健常者たちが占めている。


孤独に関して、先週の「世界の哲学者に人生相談・孤独を抜け出るには」は面白かった。
ゲストの石井竜也氏は借金地獄に陥った時の孤独体験を涙ながらに語っていた。
番組中で哲学者が考えた「孤独から抜け出す秘けつ」はユニークで説得力があった。
リトアニア、カウナス出身のユダヤ人、レヴィナスは親兄弟をナチスに虐殺される壮絶な体験をした。その結果、彼は極度の孤独に晒され、人の顔がのっぺらぼうに感じられることに苦しんだ。
彼はその解決方法を必死に考え、ある簡単な方法を思いついた。それは知らない人の顔を60秒眺めるだけの方法だ。ただそれだけで知らない相手の人間性が見え、孤独感から解放される、というものだった。

この「世界の哲学者に人生相談」は哲学の面白さを伝える好番組だ。
司会の高田純次は、いつものいい加減さに崩れてしまいそうで崩れない。
ゲストの芸人や歌手やタレントたちが熱くなって熱弁を振るうのも新鮮だ。

その翌日に偶然見た、「ドキュランドへようこそ!クラシック界の貴公子シエム」も良かった。
番組の出だしに、イタリアあたりの観光地の町にふらりと半ズボンのラフな青年が現れる。青年はポルシェの販売店に入ってすぐに真っ赤なポルシェを買い、海沿いの険しい道へドライブにでる。

それがヴァイオリンの才能に恵まれ、貴公子のような容姿で世界の女性立ちをとりこにしているシエムだった。資産家の家庭に生まれ、華麗な学歴。すべてを手にしているように見えるシエムは「実は孤独とたたかっている」と告白していた。信じられないが、彼は6年前に恋人と別れてから一人のままだ。ここにもまた孤独な者がいた。

番組背景のヨーロッパの文化は重厚だった。
対して上海公演では文化のかけらも感じなかった。
演奏会の前振りで、バニーちゃん姿の黒づくめの女たちと、シルクハットの黒服の男たちが下手なダンスをしていたのが時代遅れのセンスで、見ていて恥ずかしくなった。
シエムの歓迎パーティーの出席者たちが黒ずくめなのも、服装を自由にさせたら趣味の悪さが露呈するので主催者が黒服指定にしたのだろう。

最近、中華文化を捨ててしまったことを嘆く中国人が多い。
それはこのような情景を言っているのだろう。
中国人が伝統文化を維持していると褒める日本なら、華やかな着物姿や、自由奔放なドレス姿、会場のいたるところに華麗な生け花が飾ってあったりして、ヨーロッパとは異質の個性を演出したはずだ。シエム自身も上海はつまらなかったようで、街を出歩くことなく、ホテルにこもりっきりで、終始、不機嫌だった。


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昨日の寒い雨の中。
東京北医療センターへの見舞い帰りらしい二家族。

ヒーローになりきっている7,8歳の男の子たち。
花模様の傘で楽しそうに相合傘をしている女の子二人。
どれも、とても可愛かった。


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2018年4月 7日 (土)

経済発展を歪に疾走する中国は若者にはチャンスがあるが、老人は極めて厳しい生活を強いられる。18年4月7日

民放のバラエティ番組はどれも疲れる。
空虚な歓声ばかりが耳に刺さる。
だから、静かなEテレを点けて仕事をしている。
昨夜は又吉直樹のヘウレーカの「なぜ植物はスキマに生えるのか」を仕事をしながら聞いていた。
隙間植物は昔から好きだ。
殊に、路傍のコンクリートの隙間で数種の植物が家族のように身を寄せ合っている姿が幸せそうで好きだ。植物学者によると、コンクリートのひび割れは、水分が十分にあり、競争相手もなくて、植物にとって居心地の良い環境らしい。


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昔撮った路傍のスミレ。


昨夜は又吉直樹のヘウレーカには中学生のオオバコ研究家が登場した。
彼は小学生の頃に、オオバコの研究で表彰された。彼の研究によると、オオバコは歩道の真ん中に好んで生える。なぜなら、オオバコは踏み付けられることに強靭に耐え、他の植物が全滅しても生き残るかららしい。
彼は小学生の頃にそれに気づいて、漬物重しで腕が痛くなるほど様々な植物を踏みつける実験をし、オオバコだけが生き残ることを証明した。彼のような地道に好きなことに熱中する子供を見ると日本の未来に希望が持てる。

ソメイヨシノが散ると街が暗くなったように感じる。
「花明かり」との言葉があるが、その通りだ。
満開の桜並木道は街灯を反射し、歩道を明るく照らしていた。
今年はソメイヨシノの花期に雨が一度も降らなかった。
おかげて、散った花弁はすぐに乾燥し、粉になって風に飛ばされ、いつものピンク色の花弁に覆われた歩道が見られなかった。


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病院下の公園。
八重桜が満開だが、花見客は皆無だ。


中国が経済発達するにつれ、中国礼賛をあちこちのネット記事で目にする。
中国から日本に移住し、永住権をとった知的エリート達は、それらを複雑な視線で眺めている。
収入だけを見たら、中国へ戻る方が稼げる。しかし、子育てと老後を考えると日本の方が豊かだ。子供時代は激烈な競争を強いられる中国より日本の方がのんびりしていて良い。老後は国民健康保険制度が充実している日本の方が安心して老いることができる。経済が全てではない。それぞれの視点の位置によって環境は大きく変わる。

日本の医療は極めて恵まれている。医療の質では世界トップクラスと言っていい。
欧米では家庭医制度が一般的で、全ての医療は地域の家庭医を通じて行われる。もし、住んでいる地域の指定医が優秀なら恵まれた医療を受けられるが、無能だと悲劇になる。その点、日本では自由に医師を選ぶことができる。これは患者にとって素晴らしい制度だ。

先日、中国の医療破綻したエリートビジネスマンの記事を読んだ。
今年1月、彼の義理の父が風邪を患い、病院を受診したが病状が一向に改善しないまま病院を転々とした。入院当初、ICUに入っている間の入院費と治療費は1日に2万元(約32万円)。もしそのまま長期入院となれば、彼の資産はやがて払底する。
彼は治療費以外に輸血用血液を闇で高額なお金を支払って入手した。入院や薬の円滑な調達のためのコネ、お世話になった人々への「謝礼」など治療費以外の出費も大きかった。もし、日本なら、それらの予定外の出費への心配は全くない。
彼は結局、散財したあげく、義父の命と多くの資産を失って終わった。彼は、中国ではかなり恵まれた存在だった。高学歴で金融関係の仕事をし、事業でも成功して一財産を築いてきた。マイホームやマイカーを持ち、金融資産があり、一般の人より裕福な生活をしている典型的なエリートだった。高額治療費の支払い能力があり、良い病院と良い医師の情報が得られる環境にいて、良質の病院に入院できるコネがあり、献血してくれる友人たちに多数の親戚たち、セカンドオピニオンとして相談に乗ってくれる医師の友人もいた。それなのに、わずかな期間で義父の治療費のために追い詰められた。

中国の医療事情は極めて劣悪だ。
治療費を前払いしないと受診できない。
医師は横柄で裕福でない患者は人間扱いされない。
その結果、患者に恨まれて襲撃される医療従事者が後を絶たない。
襲撃に備え、ヘルメットをかぶって出勤する医師の話があるほどに状況は深刻だ。
そのような中国では日本と逆に、医師は自分の子供を医師にしたがらない。

最近、中国礼賛をする中国で働いている日本人が多いが、彼らは中国で病気になったら日本へ一直線に飛んで帰る。まして老後を中国で過ごすなど、正気の沙汰ではない。中国で稼ぐだけ稼いたら、老後は日本で送るつもりでいる。

先日の中国ニュースで、四川料理だったと思うが、ある料理店の激辛料理にケシの実の殻を粉末にしたものを加え売り上げを伸ばしていた。それが分かったのは、料理を食べた客が警察の取り調べを受けた時、血液から麻薬成分が検出されてそのことが判明した。ケシの実の殻を入れた理由は、料理が美味しく感じられて病みつきになり、売り上げを伸ばせるからだ。もし、それが日本人旅行者だったら、確実に厳罰に処される。

最近は話題にもならないが、現在、アジア各国で、若い日本人旅行者が麻薬密売の疑いをかけられて死刑判決を受けた者が40人ほどいる。そのほとんどは、親しくなった現地人から他国へ密かに麻薬が隠された土産を託され、それが見つかっての死刑判決だ。

中国は犯罪が減っている。理由はいたるところに配置された1億台以上の監視カメラのおかげだ。監視カメラは人工知能で管理され、もし手配されると10分ほどで見つかってしまう。
それについて、英国の顔認識の研究家が面白い実験をしていた。他人の顔の写真を顔にかざすと、AIは自分を他人と認識する。それで、瞬きをしない顔写真は偽物と判断するように研究者は進化させた。しかし、3Dプリンターで作った他人のお面を被り、瞬きできるようにしたら、またしても他人と勘違いした。
現代の中国人ならその手法で他人になりすまし、犯罪を犯しているのかもしれない。

現代中国では、ゴミのポイ捨てから交通違反、貸し自転車の放置、すべて国家記録に残され、負の遺産として就職から進学まで全てで不利に働く。だから、日本に永住権を持つエリート中国人は、妻子を日本に残して母国で稼げるだけ稼いだら、のんびりできる日本へ戻って来ることになる。


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散歩友達。

夢さめて ミントの空へ 天使去る
行く人の 声静かなり 花の道

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2018年3月28日 (水)

春爛漫、連日桜三昧。孤島で暮らす老いた母娘に孤独の概念を覆させられた。18年3月28日

あっという間に桜は満開となった。
今年は都内の桜の名所めぐりはやめた。
桜は北区の区の花で、いたるところ桜だらけだ。
花見はのんびり歩いて行ける範囲がいい。

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新河岸川沿の旧居の桜。
ここへ引っ越して来た頃は、幹の直径は15センチほどだったが、今は立派な成木に育った。写真を撮った場所は昔からの散歩コースだったので、この桜並木は植えられてすぐの幼木の頃から知っている。

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東京北医療センター庭の桜。
この桜も植えられてすぐの幼木の頃から知っている。

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上の桜の下で記念撮影。
100円ショップで買った小さなタコ足みたいな三脚を初めて使ってみた。
時折、風が吹くと桜がサーっと散る。
目の前のベンチ下には花弁がたくさん散っているが、ベンチ上には1枚もない。観察していると、ベンチ木材の2センチほどの隙間を風が吹き抜け、花弁も風とともに吸い込まれていた。花弁が吸い込まれる様子が面白くて、いつまでも眺めていた。

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枯れ始めた桜の古木を伐採した後に、今月半ばに植えられた幼木が開花した。
白く清楚で、初々しい。

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病院下の花見客。
この芝生に炬燵を持ち込み、気のあった友人たちと朝まで過ごしたら楽しいだろう。

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桜並木の弁当屋。
今年は夕暮れの桜の美しさに毎日感動している。
こちらから見て弁当屋の右隣は民間の老人施設で月に20万から40万の入居費がかかる。去年の9月に開業したが、まだ3割も埋まっていない。見上げると2階のロビーで年寄りが数人、会話を交わすでもなく、ぼんやりと花見をしていた。とても裕福な老人たちなのに寂しげだ。比べると母の晩年は貧乏なのに幸せだった。


最近、ワイドショーの音声が体に突き刺さるようにうるさくて、テレビを止めておく時間が長くなった。
昔、彫金職人をしていた頃は、仕事中はラジオだった。ラジオの音声はのんびりしていた。音楽の合間に、アナウンサーが地方の話題や、季節の風物詩を淡々と語っていた。最近、昭和が無性に懐かしい。今より活気があったのにも関わらず、せわしなさはなかった。そのように思うのは若かったからかもしれない。

4年前まで住んでいた公団住宅は環八に面していて常に車の轟音が聞こえたが、今の公営住宅は静かだ。広さは少し広くなったのに家賃は10万安い。しかも家賃は収入にスライドする。だから収入が0になれば家賃もタダ同然となる。不安定な生活を強いられている絵描きにはこれほどありがたいことはない。

今の民間賃貸では家賃が1日遅れても、保証会社からヤクザまがいの取り立てを受ける。そんな賃貸でも、60歳を過ぎると門前払いで、借りることさえできない。それほどに恵まれているのに、公営住宅へ入居当時は慣れず、いつか収入を増やして元の生活に戻りたいと思っていた。

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緑道公園のボケの花。
日本人が珍重する珊瑚のボケ色はこの花が語源だ。

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カリンの花。
秋になれば完熟した沢山の実が下の芝生に落ちる。
それでカリンジャムを作るととても美味い。


この1年近く、本業から離れて、IT関係の新提案に熱中して来た。
企業コンペに応募して専門家たちと競争して勝ち残るが、最終で負けるパターンを繰り返している。さすがに最近は負け癖に虚しさを感じ始めた。だから、時たま金になる実業をすると僅かな収入でも仕事をした満足感がある。
思い返すと失敗ばかりの人生だ。
しかし、後悔したら本物の失敗になるので、後悔をしたことはない。


最近、心にズシンと残った番組があった。
チャンネルを適当に変えていると、偶然、一軒家を尋ねる番組にぶつかった。
いきなりなので正確ではないが、場所は五島列島の離れ島だ。
そこに99歳の母親と70歳の娘だけが住んでいた。

他の住人は野良猫だけで、町営定期船が週に1往復だけ運行している。
今は一軒家だけだが、以前は200戸の家族が住み、商店も3軒あって、半農半漁の豊かな島だった。祭りは夜店が出るほど賑わったと言う。
おばあさんの夫は60代で亡くなっている。彼女が23歳で島に嫁に来てから、夫から毎日飽きるほど伊勢海老を食べさせられたと、楽しそうに話していた。

こたつで寝ていた99歳のおばあさんは見た目は老いていた。
しかし、起き上がって受け答えをすると、別人のようにしっかりしていた。
スタッフが「寂しくありませんか」と問うと「少しも寂しくはない。夏が来て草むしりをするのが楽しみ」と、九州訛りで話した。
訛りが母や祖母と似ていて懐かしかった。
70歳の娘も幸せそうで肌つやはよく、もし服装を洒落た都会風に変えたら良家の奥様に見えそうな整った顔立ちだった。

賑わいを失った孤島での生活が寂しくないとは、孤独の概念を覆させるほどの驚きだった。
気のあった娘との二人暮らしと、健康に恵まれ、美しい自然の中で変わることがない生活が、そうさせているのかもしれない。孤島で母娘二人だけの生活であっても、夢と現実が合致していれば幸せを感じることができるのだろう。

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荒川河川敷の山桜。
左手は荒川土手の北斜面。
南斜面より遅れて、いたるところ土筆が伸びている。
遠目には地味だが、近づくととても清楚で美しい。下写真。

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山桜のアップ。
新芽を摘んで口に含むと、桜餅のような爽やかなほろ苦さとクマリンの香りが口中に広がった。

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山桜を背景にオニグルミの新芽。
秩父から流れ着いた野生のくるみが根付いたもの。
荒川河川敷は実生の山桜と同じくらい多い。

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荒川土手へ伸びる満開のしだれ桜の並木。
青空へ消える道は田舎育ちにはとても懐かしい。

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2018年3月15日 (木)

あっという間に春。焼き鳥を食べて嬉しそうな少年。 18年3月15日

畑違いのIT関係に熱中していた。
最近、その書類書きにとても頭を使った。
先日などは、使いすぎて脳がシーンと静まり、何一つ考えられなくなった。
生まれてから初めての経験で、とても驚いた。
何も考えられなくなる状態は面白い。
何しろ、何も考えられないのである。
楽しいことはもちろん、嫌なことも、辛いことも、何も考えられなくなった。
もしかすると、これが悟りに入った状態なのかもしれない、と思った。

熱中していたテーマのプレゼンが近くあって、結果はすぐに出る。
勝つか負けるか何も予測していない。
勝負事好きは我が家の伝統だ。
勝ちにも、負けにも慣れている。
しかし、長いこと負け続けているので、今回もまた負る、と思っている。

若い頃は負けるとしばらく引きずっていた。
今は10分で立ち直り、次の勝負事を探し始める。
何しろこの歳になると残り時間が少なく、いつまでも引きずっていられなくなったからだ。


赤羽駅近くで知人が個展をしている。
散歩コースなので、気が向いた時に寄ってお茶をする。
女性画廊主は素人で本気度が薄い。
彼女と話しているうちに、「残り時間が少なくなったので、何に対しても一生懸命になる」と話した。
「残り時間が少ないなんて、何言ってるの。若いくせに。うちの父は90過ぎだけど、あなたより元気よ」
彼女はすかさず言い返した。
「残り時間が年々少なくなって行くのは現実でしょう」
とついつい反論して、しまったと思った。
彼女は、むやみやたらに元気を押し売りする"元気おばちゃん"だった。
相手にしなければいいのに、抑えが効かないのは、脳が疲れているからだ。
こんな時は逃げるに限る。
すぐに画廊を飛び出して、家路を急いだ。
家へ急いで帰っても、何も良いことはないのに、と思いながら家路を急いだ。
「昔は楽しいことが家に沢山あったな」
と思いながら急いだ。

昔は、金属をトンカチ叩いて溶接し、オブジェを作ったりして本当に楽しかった。
夜寝るのが嫌になるくらい楽しかった。
大工仕事も楽しかった。
2キロ離れた材木屋へベニヤ板や垂木を買いに出かけて、
汗をかきかき担いで帰った。
夜中までトンカチやっても、山の中で近所から文句は出なかった。
都内なのに山の中に住んでいるのはとても贅沢だった。

広大な土地持ちだった材木屋は廃業して駐車場に変わった。
その一部に、今はマンションが建っている。
そんなことすべてが懐かしい。
今も道具は揃っているが、集合住宅では、音のする作業は一切できないのが寂しい。
キーボード脇に昔使っていた小槌がいつも置いてある。
仕事に疲れると、それで肩や首筋をトントン叩いている。
指跡通りに窪んだ、小槌の白樫の柄を撫でていると、むやみやたらに昔が懐かしくなる。

絵を描くのは楽しいが、体を使ってものを作る方がずーっと楽しい。
間もなくやってくるAI時代を人らしく生き抜くヒントは、
そのようなアナログな手仕事にあるのかもしれない。


先日、深夜に放映の「リトルプリンス」を録画して、それを昨日寝る前に見た。
サン=テグジュペリの「星の王子さま」を現代に当てはめたCGアニメだ。
これが心に染み入ってとても良かった。
人は亡くなっても、心の中で会話すれば、心の中に生き続ける。
主人公の少女の唯一の友達の、隣家のおじいさんがそんなセリフを言った。
メーテルリンクの青い鳥でも、死者たちの住む思い出の国で、
「死者たちはいつも居眠りをしている。誰かが思い出してくれると、目覚めることができる」
と、死んだおじいさんたちが話すシーンがあった。
祖母に兄に姉に父に母と、多くの死別を経験した。
だから、その意味がとてもよく分かる。


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先月末、まだ寒い頃の情景だ。
本当に嬉しそうに、おばあさんと母親に連れられた7,8歳の少年が焼き鳥屋から出てきた。
私が住む辺りの子供たちには、昭和の雰囲気が残っている。
このような素朴な姿を見るとホッとする。
傍の猫は街ネコでみんなに可愛がられている。
耳には去勢済みの三角の切れ込みがある。
しかし、最近見かけなくなった。
元気なら良いのだが・・・

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先月から水仙が満開だ。
清楚で本当に美しい。

今日は去年末に伐採されたソメイヨシノの古木の跡に植木屋が若木を植えていた。
幼木の歳を聞くと「10歳くらいです」と植木屋の親方が素朴に答えた。
言葉に北国の訛りがあった。

その近くのソメイヨシノは20年前に植え替えられ、今は立派に成長して、毎年美しく花を咲かせている。今日植えられた幼木が、それくらいに成長した姿を見られるだろうか。
もし見られるなら、私は93歳になっている。
母は私がいたから、その年でも元気だったが、自分には無理だろうと思った。
それでも桜がとても待ち遠しい。
若い頃はさほどではなかったのに、歳を重ねると共に桜への思いが強くなっていく。
日本人の血を改めて感じている。


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2018年2月28日 (水)

今年最初の沈丁花の香り。人類滅亡は、AIが人を際限なく堕落させることから起きる。18年2月28日

散歩帰り、夜道を急いでいるとふいに懐かしい香りがした。
香りをたどると、沈丁花が1輪開花していた。
行きがけは香りはなかった。短時間のうちに開花したようだ。
いつまでも寒い日が続くが、季節は確実に進んでいる。
ちなみに、去年は2月18日には数輪が開花していた。
今年の開花は随分遅れている。


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まだ寒い荒川河川敷。
来月には新緑に覆われ、山桜が咲く。


先日は玄関のエレベーターホールの掃除当番だった。
モップでタイル張りの床掃除をしていると住人の少年が帰宅して来た。
彼は入り口で直立し「こんばんわ」とペコリと挨拶した。
それから、掃除を終えた床を汚さないように大股で跳びながら階段へ消えて行った。


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このアパートの住人は母子家庭が多い。
アパートは古く、入居時は小さかった子供達も今は成長した。
高校生くらいに成長した女の子の中にはタレントみたいにスタイルが良い可愛い子がいる。
そんな子が、律儀に挨拶してくれる。
まるで昭和の子供たちのように健気だ。


人工知能が急速に発展し、自動運転、ロボットとさまざまな分野で広がっている。AIは近未来社会や仕事をどう変えるのか、多くの国民が関心を寄せている。米国では武器を携帯して人を攻撃するようにプログラムされたロボット兵器が生まれている。それを知った人たちは、SF映画の「ターミネーター」のように、ロボットが大量殺人をするのでは、と恐れている。

昔から機械にはシステムを守る装置が組み込まれて来た。
ボイラーには蒸気圧を逃がすための安全弁。電気製品には過電流をシャットアウトするヒューズ。電気アイロンや電気炬燵にはバイメタルスィッチ。複雑な飛行機には、さらに多様な安全装置が無数に組み込まれている。それらの安全装置は、動物における自己保存の本能に相当する。

当然、AIにも安全装置は組み込まれている。
そして今、AIは囲碁将棋で人に勝ち始めた。
ゲームの本質は、巧妙に相手を騙し、相手に気づかれないように攻撃することだ。AIの最大の敵は人間だ。ゲームの攻撃と防御の考え方がAIの安全装置にリンクするのは当然の流れだ。人を脅威だとAIが感じればAIは人を巧妙に騙し、人が気づかないように巧妙に攻撃を始めるはずだ。

近未来では社会の全てに繋がった巨大なネットワークシステム=IoTによって自動運転の車もAIの制御下にある。もし、人を敵と見なしたら、AIは巧妙に次々と自動車事故を起こし、巨大事故を引き起こすかもしれない。しかし、そのようなAIの反乱は、人は事前に防止することができる。


本当の危険性は、AIが徹底的に人を楽にすることで生じる。
例えばスマホは人の記憶を代行し始めた。
若者たちは膨大な知識を努力して記憶することをやめ、知識は検索してスマホから取り出すものに変化した。町工場の優れた職人技も、AIによって数値化され職人仕事を代行し始めた。

先日、池袋の電気店でGoogle HomeやAmazon EchoのようなAIスピーカーを宣伝販売していた。
私は売り子から声をかけられて立ち止まった。
「お客さん。このスピーカーは命令するとテレビをつけたり電気を消したり、メールを受信したり、ありとあらゆることをしてくれますよ」
販売員は熱弁をふるっていた。
「ああ知ってるよ。それは人をボケさせる道具だろ」
私が応えると、販売員は言葉に窮していた。

これからの発展はAIスピーカーなどをはるかに凌駕している。
シンギュラティを迎える頃には、AIはありとあらゆる病を治し、移植用の手足、心臓、腎臓、肝臓を作り、人は健康に120歳まで生きられるようになる。
食料はAI管理の無人栽培工場で生産され、エネルギーは、AIが完成させた核融合炉から半永久的に供給される。核融合炉の運転は極めて不安定で、ほんの少しバランスが壊れると停止してしまうので、暴走する危険性は極めて低い。核廃棄物も極めて少ない。それができれば無尽蔵にエネルギーが供給されれ、食物は無農薬の工場栽培に変わる。

シンギュラリティを迎える頃は、若者たちはAIが作った仮想現実の中で、実在しない相手と恋するようになる。AIはセックスも会話も完璧に人に与えてくれる。そうなれば、ストレスだらけで厄介なリアルな恋愛や結婚を人はしなくなり、生涯独り身を選び子供を作らなくなる。未来の子供たちは、AIによって管理された人工子宮から生まれ、乳母ロボットによって育てられる。

さらに大きな出来事は人が老いなくなることだ。
健康寿命は120歳くらいまで伸びて、終末期に寝込む期間は極めて短くなる。その寝たっきり期間も介護ロボットが優しく世話をしてくれるはずだ。

そして死。
死から逃れることは不可能だ。しかし、AIは死の恐怖を和らげる薬物や心理療法をいくつも考え出すだろう。そうなれば人の死は本当に安らかな旅立ちに変わる。

未来人たちは、遊び食べ仮想現実での恋愛やセックスに耽り、労働をしなくなる。
AIによって人が完全に庇護されれば、人はひ弱になって人口減少が進み、結局は滅びることになる。

私が予測する人類滅亡は、AIが人を際限なく庇護し堕落させることから起きる。
そうなれば、アーミッシュのように18世紀のままの生活を選んでAIによる文明を拒否した一団だけが細々と生き延びるだけだろう。


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«逆流性食道炎の検査に胃カメラを飲みピロリ菌の検査をした。18年2月9日