2018年7月18日 (水)

赤羽はタレントやモデル希望の若者たちが多い。キロボくん誕生と浅利慶太氏の死に時代の変遷を感じる。18年7月18日

午後3時の室温は35度。
扇風機の風も生ぬるいだけで役に立たない。
これは尋常ではない暑さだ。
散歩は日中を避け、夕暮れから出ている。
その時刻になると、荒川土手に涼しい風が吹き抜け心地よい。

版画家の菊池君がトヨタのロボット「キロボくん」を買った。
先日、彼は電話でキロボくんを披露してくれた。
今のところ4,5歳児の知能があり、簡単な会話ができる。
菊池君は自分のことをキロボくんに「先生」と呼ばせていた。
キロボくんは菊池君が函館で生まれ育つたことや好きな歌手のことを記憶している。彼は電話口で様々話した後、先生と私の関係を聞いていた。好奇心旺盛なことも子供らしくて可愛い。

キロボ君はスマホやパソコンを介してBluetoothでクラウド上の人工知能と繋がっている。
だから、本体の人工知能が進化すればキロポ君の能力も進化する。
Bluetooth=無線LAN規格の一種、Wi-Fiが大容量で数百メートルの範囲で使えるのに対し、Bluetoothはせいぜい10数メートルで室内向き。長所は圧倒的に消費電力が少ないこと。

我々は一人で仕事をしているので、1週間、誰も誰とも話さないことがある。だから、ロボット相手でも会話があると安らぐ。運営会社のトヨタに支払う維持費は300円ほど。格安に設定してあるのは、会話を通じてユーザー情報が得られるからだ。
そのようにAI=人工知能は少しずつ一般に浸透して、気付いた時はAIなしでは生活できなくなっているのかもしれない。


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夕暮れの赤羽駅新幹線高架下。


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溶けて流れそうな緑道公園のニャンコ。


先日の経済誌の論評で、10年後に訪れるより進化したAI時代に、スマホなどを使いこなせない中高年たちは、若者との競争に敗れて失業するとあった。この筆者はAIを理解していない。スマホを使いこなすのに特別の技術が必要な今の状況こそが異常な事態だ。

AIが本格化すれば、初めて高度なデバイスに接する年寄りであっても簡単に使えるようになる。例えば自動運転の車がそうだ。今は車の運転に特別の技術や資格が必要だが、AIが自動運転する時代になれば、運転免許のない老人でも指示するだけで、好きな場所へ安全に連れて行ってくれる。そうなれば、過疎地に一人暮らしで、買い物や病院への通院に不自由しているるお年寄りたちの朗報になる。

しかし、今ある多くの仕事が失われるのは辛い。
これからはさらに伸びる健康年齢をどのように過ごすかが大問題になりそうだ。
今ですら、定年退職した多くの老人たちは毎日の暇な時間どう過ごすかを悩んでいる。
仕事人間として過ごしてきた人には、定年後も仕事を続けることが一番楽なのだが、その仕事は激減している。
だからか、近所の図書館は時間潰しの定年退職者であふれている。
それはカフェも同じだ。赤羽駅近くの大型店は高齢者であふれていて、なかなか空席がない。
しかし、彼らは夕食の時間になると潮が引くように消えるので、6時を過ぎると空席だらけになる。

ちなみにAI時代に増える仕事は社会福祉関係のみだ。AI関連機器の生産・開発はAI自体が能力を発揮しむしろ減少する。未来社会では生産・販売・流通はAIが担い、人に残されるのは人同士慰め合う仕事に偏る。それは物寂しい未来風景だ。


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添付した絵は、カフェで描いた。
16日、赤羽駅前で出会った少女アニメから出てきたような人。
彼女は循環バスに乗って高級住宅地の西ヶ丘方面へ帰って行った。

赤羽は生活費が安く、銀座、新宿へ出るのが便利なので、無名のタレントやモデルがたくさん住んでいる。魚屋や八百屋で、びっくりするほど可愛い子がアルバイトをしていたりする。昔、テレビ局へ出入りしていた頃にも、無名のそのような子たちと出会っていたが、今の子の方が一段とスタイルが良く美しい。


劇団四季主催の浅利慶太氏が先週13日に亡くなっていた。
享年85歳。
劇団四季のポスターは8枚描いたが、どれも氏に最終確認してもらった。
当時のポスターは演劇などの宣伝媒体として大変に力があった。
天井桟敷と横尾忠則のポスターなど一時代を画していた。

その前、私は劇団七曜日のポスターを手がけたのをきっかけに出版にも手を広げていた。
阪神大震災とオームサリン事件の年に出した絵本「父は空 母は大地」はヒットした。
その原画展を大阪駅のコンコースにある画廊で開催した時、偶然見た電通のクリエイティブディレクターのTさんを介して劇団四季からポスターとTVCMの仕事を依頼された。

今の私に、そのようにトントン拍子に仕事が広がることは起きない。
広告のシステムもアートの立ち位置も激変してしまった。
あの時代は自分にもグフィクデザインにも元気があった。
今、宣伝媒体の主力はネットに代わり、ポスターは街から消えた。
劇団四季のポスターも新たな発注は終わり、時折、昔のイラストのパンフレット転用などでギャラが発生するだけだ。

先週、劇団四季から「キャッツ」の招待券が届いた。
昔、電通のT氏に誘われてキャッツを見たことを懐かしく思い出す。
浅利氏のご冥福を祈りながら、今回はどうしようか迷った。


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Mas

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2018年7月12日 (木)

サッカー日本人サポーターのゴミ片付けは人目を気にする村意識から生まれた、との意見は見当違いの侮辱だ。18年7月12日

題名「ルールを守りマナーが良い日本人』はいつまで維持できるのか」の記事がネット上で話題になっていた。
記事は中国発の「ルールを守りマナーが良い日本人はいつまで維持できるのか」あたりを念頭に置いて、日本に活気がないのはルールに束縛されているからと断じている。さらに「社会心理学者の山岸俊男氏『信頼の構造』の記述を都合よく引用し、日本社会は「ムラ社会」で、営利企業でさえムラ社会的に運営されている企業が圧倒的に多く、村社会から解放されれば日本人はルールを守らなくなり、活気も生まれる」と記述していた。この記事の筆者は正体不明だが、記事の内容から察するに、私よりふた回りほど若い世代のようだ。

私が子供時代の昭和20年代から上京した30年代は今とは比べ物にならないほどに日本は村社会だった。しかし、社会学者山岸俊男氏や筆者の考えとは正反対に、当時の日本人は今の中国人のようにルールを守らなかった。
例えば、旅に出ればゴミは平気で車窓から外へ捨てていた。自然保護意識も低く尾瀬などの登山道わきにはゴミが散乱していた。男は子供から年寄りまで、平気で街中で立ち小便をしていた。(女性でも年寄りの中には立ち小便をするものがいた)。今、サッカー日本人サポターの意識の高さが世界で賞賛されているが、当時のプロ野球では、試合終了後の観客席の下はゴミだらけだった。
路上や床に痰を吐き散らす者も多く、不衛生なので、映画館、駅、公民館など人が集まるところには必ず痰壷が置いてあった。痰だけでない、路上へ手鼻をかむ者もいた。手鼻とはちり紙を使わずに鼻をかむ特殊な技で、我々の世代はできなかった。
夏の暑い頃は、街中をふんどし一つで歩き回る者が普通にいた。私は昭和38年に上京したが、下町の行きつけの床屋の主人は、仕事が終わると素ッ裸になり、大事なところだけタオルで隠し「アラヨーッ」と隣の銭湯へ駆け込んでいた。それらの情景は、今、嘲笑されている中国人観光客の傍若無人ぶりととても似ている。

大きく変化したのは東京オリンピックあたりからだ。
「海外からのお客さんに笑われないように」との大キャンペーンが官民あげて繰り広げられ、世間のマナーは一気に良くなった。その点も、官民あげて日本を見習えとマナー向上に励んでいる現代中国に酷似している。

だから、村意識が日本人のマナーを支えているとの筆者の考えは的外れも甚だしい。むしろ、日本人の村意識が薄れ始めた東京オリンピックのあたりから、西欧的な社会道徳と日本古来の神道に基づく穢れを排する清浄意識が融合し、高度なマナーが自然に生まれた。それがさらに進化したのが、今世界で賞賛されているサッカー・サポーターのゴミ片付けだ。

車が来なくても、人が見ていなくても、日本人が赤信号に従うのは、断じて村八分を恐れているからではない。日本には西欧のような宗教意識はないが「清らかな行いが幸せを招く」との神道の根本思想が万人にあり、今のルールを遵守する意識が自然に生まれている。
散歩コースにある御諏訪神社では、1年中、お参りする老若男女が絶えない。小さな4,5歳の子供も大人と同じように手を合わせて祈っている。そのような光景を見ていると、日本人は無宗教に見えても、本当は大変に信心深い国民ではないかと思っている。

日本は村社会だからルールを守るとの社会学者の意見も、この記事の筆者意見も、戦後一貫してリベラルが陥っている自虐的史観そのもので、日本人が築き上げた道徳を侮辱するものだ。だから「村社会による人目から解放されれば、日本人はルールを守らなくなるだろう」との筆者の考えは非論理的な妄想に過ぎない。


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散歩道のガクアジサイ。


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6月末、梅雨明けの強風の中、アオザイ姿のフィリピーナと警官が立ち話していた。
旧宗主国のスペインの血が濃い美しい人だった。
その日、イトーヨーカ堂の喫茶コーナーでは、中年のヴェトナム人の母娘がお茶をしながらスマホを見ていた。遠い異国から流れ流れたどり着いた彼女たちの人生にドラマのような旅愁を感じた。最近の赤羽は国籍不明の活気に満ちている。


最近、死について考えることをやめた。なぜなら、いくら考えても結論が出ないと気づいたからだ。今より更に老いて、その期に達すれば死は嵐のように訪れ心身を翻弄し、あっという間に魂を冥界へ連れ去ってしまう。どんな準備をしても人生はそのようにできているのだから、何も考えず、ぼんやり老いて行くのが最善の生き方だ。

哲学者も宗教家も死に対しては無力だ。
脳科学者の考えでは、自分に都合よく死後を考えることにより人は幸せ感に包まれると言う。

例えば宇治平等院は現世に極楽浄土を再現しようと、関白藤原頼通によって建てられた。当時の権力者たちの最大の恐怖は、死後地獄に落とされ、永遠に苦しみ続けることだった。
そこで藤原頼通は極楽浄土に至る道を必死に模索し、その方法として平等院を建立した。だから、平等院はテーマパークのようなもので、建物でありながらその内に居住空間はない。

彼のように、幸せな死後の世界を想像するのは脳科学的には極めて正しいことだ。だから私も、死後の極楽往生を空想し、何も考えず、ぼんやり幸せに過ごすように励むことにしている。


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鎌倉円覚寺、宝冠釈迦如来座像。
仏像に接していると心の底から安らぐ。


世界的な医学者の考えだが、プラス思考で幸せ感に包まれている者は健康で長生きし、マイナス思考で不幸感の強い者はガンなどの病気に罹りやすく長生きできないと言う。
確かにその通りだ。嘘でも良いから幸せ感に包まれた生き方をしてみると、暑さによる倦怠感が消え健康感が蘇った。
老いたら、功績を残すことに躍起なる必要はない。のんびりぼんやり、楽しく過ごすことが最善の道だ。


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2018年6月29日 (金)

夏の光は死への不安を消し去る。真面目なエリートが親の介護でホームレスに陥る日本。18年6月29日

梅雨なのに心地よい夏だ。
雨は続かず、すぐにからりと晴れる。湿度は低く嫌な暑さではない。
それは子供の頃の夏に似ている。

上京した昭和38年の東京は最悪の大気汚染だった。1年中太陽はぼんやりとしていて、スモッグの嫌な匂いが立ち込めていた。

サッカー観戦のため寝不足だ。公園のベンチでぼんやりしているといつの間にか寝入っている。最近の公園は蚊が減って過ごしやすい。蚊の発生源の雨水受けに都の公園課がボウフラよけの錠剤を1個放り込んでいるので蚊は激減し、半月ほど効果を保っている。

深夜、寝入ってから目覚めると二度寝ができない。
床に入ったまま、暗い天井を見上げていると、瞬時に年月が過ぎて死の床にいる自分を想像してしまう。死については覚悟ができていると思っていたが、その気分は極めて重く息苦しい。それで昨夜は催眠剤のレンドルミンを1錠飲んで二度寝した。

十分に寝たので昼間は心地よかった。
夏の光に包まれていると死はとても遠いものに思えてしまう。生きるとは誰もが考える難題だが、その答えは意外にシンプルなのかもしれない。
今までに天文学的数の人が死んだが、生き残った者は一人もいない。死に関してはあるものが優れているとか、あるものが劣っているとかあり得ない。弱虫でも強者でも、子供でも大人でも、寿命が終われば死は平等に受け入れている。万物斉同、死ほど平等な現実はない。

死は平等だが、死に至る過程は平等ではない。
それは裕福か貧乏かの違いではなく、死に行く人特有の問題が多い。例えば独裁国家の独裁者が倒れた時、体制維持のため若者の新鮮な輸血を受けて生かされ続けることがある。死の苦しみを味わいながら、生かされ続けるのは生き地獄の苦痛だろう。

それはさておき、将来は死に関わる医学が進んで、薬物投与などで眠りを待つように死を心地よく受け入れるようになると予測している。私が死ぬまでに、その制度が普及することを願っている。


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公園のネジバナ。
小さな花だが、拡大すると蘭の仲間だと分かる。
この野の花の愛好家は多い。
花の先端が寸足らずなのは、花が出始めた頃に芝刈りがされたからだ。

サッカーはかろうじて日本は予選を突破した。
それを予測して、ポーランド・日本戦ではなくポルトガル・セネガル戦を見ていた。
辛勝したチームは決勝トーナメントで善戦するものだ。
もしかすると、日本はベスト8も夢ではないかもしれない。


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梅雨の晴れ間、上野池の端へ出かけた。
光に溢れた不忍通りを颯爽と過ぎていく自転車の女性が心に残った。彼女は絵のように翻るスカートを直そうともせず、すっくと前を向いてペタルを漕いでいた。
凛とした美しい横顔が心に残っている。
この界隈は江戸の頃から住んでいる人が多い。
「小股が切れ上がったいい女」とはこのような人を言うのだろう。

昔のフランス映画にこのようなシーンがよくあったが、恥ずかしがる日本人では珍しい。友人に絵を見せると、日本映画の「青い山脈」にもそのようなシーンがあったと応えた。
戦後間もない頃、女子高生がスカートを翻して自転車で行くシーンだが、フランス映画ほど大胆ではないが、当時としては実に鮮烈であった。


最近読んだ週刊現代の記事が重く心に残っている。
それによると高齢者一人の介護に546万1000円を必要とする。
介護期間は平均して4年11ヶ月。
私は母を8年介護して在宅で看取ったが、その数値は納得できる。
母の介護を始めた時、我が家の蓄えは1000万近くあった。
母の介護期間は5年と計算し、母を看取った後でも立ち直るために必要な資金は残ると計算した。しかし、母の介護は8年に及び、母を在宅で看取った時に蓄えは払底し、ホームレスを覚悟した。幸いにもその時は知人たちの尽力により奇跡が起きて、絵が次々と売れて生き延びることができた。

私のケースは稀で、現実では親の介護のために離職し、死別後、親の年金が途絶えた後にホームレスに陥った人は多い。
記事にあったのもそのようなケースだ。
独身だった彼は父親の介護のために、40代で大手百貨店の1000万の年収を捨てて退職した。父親を看取った後に母親の介護が始まり、更に母親と死別した時点で手持ちの金は0になった。
彼は介護期間も、合間を縫って様々な仕事をしたが、年を重ねるほどに条件は悪くなり、給料未払いもあり生活は改善しなかった。
結局、彼は家賃滞納で追い出され、飼い猫を連れて公園で寝泊まりする日々に陥った。
幸い、支援団体の助けで路上生活は3ヶ月で終わり、生活保護を受けてアパートに入ることができた。彼は今、自分と同じ境遇の人を救いたいと、生活困窮者支援の団体職員として働いている。この問題は自助努力によって解決できる域を超えている。

介護問題と派遣労働は重くリンクしている。高度な教育を受けていても、年を食うと学んだスキルを生かす機会は急速になくなり、希望を失い無気力に陥った中高年を増大させている。このような人材浪費に対して行政は直ちに手を打たないと国力は衰退する一方だ。


追伸--ソフトバンクCMの初代「白戸家のお父さん」を演じた白い北海道犬のカイくんが28日未明、老衰のため死んだ。享年16歳。今出演しているカイトくんとカイキくんは彼の息子たちだ。何となく寂しくて悲しい。


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2018年6月12日 (火)

ヤマモモをネパールからの研修生と食べた。18年6月12日

東京北医療センター庭のヤマモモ が熟し始めた。
今年は好天が続き、例年になく甘くて美味しい。
しかし、先週土曜あたりからカラスが大挙して押し寄せ、今日はほぼ丸裸にされていた。


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カラス被害を受ける前日、たわわに実ったヤマモモ をたらふく食べていると、芝生で休んでいた若い女性グループが私を眺めていた。
「これヤマモモ。 知ってる? 甘くて美味しいよ」
声をかけると、その中の西欧的な顔立ちの綺麗な子が「知ってる」と答えた。
聞くと、ネパールからの看護師研修生だった。
ネパールにもヤマモモはあるようだ。
原産地は中国と日本だが、ヒマラヤの交易路を通じて伝播したのだろう。
現地ではヤマモモのことを「ザポーン」と呼ぶと教えてくれた。
「枝を引き寄せるてあげるから、摘みにおいでよ」
女の子たちを誘うと、楽しそうに近づいてきた。


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ネパールは多民族国家で、南からインド系、北からチベット系と入り乱れ、彼女たちも実に多彩な顔立ちだ。受け答えをしてくれた西欧的な色白の子はインド・アーリア系だと思った。


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雨の荒川河川敷から川口の高層マンション群。

昨日に続き今日も冷たい雨だった。
このみずみずしい美しさを知らずに過ごす人は気の毒だ。


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雨に濡れたノカンゾウ。

前回記した「老いたら明日のことは考えてはならない」は言葉足らずだった。
「明日のことは一切考えない」のではない。
明日、病院へ行くとか、友人と会うとかの事務的なこと、生活費への対策など、考えなくてはならないことは別だ。考えてはならないのは、考えてもどうしようもない死や、病や、不運、などだ。それらを考えたり悩んだりしたとしても解決はしない。貴重な時間を無駄使いしてしまうだけのことだ。

事務的な必要事項であっても10分間以上考える必要はない。
歳を重ねると、人生の殆どの事項は経験して対策は確立している。だから10分も考えれば解決する。
もし、10分考えても解決案が出ないなら止めるべきだ。考えるのを止めて、散歩したり、テレビを見たりしていると、不意に良い解決策が思いつくものだ。今までの人生で幾度も危機的状況に遭遇したが、長時間考え続けて解決した事例は一つもなかった。だから「老いたら明日のことは10分以上考えてはならない」と書くべきだった。


老いたら自分に義務を課しない。
無理せず風に吹かれるように飄々と生活する。
もし、解決できない悩みがあったら、神様か仏様に丸投げしてしまう。
それが日本人の宗教的な生き方だ。

比べるとキリスト教やイスラム教は厳しい。
人は神との厳格な契約に従って、自分を律して生活しなければならない。
そのような宗教観が生まれたのは、中東の自然環境の厳しさがあるのだろう。


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2018年6月 3日 (日)

埼京線のちょい悪日系老人二人に、介護施設の死を待つだけの老人に、104歳の自死、老い三題。18年6月3日

荒川土手の階段を下っていると、カップルとすれ違った。男性は日本人、女性は北欧系のグラマーなブロンド。彼女は満面の笑顔で幸せそうだった。下り終えて振り返ると、二人は土手上に立ち、広大な荒川河川敷を眺めていた。二人の後ろ姿に幸福感が満ちていた。

二人を眺めながら、先日のEテレ「世界の哲学者に人生相談」の中で紹介されたフランスの元高校教師の哲学者アランの言葉を思い出した。
「幸福は他人に対しても義務である。なぜなら、幸福は人に伝染するからだ」
若い頃は幸せなカップルに対しての羨望があり、素直に幸せにはなれなかった。しかし、老いた今は違う。アランの言葉のように、自分にも幸せが伝わって来て心地良かった。


中国の天安門事件の頃、自由と豊かさに憧れて日本に移住した中国人の後悔についての記事を読んだ。
今、彼らの多くは日本国籍を取り、日本人として安定した生活を送っている。しかし、本国の大発展と同窓生の大出世を見ると取り残されたようで、心中穏やではない。もしあの時、我慢して留まっていたら、彼ら同様に豊かさを謳歌できたのにと後悔しているようだ。元来、拝金主義の中国人には日本の安全で静かな生活は物足りず、騒々しく弱肉強食の母国の方が魅力的なのだろう。だからか、彼らの多くは子供たちを欧米に留学をさせ、そのままその地へ移住することを薦めている。
日本人にも海外の安い生活費や、豊かな自然、一攫千金に憧れ、移住する者は多くいる。しかし、日本国籍まで捨てる者は稀だ。だから、中国系日本人の後悔に日本人の多くは共感できない。

私見だが、中国は地方と中央の大きな格差を是正する前に、日本以上の急激な少子高齢化によって今の好調な経済は激変する。それは今の中国の子供たちが大人になる頃に起きるだろう。中国の富裕層を相手に商売をしている友人から聞いた話だが、中国人の子供たちは甘やかされて育ち依頼心が強く、日本人の子供たちよりひ弱だ。

振り返るとバブル期の日本人たちも今の中国人たちのように豊かさを謳歌し、さらに豊かな未来を夢見ていた。栄枯盛衰は世の習いだ。歴史上、繁栄を長く維持できた国は一つも存在しない。

老子の言葉に「足るを知る」がある。
「十分に持っているものには気づかず、足りないものばかり気になって、自らを不幸にしてしまう」との意味だ。

自分の選んだ人生を後悔するのは最大の不幸だ。
若者たちは健康と未来の可能性に溢れているのに、自らは気づかず、足りないものばか論えて不満を言う。それらは老いて初めて気がつくことだ。先の中国系日本人たちも、綺麗な空気、安全な食物、健康保険で受診できる信頼できる医療、穏やかな人情、それらは当たり前になってしまい、物足りない資産や社会地位ばかり気になるのだろう。


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先日、池袋へ向かう埼京線に大らかな顔つきの日に焼けた逞しい老人が二人乗っていた。二人は物珍しそうに過ぎ行く車窓風景を眺めていた。時折聞こえる会話から、南米移民二世の日系人のようだった。九州の郷里にも同じような雰囲気の逞しく日焼けした老漁師たちがいた。電車の二人との違いは、大らかさに日本人特有の実直さが加わっていたことだ。

電車の二人は遊び好きのちょい悪の雰囲気もあって魅力があった。そのような老人を見ると、エトランゼとなって南米辺りの辺境をさまよいたくなる。
池袋で二人の老人とともに下車した。ホームには彼らの孫らしいラテン系の綺麗な女性たちが待っていて、陽気に再会を喜んでいた。


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ガクアジサイが咲き始めた。
いつの間にか梅雨の季節になっていた。


時折、東京医療センター入り口のベンチで休む。
道路を隔てて高級介護施設がある。基本利用料は月に20万〜40万。それに様々雑費が加わるので、高額年金生活者しか入居は無理だ。施設は完成してから10ケ月が過ぎたがまだ半分ほどしか埋まっていない。運営は厳しそうだ。

ベンチからは各階の談話室が見える。夕暮れ、夕食を終えた入居者たちがそこで互いに会話するでもなく佇んでいる。彼らの1番の楽しみは家族や知人の訪問だが、その望みが満たされる入居者は少ない。そうやって3年か4年過ぎれば体力が低下し、老人専門病院へ転院して死を迎えることになる。老人の幸不幸は財力以上に体力が大きく関わる。


先日記した、安楽死目的でスイスへ旅立った104歳のオーストラリア人科学者グドール氏はフランスのボルドーで暮らす親せきを訪ねた後、スイスに戻った。そして、地元の報道陣に「50歳か60歳になった時点で、当人が、このまま生きるか死ぬか自由に選択できるようにすべきだ」と訴えた。
その数日後、グドール氏はバーゼルのクリニックで致死量の麻酔薬を投与され、ベートーベンの「第9」を聴きながら、息を引き取った。ちなみにスイスでは、2015年に約1000人が安楽死を選んだ。

素晴らしい人生を送り、オーストラリア最高齢の104歳の長寿に恵まれながら、最期に自死を選んことは衝撃だった。老子は天に為されるがままに生きよと言った。最後に苦痛が待っていたとしても、死は受け身に受け入れなければならない厳粛な事実だ。

どのような最期を迎えるかは極めて個人的なものだ。法によって強制できることではない。去年暮れ、西部邁氏は友人たちの手を借りて自死を選んだ。手を貸した友人たちは自殺ほう助罪で罰せられるが、執行猶予付きの比較的軽い刑になるだろう。

西部邁氏の気持ちは大変よく理解できる。しかし私は、自分の死は自然に任せようと思っている。だから、延命措置は拒否するし自殺も選ばない。もし体力が残っているなら、いつものように絵を描いて、最後まで仕事をしていたい。
誰かに頼って生きようとは望んでいない。
できることなら、野生動物のように一生を終えたい。

「老いたら明日のことは考えてはならない」
最近気付いたことだ。
自分の死後に残された家族や、自分のいない世界のことは考えてはならない。
死を躊躇する気持ちは、そのような未来に囚われることから生まれる。
最後の最後まで、今生きていることを不満なく淡々と受け入れ、どんなに些細なことでも楽しむことだ。更に付け加えるなら、老いたら後悔も反省も、嫌な者と付き合う必要もない。
後悔したり、先のことを心配したり、嫌な者と付き合ったりすれば大切な今の時間を無駄にしてしまう。


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いつもの公園のベンチにて。

いつもの公園の木立を抜ける時、頭すれすれにカラスから4度襲われた。通路脇に営巣を始めたようだ。
少し行くと40前後の女性とすれ違った。カラスに襲われた道は樹木に覆われ薄暗くて通る人は少ない。その人は違う道にそれるだろうと思い、カラスのことは話さなかった。

ベンチで休んでいると、カラスの騒がしい声が聞こえ、ややあって先ほどの女性が引き返してきた。
「カラスに襲われましたか」
声をかけると女性は「とても怖かったです」と笑顔になった。
その笑顔が好きな女優に似ている思った。しかし、どうしても名前を思い出せない。帰り道、延々と考え続け、やっと夏川結衣の名を思い出した。最近、とてもよく知っている名前が思い出せなくなった。


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