2019年1月14日 (月)

「平成ネット史」は正月番組で最高に面白かった。そして、スーパー・レジの女の子に荘子の「胡蝶の夢」を感じた。 19年1月14日

正月は一瞬で遠く駆け去ってしまった。
今年の冬は穏やかで、刺すような寒さは一度もない。
今日も雲一つない好天。荒川土手をジョギングする人たちが気持ち良さそうに行き交っていた。


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病院下公園。
連日、このような青空が続いている。


正月番組で一番面白かったのはEテレの「平成ネット史」だった。私がパソコンを始めたのは阪神の大震災の後、Windows95が発売されてから3年後の平成10年の54歳からだ。画像処理が目的だったので最初のパソコンはパワーマックにした。それまでの長い期間、ワープロを使っていたのでタッチタイピングはできた。

操作は入門書片手の独学で1日20時間はパソコンをしていた。作業の98%は無駄な試行錯誤の繰り返しで、膨大な時間を費やしてしまった。2ケ月後にHTML言語だけて簡単なホームページを立ち上げ、デイスプレーにホームページが映った時はとてもとても感動した。

当時のインターネットの接続スピードは今の3500分の1と、とてつもなく遅く、毎月通信料が10万を超えていた。それでも、今より余裕があったので苦もなく支払っていた。
番組ゲストたちの殆どはまだ学生で、午後十一時からの割引時間に殺到し、アクセスできなくて苦労したと話していた。そうやって、真っ先にアクセスしたのが米国のNASAとホワイトハウスだったと話していたが、私もNASAに接続して、月や地球や木星や星雲の鮮明な画像を見て大感激した。

ホームページはアクセスしてくれる人のために画像はできる限り軽くした。今は死語になってしまったがプログレッシブ変換と言う画像表示方法があった。それは最初に碁盤の目状の荒い画像が表示されて、サラサラと鮮明になって行く表示方法だ。プロバイダーが「今、一生懸命に仕事をしているよ」とアピールするためだけの機能で、決して通信が軽くなるわけではなかった。
当時はパソコンにのめり込みすぎて、夢までがプログレッシブ変換で現れ、夢の中でもっと軽くと呟いていた記憶がある。

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上画像はガラケーのためにホトショップで1ドットづつ手作業で色を置いて作った。だからとても軽く、古い通信速度でも素早く正確に表示された。

スキャナーやプリンターは機器ごとに厳格に振り分けるSCSI(スカジー)方式でパソコン本体と繋いだ。自由に繋げるUSB接続が現れた時は便利さに驚いた。

インターネット接続は電話回線の時間買いから始めた。それから少し早く通信できるISDNを経て、動画対応のADSLに変わった。しかし、渋谷駅前で出版社を経営していた身内を訪ねた時、光回線の速さに驚愕した。だから、光回線が一般化された時はすぐに契約した。ちなみに、今のマックは9台目だ。今の公営集合住宅に配置されている光回線を使っているのは我が家だけだ。

ホームページ普及の初期に立ち上げたので、付き合いのあった画材屋や絵の具メーカーが紹介してくれた。おかげで、初心者としてはアクセスは多かった。ブログは母の介護が始まると同時に始めた。1日に30アクセスほどだが、ブログに介護の苦労を吐露できたおかげでとても癒された。
ツイッターの類は、特有の若者言葉が嫌でやらなかった。
番組でホリエモンたちは、2チャンネルや、フェイクニュースの酷さを嘆いていた。

スマホが登場した時、今ほど世界を席巻すると予測できず、ガラケーを追い抜けないとブログに書いた。その予測の8割は間違っていたが、今でも2割は正しかったと思っている。しかし、スマホの普及によって、それまで数十万円ほどしたセンサー類が1万分の1まで値下がりし、電子機器の普及に大きな功績があった。

スマホはこれからも持たない主義だ。なぜなら、在宅の時、絵を描いている以外は殆どパソコンをしているので、散歩中までパソコンに縛られたくないからだ。

ラインは三陸の震災の時、繋がらない電話の代わりになる通信手段として短期間に作られた、との逸話はこの番組で初めて知った。
「平成ネット史」を見ながら、インターネットの歴史を走馬灯のように思い出して、心底、懐かしかった。番組ゲストの、ホリエモンをはじめとするクールな今風の若者たちが、ネットについて熱く語っているのも面白かった。番組を見終えてから、平成はまさしくネット史そのものだと思った。


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最近、時折見かけるスーパーのレジの女の子。瀬戸内海あたりの海の香りを感じる。律儀で元気な子だ。


浮世絵の技法書に、少女を描く時は、首は細めに額は暗く描くべし、とある。確かに、おばさんの首は太い。対して少女の首は細く、額は日に焼けて少し暗めだ。この子も細い首が初々しかった。
赤羽は銀座方面も新宿渋谷方面も乗り換えなしで行ける。そのように交通の便が良いのに家賃は安く暮らしやすい。そのせいか、タレントを目指す若者たちが多く住んでいる。だから、とんでもなく可愛い子が八百屋やパン屋でアルバイトしていたりする。この子も、そのような一人かもしれない。

美人だとチャンスに恵まれ楽しい。女性なら、魔法か何かで、美人に変身した自分を夢見たことがあるはずだ。男でも、スパーマンみたいな逞しい肉体にノーベル賞クラスの頭脳を持ちたいと夢見るたりする。もし、図抜けた容姿に天才的な頭脳を備えていたら、世の中の殆どの夢は達成できる。


科学が進化した未来では、魔法を使わなくても変身は可能だ。倫理的ハードルは非常に高いが、自分のクローンを遺伝子操作で改良したもう一人の自分に、自分の脳のデータを入力すれば、優れた肉体と頭脳を備えたもう一人の自分が生まれることになる。仮に、オリジナルの自分が臨終の間際だとすれば、一瞬で若く元気な自分に変身できるわけだ。
ただし、それには大きな問題がある。オリジナルの自分の死は止められないわけで、死の問題は何ひとつ解決しない。

しかし、老荘思想では自我は絶対的ではない。そこで語られる自我は実に頼りないもので、人は天地に翻弄されながら、自分を曖昧に意識しているに過ぎない。

荘子の寓話に「胡蝶の夢」がある。
・・・荘周は夢の中で楽しく蝶になりきっていた。その時の自分は、荘周であることを完全に忘れていた。そして目が覚めると、荘周に戻っていた。しかし、今の自分は、荘周に変身した夢を見ている蝶なのか、それとも、楽しく舞っている蝶に変身している自分を夢見ている荘周なのか、区別がつかなくなった・・・

「胡蝶の夢」の解釈は様々だが、西欧哲学に影響された現代では意識が変わっても主体は一貫して同じだと解釈する人が多い。しかし、本来の老荘思想では、自我は天地との関わりの中で一つの自分ではないかと微かに自覚している程度のものだ。だから、先述のようにオリジナルの自分が死ぬことで消えても、意識や記憶をコピーされた健康なクローンが自分だと確信するなら、自分は若返ったことになる。
実に奇妙な論法だが、自我はそのように環境によって極めていい加減に構築されたものだ。だから、昨日の自分と今日の自分に一貫性を感じる自意識は極めて曖昧なものだ。

昨日の自分と今日の自分を繋ぐものは記憶だけだ。現実と記憶や意識との間に矛盾がなければ、人は昨日も一昨日も、今日と同じ自分だと思い込んでしまう。
連続する自分について考え始めたのは、10年前、胆嚢切除手術で全身麻酔を受けた時からだ。その時、「これから麻酔をかけます」との麻酔医の言葉が聞こえた直後、間を置かず麻酔から目覚めた。もし、手術中に私が死んでいたら、自分の死に全く気づかなかったはずだ。その麻酔中に、自分の肉体がクローンと入れ替わっていたとしても、同じ自分である自意識は変わりないはずだ。

将来は毎日の眠りでも同じことが起こり得る。
もし、自分が寝入っている間に、クローン技術で再生されたもう一人の自分にオリジナルの自分の記憶や意識がコピーされたとすると、目覚めた自分は入れ替わったことを意識しない。人は自分に都合よく現実を受け入れる。コピーされたクローンの自分の方が、オリジナルより元気で美しかったら、誰でもコピーをそのまま受け入れてしまうものだ。


昨日も今日も同じ自分だと確信できるのは、いつも変わりない絶対的な自意識があるからではない。単純に周りの環境からの刺激でそう感じているに過ぎない。朝目覚めて家族と言葉を交わし、同じテーブルで朝食をとり、同じ道を歩いて駅へ行っていつもの電車に乗って会社へ行く。そのように同じ環境が繰り返されることで昨日と今日の自分は同じだと確信する。

しかし、環境が激変すると、自我は混乱しアイデンティティは失われる。そのような出来事を近年日本人は二度味わった。前者は神戸の震災で、後者は三陸の大津波だ。二つの災害で多くの人が家族や故郷の風景を一瞬で失って、自我の脆さを痛感してしまった。


サルトルあたりまでの哲学では自我を絶対的なものとしていた。社会科学ではそれは正しく、その考えが戦後の様々な変革を牽引してきた。しかし、現代哲学では、自我を絶対視しない考えが生まれている。去年末のEテレに、世界的にヒットした哲学書「なぜ世界は存在しないのか」を書いた、マルクス・ガブリエルという新進気鋭の哲学者が登場した。
彼はスケートボードで颯爽とNHKのスタジオに現れ、自信満々に自説を披露していた。彼は実存主義をはじめとするヨーロッパ的な哲学に異を唱えていたが、老荘思想を無意識に身につけている日本人なら斬新に感じなかったはずだ。


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病院のカフェ。5時をすぎるとこの暗さだ。
空調が程よく、コヒーが美味しく静かで居心地が良い。
しかし、店じまいは6時30分と早く落ち着かない。
せめて8時まで営業してくれたら助かるのだが・・・


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Goof

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2019年1月 8日 (火)

はや七草。人付き合いと年賀状を断捨離したいが、難しい。19年1月7日

正月のテレビは本当につまらないものばかで、録画ばかり見ていた。
記憶に残った中に「ブループラネット・深海、最後のフロンティア」がある。
その中のシーンに、深海に逃れたハダカイワシの大群を襲う、巨大なアメリカオオアカイカの群があった。
オオアカイカたちはハダカイワシを食べつくすと凄まじい共食いを始めた。
彼らには、自分より小さな仲間は餌で、自分より大きな仲間は捕食者であった。
彼らにとっての孤独は安らぎなのはずだが、共食いしながらも群れているのは、その方が集団として生き残る可能性が多いからだろう。

人は孤独を恐れて、群れを作りながら熾烈な弱肉強食を繰り広げている。社会は残酷な一面を含んでいるのに、それでも人は孤独を恐れて群れたがる。それはオオアカイカノの群れになんとなく似ていた。

孤独は普通の若者を狂わせ、大量殺人を犯したりする。正月の竹下通りで車を暴走させて多くの若者に重傷を負わせた若者も、以前、秋葉原で大量殺人を犯した若者も、凶行に駆り立てた動機は孤独だった。

私も孤独を恐れるが、同時に人付き合いも煩わしい。それで多くの知人たちとの付き合いを断捨離しようとしている。人付き合いを煩わしく思っているのは現代の風潮で、今年の年賀状では、「これをもって年賀状はおしまいにさせていただきます」と添え書きされたものが多かった。去年までそのような年賀状はなかった。もしかすると有名人の誰それが言い出し、ブームになっているのかもしれない。そのせいか、今年の年賀状は1億通減少したようだ。殊にリタイアした老年が年賀状を整理したい気持ちはよく理解できる。

私は生活のために死ぬまで現役でいなければならないので、止めることは難しい。しかし、今日7日以降にあと出しで届いた年賀状で、手書き文字が一切ないものは来年は出すのをやめることにした。私の理想は20枚ほどだ。それくらいなら、一通一通、丁寧な年賀状を出せる。

年賀状ファイルの中で、寂しいのは鬼籍に入った知人からの最後の年賀状だ。
故人たちの絶筆を見ていると切なくなる。
それらはこれから先の最期まで捨てられないかもしれない。


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7日の荒川土手。

あっという間に七草。
早起きして七草がゆを作った。
とても美味しい。

今年は暖かく、まだ霜柱も氷も見ていない。
このまま春が来たら、物足りない冬になってしまいそうだ。

5日、お屠蘇セットを片付けた。
セットの箱を埃除けに包んでいた新聞紙は1994年の日付で、その頃の母はとても元気だった。それより10年前の1985年あたりの暮れ、父は何を思ったのか、突然にその屠蘇セットを買ってきた。屠蘇セットをしまいながら、その時の父の自慢げな表情を思い出した。
年末年始は、年々、思い出の影が伸びて行く。


昨日6日日曜日は、片瀬江ノ島線の大和駅近くの大和市文化創造拠点シリウスへ出かけた。

☆☆ シリウスのギャラリーで、陶芸家の長谷川雅一氏が作陶展を8日までやっている。近い人はぜひ訪ねてほしい。☆☆

55年前、東海大に入った友人が座間に住んでいた。
友人のアパートは桑畑の中1軒だけポツンと建っていた。
相模大野や町田は賑やかだったが、その頃の大和市あたりは本当に寂しい場所だった。

その頃、友人を訪ねた時、間違えて片瀬江ノ島線に乗ってしまった。
その途中の中央林間の駅名が、いかにも田舎びていて侘しさが募った。
その時は、その辺りで間違えたことに気づき、すぐに引き返した。


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絵は6日、片瀬江ノ島線の向かいに腰掛けていた10代の女子。
クマのぬいぐるみ風の手袋が可愛い。
手にしている太いストローで飲むゼリー状飲み物が流行っているようだ。他にも、多くの女の子が手にしていた。最近は寒い季節でも冷たい飲み物が好まれる。昔では考えられない好みの変化だ。

背景は55年前の畑と雑木林とススキ野原が広がる中央林間あたりを思い出しながら描いた。今は隙間なく住宅で埋め尽くされている。昔は富士が東京の至る所から見えたので入れた。実際は、都市化してしまって見えにくいが、大和市辺りでは丹沢山塊の上に見えるはずだ。

シリウスでの作陶展を見た後、版画家の菊池君と三人、長谷川君の車で町田へ行き、食事をした。町田は昔、何度か訪ねているが、すっかり今風の若者の街に変身していた。

地元生活が長い菊池君と長谷川君が、昔と変わらない洋食屋グリルママを見つけたので入った。ドアを開けると美味しそうな香りがした。そのような店は当たりだ。残飯やタバコの匂いがする店は、大抵不味い。
店はほぼ満席だったが、私たちとさして年の変わらない"おねえさん"が一人で忙しく注文を取り給仕をしていた。とても明るく元気な人だ。ビーフシチューを食べ、ビールを飲みながら、彼女とやり取りするのが楽しかった。平成が終われば昭和は更に遠くなる。この懐かしい雰囲気はやがて失われてしまうのだろう。

地元の長谷川君と別れた後、菊池君と小田急線に乗った。
菊池君とは柿生駅で別れた。
空いた電車の座席は暖かく、本当に心地良かった。
いつの間にか寝入って目覚めた時は新宿だった。

赤羽の荒川に近い我が家付近は寒風が吹き付け、大和あたりより2,3度低かった。
正月が終わってしまったと、しみじみと感じた。

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散歩道の、冬の水仙。


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寒椿
厳冬期に開花する花は、バラなど意外に多い。


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2019年1月 1日 (火)

あけまして、おめでとうございます。19年1月1日

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老荘思想では感覚は不確かなもので、人は現実を正しく認識できないと説いている。認識できるのは現実のごく一部で、残りは断片的な情報を寄せ集め空想で補っているだけだ。しかし、人はその不確かな現実に翻弄され、喜んだり、悲しんだり、不安に苛まれたりする。


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だから、情報に対する感覚は鈍いのが良いと老子は説いた。
そのような不確かな現実から得られた知識など、得々と人に話すべきではないし、さほど重要視する必要もない。もし、そのように感覚を抑えた生き方ができたら、人は自由に楽しく生きられる。


知る者は言わず、言う者は知らず。その兌(あな)を塞(ふさ)ぎて、その門を閉し、その鋭(えい)を挫(くじ)いて、その紛(ふん)を解(と)き、その光を和(やわら)げて、その塵(ちり)に同(おな)じくす。

上記は老子56章からの抜き書き。
意味は
本当に理解している人はそれらについて得々と話さない。
語りたがる者はまだ理解が足りないのだ。
本当に道理が解っている人間は耳目や口を塞いで余計な知識の出入り口を閉ざし、
鋭敏な感覚を鈍くして意識のもつれを解きほぐし、自分の輝きを抑え、人が見過ごすような塵に扮する。


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2018年最後の夕日。


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2019年初日の出。
実際の日の出はこれより7分前だが、地平線に雲があり、ご来光を見るのは7分ほど遅れた。


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2019年元旦。
街並みの間から見えた朝富士。


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元旦の荒川土手の霜。
去年の元旦は厳しい寒気だったが、今年は暖かい。
それでも、東京と埼玉の境のこのあたりは気温が低い。


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神戸の大震災とオーム・サリン事件の年の5月。大阪で作品展をした。
その時、チャリティーなどで震災復興に協力したのを縁に、裏社会に詳しい人の案内で大阪飛田新地を訪れた。
飛田新地とは遊郭が密集する地域で、江戸から続く遊郭文化が息づいていた。

絵はフランス人形のように着飾った女郎さん。
鮮やかな緋毛氈上の分厚い座布団に無表情に座っているだけだが、それがなんとも言えずエロチックだった。
飛田新地について作品展の後援をしてくれた大日本印刷の担当者に聞くと、普通の人は怖くて近づけない地区らしい。
しかし、案内人が強面だったので、客引きたちは伏し目がちに目をそらして、誰も声をかけてこなかった。


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2018年12月23日 (日)

クリスマス・ベストポイント、銀座コリドー街から丸の内仲通りを経て東京駅へ。18年12月23日

今年のクリスマスは美しい。
クリスマスだけではなく、全ての季節や年中行事が楽しく美しく感じる。
それは、私が晩年に入ったからかもしれない。
母も車椅子散歩をさせている頃「今年の桜は一生で一番美しい」とか「モクモクした入道雲がとてもいい」とか、毎年、繰り返し感動していた

冬枯れの自然も、しみじみと眺めると美しい。
紅色の鞘に覆われているネコ柳の芽。
紅色の枝を青空に端正に広げているミズキの若木。
プラムそっくりの色合いに蝋質の白い粉で覆われている濃紫のニガイチゴの茎。
若い頃は気づかなかった自然の彩に、晩年になってからとても惹かれるようになった。


先日再度、クリスマス飾りを見学に銀座へ出かけた。

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八重洲口を出て銀座へ向かった。
この直後、目の前を消防車が何台も有楽町方面へ疾走して行った。

銀座への途中、スイスのナイフと文房具のメーカー・ビクトリノックスの専門店があったので覗いた。試しに1500円のシャープペンシルを買ったが、同程度の日本製と比べると4倍は高い。
ちなみに、実用性のあるシャープペンシルを作ったのは日本のシャープだ。だから、日本製が優秀なのは当然かもしれない。


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最近、コリドー街はナンパスポットとして有名になった。
この近くでお店を経営している知人によると、金曜の夜など、丸の内の一流企業勤めの三高若者を結婚相手に狙う女性たちが大挙押し寄せると言う。
しかし、5時を少し過ぎたこの時間は、多くの店は準備中で人通りは少なかった。
このワインバーの外テーブルは傘状の電気ストーブがあって、外でも遠赤外線でポカポカと暖かい。このテーブルなら、自然に知らない同士が仲良くなれそうだ。

コリドー街から帝国ホテルへ抜け、宝塚劇場に出た。
宝塚劇場前にはひいきのスターの出待ちをしている女性たちが整然と並んでいた。
ひいきのスター別に、彼女たちはそろいのスカーフをしている。それぞれに指導者がいて、彼女の指示で整然と立ったり座ったり移動したりと、オモチャの兵隊みたいで、とても面白かった。


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クリスマス飾りは丸の内仲通りが一番素晴らしい。
高級感とセンスがあふれるレストランや洋品店が並び、ウインドウショッピンをするだけでも楽しい。

丸の内仲通りを丸ビルまで歩いて、丸ビルのエントランスホールの巨大なクリスマスツリーを眺めながら丸ビルを抜け、東京中央郵便局のあるKITTE=キッテへ向かった。
前回と同じように、中央エントランスに置かれた白いクリスマスツリーを眺めた。ライティングされたツリーは7色に変化し、25分ごとに荘厳なクリスマスの曲が流れ、クリスマスの雰囲気が高まった。

簡単に書いたが、このコースだけでゆったりと2時間近く最高に楽しめる。クリスマス飾りは25日を過ぎると一瞬で消えてしまうので、この3日間に、ぜひ訪ねることを薦める。


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東京駅で上野経由高崎行きの東海道線に向かった。

前回11日、クリスマス飾りを見に行った帰りは、うっかり中央線への長大なエレベーターに乗ってしまい、上り切ってから下りに乗り換えた。下りは私一人だった。傍の上りの通勤客たちは体を左右に揺らしながら黙々と登っていく。まるで、ボルガの船引きたちのようにも、地獄から這い上がっていく亡者の列のようにも見え、悪夢のようだった。


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赤羽、星美学園のクリスマス飾り。
ミッションスクールらしい簡素なクリスマス飾りが味わい深い。


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帰り道の公園。
赤い小人たちが、街灯の根元で踊っているように見えた。


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土曜日、喫茶店で描いた横道河子=おうどうかし=情景。
昔見た、桑原甲子雄写真集「満州昭和15年」の1シーンだ。
記憶で描いたので、実際の写真とは違う。戦争前夜の一瞬の平和が強く心に刻まれた。若妻が抱いている赤ちゃんは、戦後の混乱期を乗り越え無事に帰国できたとしたら、今は78,9歳だ。

横道河子とはハルピン市近くの山岳地帯のロシア風の美しい町。
ロシア領の頃、豊富な森林開発のために作られた新しい町だ。
絵の若夫婦は傍の官舎らしきものに住んでいるのだろう。もしかすると、日本がロシアから買った森林開発会社の社員かもしれない。

満州は中国領と思われているが、歴史的には違う。チベットがチベット人の国、内蒙古がモンゴル人の国、ウイグルがウイグル人の国であるように、満州は満州族の国であった。満州族の王ヌルハチは中国を支配して清を建国した。清は祖先の地満州への漢族の入植を厳しく制限し、ロシアが植民地化するまで満州に漢族はほとんどいなかった。しかし、ロシアがハルピンや満州鉄道建設のための労働力として漢族を入れ、居残った彼らたちが農地を開拓した。
日本は日露戦争で勝利した後、満州支配をすすめ、1932年に満州国を建国した。
日本敗戦の後は中国が自国領とした。


あっという間に年の瀬が迫ってきた。
我が家では11月からお供えを飾ってある。
松飾りもクリスマス前には必ず済ませてある。
近年、殊に集合住宅では、松飾りをする住まいがなくなった。季節の行事をしないのは寂しい。
これから、少しづつおせちの準備に入る。今は屠蘇散を味醂と酒を混ぜたものに漬け込んである。塩数の子は丁寧に薄皮をむき、毎日、水を取り替えて塩抜きをしている。昆布巻きに使う身欠きニシンは冷凍してある。これから九州の郷里から、正月用の魚類や練り物がたくさん送られてくる。


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2018年12月12日 (水)

雨のクリスマス飾り-銀座慕情。18年12月11日

 赤羽の散歩道。雨が降りそうな暗い空が、黄葉のせいで明るく感じた。


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 先日の日曜日、いつもの喫茶店が満員だったので、KFC=ケンタッキーフライドチキンへ行った。KFCのコーヒーは量は多いが美味しくない。
日曜の客はフライドチキンの持ち帰りが多いので、テーブル席は空いていた。最近、夜のKFCではワインを出している。女性の一人客が長テーブルでワインを何杯もお代わりしていた。


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 絵は翌日月曜日、行きつけのカフェでモーツアルトのクラリネット協奏曲・K622・第2楽章を聴きながら描いた。モーツアルトは表面は楽しそうだが、孤独が透けて見える。BGMにモーツアルトを選んだのは、ひとり酒の彼女にそれを感じたからだろう。

ビックカメラのポイントが1万近く貯まっていた。先日、そのポイントで6000円ほどのソニーのイアホンを買った。手持ちの曲に電話の呼び出し音が入っていると錯覚する曲がある。そのフレーズに差し掛かると、毎回「誰の携帯だ!!」と周りを見渡していた。しかし、新しいイアホンで聴くと、それは涼やかな鈴の音だった。その程度のイアホンでも高スペックで、違う世界が広がる。

 今日11日は、湯島天神に大祓してもらう人形を納めに行った。
上野で下車して上野公園を抜けた。
相変わらず外国人旅行者が多い。
不忍池弁天堂をお参りして、湯島へ抜けた。


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 不忍池中程にスズメがたむろしている一角がある。
不忍池のスズメは上野動物園で動物たちの餌を横取りしているので体が大きい。

私のすぐ前でホーバリングしながら餌をねだるスズメたちに「何も持って来なくて、ごめんね」と謝った。後ろ向きの1羽のお尻が可愛い。

 来月からは受験シーズンに入る。
湯島天神は相変わらず若い人のお参りが多かった。


 湯島から御徒町へ抜け、途中、松屋で買い物をした。
階段の踊り場のベンチでは、居眠りをしているホームレスらしき人が多かった。
暖房が効いているので快適なようだ。

 アメ横の二木の菓子でとろろ昆布を、隣の果物屋で栃木産の小粒のキウィが25個で500円と激安だったので買った。酸っぱいだろうと思っていたら、帰宅後に食べると意外に甘かった。


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 銀座へ着くと、予報どうり雨になった。
有楽町駅前広場

クリスマスのイルミネーションは雨が降ると美しい。
銀座へ出たのは、それを眺めたかったからだ。

旧知のギャラリー・オカベでお茶をして、丸の内のビル街を抜け東京駅へ向かった。


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 丸の内の中華料理屋のバーカウンター。
6時前で、開店準備中だった。


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 丸の内、洋品店を兼ねたレストラン入り口。


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 東京中央郵便局を改築してできたKITTE=キッテの喫茶コーナーで一休みした。
中央エントランスに置かれた白いクリスマスツリーが美しい。
ライティングされたツリーは7色に変化し、25分ごとにクリスマスの曲が流れた。

私はNHKの傑作「映像の世紀」の加古隆作曲「パリは燃えているか」を聴きながら眺めていた。世界大戦前夜の平和なパリの映像と、この平和なクリスマスツリーの光景に共通したものを感じていたからかもしれない。

小一時間、ぼんやりとクリスマスツリーを眺めてから、帰路についた。
埼京線の戸田公園駅あたりの車内でトラブルがあり、川越行きの電車は全て中止と車内放送が繰り返していた。赤羽駅に着くと、構内を幾人もの鉄道警察官が行き来していた。どうやら刑事事件が起きたようだ。

埼京線はダイヤが乱れているので、赤羽駅で下車し自宅まで歩いた。
お昼から歩き詰めて汗ばんでいたので、冷たい雨が心地よかった。

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 最近、気になった記事。

 インスタグラムなどのSNSを研究している米ハーバード大学のグループによると、投稿写真が青みや灰色がかった暗い色調や、モノクロ風に加工した映像の投稿が多い人は鬱病を発症する寸前の人が多い。グループが考案したプログラムを使った鬱病検出率は70%。一般の医師が診断した検出率50%より有効のようだ。


 中国発記事。日本と中国とではどちらが偉いか、などとの比較テーマが多い。高度成長とバブルが同時に来た中国の価値観はお金が全てで、極端な拝金主義だ。対して、高度成長からバブルへ至り、共に卒業した少子高齢化の日本国民は拝金主義に囚われることなく穏やかな充実した人生を目指している。そのように幸せ感の基本が大きく違っている価値観で両国を比較するのは土台無理だ。
さらに無意味な記事は上海などで暮らしている日本人からの発信だ。なぜか彼らは、起業環境、スマホ、インフラと全てが中国が優れていて、日本は時代遅れの老人ばかりの滅びつつある国と毎回こき下ろしている。中国人がそう言うのなら聞き流すが、日本人が中国の拝金主義に染まり、尻馬に乗って言い立てている姿は情けない。

 人の幸せは金銭で測れるものではない。
高度成長期の日本の所得格差は小さく、1億総中流と言われていた。対して現代中国は、内陸と沿岸部、都会と農村、庶民と企業家、いずれも大きな所得格差の弱肉強食の国だ。さらに極端なコネ社会で、政府や党とコネがない者の成功は厳しい。

幸せは、収入だけでなく医療、福祉、食の安全も大きな要素だ。壮健な若者なら上海や深圳あたりで起業し一旗上げることはできる。しかし、中国は老人が暮らすには厳しい国だ。老いれば病がちになり、病院が身近に必要になる。しかし、真っ当な病院を受診しようとすれば、夜明け前の2時から受付に並ばなければならない。医療費負担もとんでもなく大きく、医師は高慢で、日本のような思いやりはない。そのような中国と日本を比べること自体が無理で、老人たちには、断然、日本の方が住みやすい。

さらに加えれば、中国の金持ちには品格がない。
例えば中国人客は吉原のソープ街で極めて評判が悪い。女の子を粗暴に扱い、金払いが悪く料金を値切り倒す。中国人が金持ちを誇りたいなら、それに似合った品格を身につけるべきだ。


 韓国についての記事は読まなくなった。無関心ではないが、最近はタイトルだけで中身が分かるようになったからだ。あの国では、日本に関してのみ、言論の自由が許されていない。もし、韓国人が反日運動を批判したら、逮捕されるか社会から抹殺されてしまう。

 先日、羽生結弦の番組で、小さなロシアの男の子が羽生に自分で描いた絵を渡すシーンがあった。絵には旭日旗のように太陽が描かれていた。この場面を韓国人の活動家が見たら怒り狂うだろう。
光芒が四方に広がる朝日の図柄は日本独自のデザインではない。古来、欧米でも愛され、デザインに多用されている。ズワイガニ模様や噴水の周りに放射状に配置された敷石にまで怒り狂っている韓国人活動家を見ると滑稽だ。この現状は韓国のアーティストたちにとっては不幸だ。放射状のデザインは力強くとても魅力的なのに、タブー視されていては、韓国アーティストたちの自由な発想は萎縮するだろう。

韓国人観光客の多さや、日本文学などの売れ行きから、実際の極端な反日韓国人は少数だろう。しかし、その少数派が強い政治力を持っている。その結果、日本の韓国疲れは深刻になった。韓国が日本を軽視する以上に、日本は韓国を無視し始めた。


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«簡単に心を無にして悩みから解放される方法。それは古来言い伝えられた格言を覚えることだ。18年12月4日