酉の市。09年11月12日
午後2時。母の体調が良いので、酉の市へ出かけた。雨が降りそうで風が冷たい。手早くお詣りを済ませようと、鴬谷から鷲神社へ行くコースを選んだが、王子駅に着くと例年通り下車してしまった。
王子から都電に乗り換え終点三ノ輪へ向かう。電車はレトロな9000形で正面に天皇即位記念の日の丸が飾ってあった。車内照明は暖色光で心地良い。
途中、おばあさんが下車しようとすると、「下りるから止めてあげて。」と、回りの小母さんたちが一斉に声をかけた。荒川線はまだ下町の気風が残っているようだ。
三ノ輪駅から日光街道へ抜ける梅沢梅沢写真館の外装は明るく塗り替えられ、レトロな趣が消えていた。竜泉あたりの軒が傾いた小さな商店も殆ど消え、瀟洒なマンションに建て代わっていた。この辺りも、僅かな間にすっかり変わってしまった。
時間が早いせいで酉の市は混んでいなかった。
風が冷たい。例年なら革ジャンで来るのだが、今日はTシャツにコーデュロイのジャンパーを羽織っただけだ。風邪を引くのではと心配になった。
スムースにお詣りを済ませ、急ぎ足で浅草観音様へ向かった。
花屋敷の辺りで、お爺さんが路傍で「ふるさと」をハーモニカで奏でていた。熟年男女のグループが聞き入っている。この小学唱歌はハーモニカで聞くと、とても心に染み入る。熟年男性が感に堪えないと言った風に拍手した。
母が70代半ばの頃、1度だけ今日と同じコースで酉の市に連れて来たことがある。途中、竜泉で樋口一葉記念館へ寄った。記念館近くに駄菓子屋があり、母と同じ年頃のおばあさんが店先でおでんを売っていた。母と食べたが代金は驚く程に安かった。
翌年行くと、その駄菓子屋は店を閉めていた。
全コース4キロ近くだが、その時の母は疲労も見せず歩いた。
生きている以上当たり前だが、母は生まれてからずーっと、どこかにいた。しかし、死ねばどこにもいなくなる。これは寂しいだけでなく、とても理解出来ない感覚だ。、ハーモニカの「ふるさと」を聞きながらふと思った。
観音様の本堂は改装中でスッポリと覆われていた。線香の香りの中、仕事が巧く行くように祈った。
仲店は真っすぐ歩けないくらい混んでいた。その3分の1は日本人ではない。今、東京で一番国際的なのはこの一角かもしれない。
昔、浅草に住みたいと思ったが今は違う。浅草の個性は失われ、どこにでもある風景に急速に代わっている。
北赤羽には5時少し前に着いた。駅前のライフで鳥の胸肉を買った。イミダゾールジペプチドの疲労回復効果が一般に知られたせいか、最近、数量が減り値上がりしている。5時丁度に帰宅すると、「お帰り。」と、ベットでテレビを見ていた母が明るく声をかけた。
出がけにベランダに干した洗濯物は、冷たい風で乾いていた。

| 固定リンク

赤羽自然観察公園の左ミズキと右イヌヤマザクラの紅葉になりかけの葉。
「貧乏は人生を美味しくするスパイス」
今日の散歩で、色々な人と会った。
人が文明を作ったのは、その心配性のおかげだと思っている。
雨上がり、タマとポチが暮らす空き地に水たまりができた。
昔のドロボーはこのスタイルで描かれていた。
昨日は木枯らしが吹き、雲一つない青空が広がった。

