2018年5月16日 (水)

フリーランスの年齢の壁 18年5月16日

住まい下の荒川土手に以前から50センチほどの桑の木が生えている。
荒川土手は年に3〜4回草刈りをする。
桑はその都度、根元から刈り取られるが、2ケ月ほどで元の丈を回復する。
桑は再生力の強い木だが、この桑を眺めると「自分も頑張らなくては」と励まされる。

今年の荒川河川敷の山桜は例年になくサクランボが大豊作だ。
今年は好天が続いたので、桑の実もとても甘く熟した。
毎日、歩きながら仄苦く甘酸っぱいサクランボと桑の実を贅沢にたっぷり食べている。
田舎ではそのようなことはできない。
なぜなら、どの桜も桑も必ず個人所有者がいて、よそ者が勝手に採って食べると叱責される。
その点、東京の空き地はほとんどが国有地で、誰でも自由に採って食べることができる。


先日、医学冊子の表紙絵を納品した。
7月納品でも良かったが、集中してやりたい個人的な仕事があるので先に済ませた。
時間はたっぷりあったのに、いつもの癖で、納品日前日は徹夜になった。去年あたりから徹夜仕事をすると目の調整機能がガクンと落ちた。筆先が二重に見えてどう頑張っても絵が描けなくなる。以前はなかった症状に老いを強く感じる。

絵を納品した後、銀座へ回って、知人が参加しているグループ展のオープニングに顔を出した。
遠方の知人は上京していない。知人に送るために、会場の様子を写真に撮った。身内ばかりの会場は居心地が悪く、早々に辞した。

好天の銀座は静かだった。以前との違いは、騒々しい中国人を見かけなくなったことだ。もしかすると、彼らは日本の規範を受け入れ、目立たなくなったのかもしれない。

銀座は画廊などの旧知の人たちと会えるのが楽しい。しかし、30度の暑さに加え、徹夜疲れを感じたので長居せずに帰路についた。
北赤羽まで電車で行くつもりだったが、赤羽の埼京線のホームは人で溢れていた。どこかの線路に人が入ったようで電車が止まっていたが待つ気分ではない。赤羽から家まで歩くことにした。その前に、赤羽駅そばのドトールによってコーヒーを飲んで休息した。

疲れていても、赤羽で下車すると安らぐ。
いつもの高架下のショッピングセンターは抜けずに、久しぶりに赤羽台下の道を抜けた。埼京線と新幹線はその道に並行している。以前はそれらの路線はなく、赤羽・池袋間の赤羽線を羊羹色の古い車両が行き来していた。


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右は新幹線と埼京線の高架。
それ以前の平成の初め頃は小さな飲食店が並び、その先に日本通運の作業所があった。その頃、九州へ送る絵を持ち込んで、美術梱包をしてもらって送ったことがある。10万ほどかかったが、高いとは思わなかった。左手の崖は赤羽台の丘陵を削ったもの。崖には軍事用の巨大な防空壕があったが、戦後、石垣で埋められた。

この道には昔の旧居方面へ向かうバス停がある。
不意に、赤いショッピングカートをガラカラ引いてバス停へ向かう母の姿が幻覚のように蘇った。母に声をかけると「おや、いま帰りなの」と嬉しそうに振り返った。そんな情景をリアルに感じたのは寝不足のせいだろう。


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散歩コースの芙蓉。

最近「フリーランスの40歳の壁」の記事を読んだ。
自由業では40歳を過ぎると仕事が激減する、と言った内容だ。
なぜなら、仕事を出すクライアントの担当が作家より若くなって、年上は使いづらくなるかららしい。

私は昭和から平成に変わった頃に、43歳で絵描きに転職した。
絵描きに転向したが、絵は安定して売れないので主軸はイラストに置いた。
40歳過ぎていてもイラストの仕事は断るほど依頼された。それは人脈が良かったからと思っている。
「フリーランスの壁」にも人脈の重要性が書いてあった。
若い頃に編集者やデザイナー達と親しくしておけば、やがて彼らが出世して仕事を出してくれる、と言った内容だった。

今は人脈も役立たないほどにイラスト業界は超氷河期だ。本業だけで食っているイラストレーターをほとんど知らない。対してゲーム業界は活況だ。こちらは高度なCG技術が必要で、誰でも参入はできない。

今は本業の絵も売れなくなった。
日本経済の規模は大きくなったのに、年々絵は売れなくなって行く。銀座あたりの老舗画廊も次々と閉廊している。以前は個展の案内状が毎日送られて来たのに、今は月に1,2枚だ。なぜそのように低迷してしまったのか皆目分からない。私の絵を買ってくれていたのは中小企業の経営者とか、医師、弁護士などだった。それらの伝統的な富裕層の縮小を感じる。これから売れる絵は、有名作品の材質も形状も全く同じクローン絵に変わると思っている。そうなれば、新人が入り込めるチャンスは更に小さくなって行きそうだ。


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絵の納品帰りの車窓から、日暮里駅のホームで見かけた男女。
ともに派手な花柄パンツに黒Tシャツ。
東欧系らしい女性は、携帯をかけている男性の会話を遮るように黒ひげをシゴいていた。
女の手つきが何となくわい雑だったので印象に残った。


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Mas

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2018年5月 8日 (火)

東京連休風景・好天の連休の後の記録的低温 18年5月8日

東京の連休風景が変化した。
10年前のゴールデンウィークは街から人が消えて閑散としていた。今は違う。混み合う行楽地を避けて、都内でのんびり過ごす親子連れが目につく。住まい下の荒川土手も、ジョギングやサイクリングで賑わっていた。この平和で健康的な風景は心地よい。若い頃は、そのような平凡を嫌っていたのに、年を重ねるにつれ価値観が大きく変わった。


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東京北医療センター下の公園。
この広場は桜の頃は花見客で賑わっていた。花見客に踏みつけられたクローバーは回復して、一面花に覆われている。好天だった連休中は、クローバーの花の中にいく組もの母子が腰を下ろして花冠など作って遊んでいた。四葉のクローバーを探している人もいた。四つ葉を見つけた嬉しそうな仕草が遠目にも分かった。


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日曜、病院庭のベンチでお茶を飲んだ。
目の前のクローバーの中で若夫婦らしき男女が四つ葉を探していた。新妻は黒のロングスカートの綺麗な人だった。彼女は長い裾が邪魔なのか、スカートの裾を太ももまでたくし上げて四つ葉を探していた。スラリとした白い足が艶めかしく眩しかった。
傍の老人介護施設「桜の杜」の老入所者が、彼女たちをぼんやり眺めていた。もし、老人にも彼女の綺麗な足が見えたら、その刺激で元気になって、1年くらい長生きできるかもしれない。

5月は1年の中で一番心地よい時期だ。仕事は低迷しているが、この素晴らしい貴重な季節は嫌なことを忘れさせてくれる。歩きながら「至高の生き方は、現実をあるがままに受け入れことだ」の老子の言葉を思い出した。老子は、現実をあるがままに受け入れてしまう赤ん坊を生き方の理想形とした。健康と病、裕福と貧困、権力と被支配。人はプラス面は受け入れるが、マイナス面は素直に受け入れることができず苦悩する。その点、赤ん坊はそれらを他と比較して選り好みしたりはしない。


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ミズキの花簪のような花。
九州の郷里にはない樹木で、上京した当時は、とても珍しかった。

昨日は曇り空の下散歩へ出た。荒川河川敷の熟し始めた桑の実を摘んで食べながら歩いた。桑の実は個体差が大きく、1本毎に甘みが違う。大粒で枝に疎らについている実は甘く、小粒で密集している実は酸っぱい。

東京北医療センターのカフェテリアでコーヒーを飲んだ。飲み終える前に雨が落ち始めた。買い物があるので、急いでコーヒーを飲み干し店を出た。
買い物を終える頃には本降りになって、濡れた衣服に吹き付ける風が冷たかった。


今日は雨は止んだが肌寒く、10年ぶりに最高気温が15度を下回った。
午後遅く、ポツポツと雨が落ち始めた中、散歩へ出た。
冷たい大気は憂鬱な現実を思い出させる。
心底、連休の好天が懐かしくなった。
5月連休の好天は本当に貴重だ。
好天は戻って来るが、その頃の緑は色褪せ、蚊も発生して5月始めの快適さはない。


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連休終わりの夕空。天候の悪化を予感させた。
下は荒川河川敷ゴルフ場。

先日、104歳のオーストラリア人男性が、安楽死目的で欧州へ旅立ったとの記事を読んだ。
彼は長生きしたことをひどく悔やんでいた。
その人は西オーストラリア州に住む植物学の研究者デービッド・グッダルさん。
彼は安楽死支持団体の看護師に付き添われ、スイスのバーゼルにあるクリニックを目指した。
ABC放送のインタビューに「誕生日の願い事がかなうとしたら死を望む。私は幸せではない。死にたいと思う。それはとりたてて悲しいことではない。悲しいのは、死を妨げられることだ」と語っていた。オーストラリア、ビクトリア州は2019年半ばから安楽死を認める計画だが、彼が住む西オーストラリア州は合法化されない。

彼は1914年4月、ロンドンに生まれ。英国、米国、オーストラリアの大学で教鞭をとり、1979年に引退後は生態系の学術書籍を編さんしていた。経歴と現状を見ると、一貫して充実した人生で後悔とは無縁に思える。インタビューに「身体機能や生活の質は悪化しつつあり、更に悪化して不幸になることは望まない」と応えているが、104歳でスイスへ旅できるほどの健康状態は保っている。
安楽死については「人が自ら命を絶つことを選ぶのなら、それは正当な行為であり、他人が介入すべきではない」が彼の考えだ。

彼の死と老いに対する考えはとても興味深い。老人医療を専門にしている医師から「長生きすると死に対する恐れが薄れる。それは神の恩顧かもしれない」と聞いたことがある。だから、100歳を過ぎてからの自死は極めて稀だ。私見だが、彼は人生に満足しなかったのでは、との疑念が募る。しかし、世の中には自殺する人は多い。最近では西部邁氏の自死が印象深い。

彼は100歳を超えていたことだけが特異なだけで、一般的な自死と同じと捉えるべきかもしれない。それにしても、数年で自然死が訪れるのに、死を早める心情は興味深い。死に対する恐れについては仕組みが解明され医学で解決できると思っている。その頃は薬物や心理療法で、死期が近くなったら、人は苦しんだり悩んだりせず、眠りを待つように死の訪れを待ち焦がれるようになると思っている。


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病院下公園の寒い雨と散り始めた石楠花。
今年は一段と鮮やかに咲いた。
背景は桜並木。


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Mas

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2018年4月26日 (木)

現代人の孤独考その二。18年4月26日

ライン・ミュージックのCMが好きだ。
心地よい日差しの中で可愛い女子高生が、調子外れに歌いながらぎこちなく体をゆするように踊っている。
彼女の楽しげな表情に青春を感じる。
あの年の頃は、訳もなく幸せ感に満たされたり、寂しさに囚われたりしていた。

散歩の行きがけ、10年以上前に急死した母の家庭医のKさんの小さな診療室前を通った。
Kさんが亡くなってから、診療室は空室のままだ。
家主は裕福な人で、もう誰にも貸す気はないようだ。
診療室の窓の内側にはまだKさんの魂が彷徨っている感じがする。
埃に覆われた診察室で「何故、誰もいないのだろう」とKさんが悄然と座っている姿を幻のように感じる。

散歩道に、そのように放置された空間が増えた。
御諏訪神社下の蕎麦屋は去年突然に休業した。
すぐに再開すると思っていたが、「しばらく休業いたします」の張り紙はすでに色あせ始めた。中を覗くと昨日まで営業していたように、什器類と出前のバイクが雑然と置かれている。
店主は赤ら顔の太った人だった。
霙の寒い日、出前途中の彼が信号待ちをしながら2リットルボトルのジュースを一気飲みをしている姿を目撃したことがある。彼はかなり進行した糖尿病だったのかもしれない。

東京北医療センターの庭から下の公園へ、板張りの長いスロープを下った。
15年近く昔の今の季節、そのスロープを母の車椅子を押して下っているとギターと歌声が聞こえた。見ると金髪の綺麗な白人の女の子が透明な美しい歌声でギターを弾いている。住まいでは近所迷惑なので公園を選んだのだろう。心に染み入る旋律だったが曲名は分からなかった。
彼女は暑くなると現れなくなった。引っ越したのか、それとも蚊に悩まされて来なくなったのか、ほのかに寂しさが残った。

風景の喪失、親しい人の喪失、体力の喪失、失われたものは心に残る。
8年前に母が逝ってから、突然に自分の死が間近に見え始めた。
死は恐れてはいないが、老いもまた失うものが多くて心が乾く。

東洋思想では人生を陰陽を基に考える。
陰だけでも陽だけでも、人生は完全ではない。
ともにバランス良くあって人生は完全となる。
陽の楽しさや幸せ感は誰もが容易に受け入れる。
しかし、陰の孤独や寂しさは難しい。
だから公園のベンチにぼーっと腰掛け、木立の梢を見上げながら陰陽のバランスを取っているのだろう。

人の体には盲腸とか扁桃腺とか、機能がよく分かっていない器官がいくつもある。
昔はそれらの器官は不要のものとして、簡単に切除していた。
現代医学の考えでは体の器官に不要なものはなく、それぞれに大切な役割がある。
同じように孤独感や寂しさにも重要な役割があって、それがあるから人は活き活きと生きられる。

創造のほとんどは負のエネルギーに依存している。
昔の文士たちは自ら破滅して、その苦しさを作品作りのエネルギーにした。
もし幸せだったら、人生はそこで完結し、敢えてもの書きなどする必要がないからだ。
負の要素は、人生を美味しくするスパイスみたいなものと思っている。
だから気分が滅入っても、それを否定したことはない。


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荒川河川敷ゴルフ場脇の自然林。
昨日今日と初夏のような素晴らしい好天だ。
どんなに辛い時でも、新緑に包まれていると辛さは雲散霧消してしまう。
自然は本当に素晴らしい。厳冬期の荒野でも、真夏のむせかえるような草原でも寂しさは感じない。人の孤独感や寂しさは、自然によって生き抜く力に変換されているのかもしれない。


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野薔薇


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上流の奥秩父あたりから流れ着いて実生したオニグルミ。


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まだ未熟な山桜の実。
昔の子供は濃紫に熟したサクランボを喜んで食べていたが、ほろ苦くて酸っぱくて現代児には好まれない。それでもすぐになくなるのは、年寄りたちが懐かしがって食べているからだろう。


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未熟な桑の実。半月もすると甘く熟す。
河川敷には無尽蔵にあるが、最近は採りに来る人が増えた。


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赤羽台に住んでいる頃、毎日、ガラス戸にしがみついて母を覗いて行く黒猫がいた。
思い出したのは、散歩道のツツジの植え込みの陰でくつろいでいる黒猫がいたからだ。
物陰の黒猫は自分は人には見えないと安心しきっていた。
だから、声をかけると、
「どうして見つかったのニャ」
と不思議な顔をした。


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2018年4月18日 (水)

貧富に関係なく、現代人は様々な孤独と戦っていた。18年4月18日

文書ソフトJedit X をJedit Ω proにバージョンアップさせた。今までのバージョンは文字入力すると、通常は平仮名表記の言葉まで不自然に漢字変換する癖があり平仮名へ戻すのが大変だった。それはバージョンアップでやや修正された。

バージョンアップすると旧文書ファイルを新ソフト対応に変更する必要がある。その作業をしながら、ついつい昔の日記を読んでしまった。それは大掃除の時に畳の下に敷いた古新聞に読み耽る心境と似ている。その中で13年前の2005年6月19日の日記が目にとまった。

その頃、母は肝臓ガン手術が成功して体調は安定していた。母を自然公園へリハビリに連れて行った帰り、桐が丘団地を抜けることがあった。その道で車椅子を押す親子によく出会った。車椅子に乗っているのは交通事故で重度の障害を負った息子だった。大柄な息子を小柄な70歳ほどの母親が押すのは大変そうだったが、暑い日も休まず施設へ連れて行っていると彼女は話していた。

三十代後半の息子の頭には半分を縦断する大きな手術跡があった。それは十年前の交通事故の跡で、生死を彷徨いなが奇跡的に助かった。彼女は今も、事故の知らせがあった午後3時になると胸が苦し苦なると話していた。彼女の人生はその一瞬から激変し、夢見ていた息子夫婦と孫達に囲まれた穏やかな老後を完全に失ってしまった。

それから数年後、親子とはまったく出会わなくなった。元気なら母親は80代中ば、息子は50代前半だ。13年の年月は一瞬で過ぎてしまう。過ぎてしまった年月に隔たりを感じないのは、人は時間の幅を記憶できないからだ。時間の幅は記憶を時系列に遡ることでしか認識できない。そして今現在もまた一瞬も休むことなく過去に取り込まれ、人は今現在を認識することができない。今現在は理論的に存在するだけで、人はそれもまた認識できない。

現代宇宙論の一つに、宇宙はシャボン玉の表面のような二次元で、我々が感じる宇宙はシャボン玉中のような空間に二次元の情報が映し出された幻覚である、との考えがある。人が認識している現実も同じように、脳の記憶域に収まった情報をホログラムのように脳内に立体化して認識しているにすぎない。


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雨上がりの河川敷ゴルフ場。

世の中には、豊かな人、貧しい人、才能がある人、権力者、不幸な人と様々いる。
それらの違いは、過去の積み重ねによって生まれる。
未来は過去からの因果関係で形作られることは間違いないが、それは不確実なものだ。
それを痛烈に感じたのは、阪神大震災と三陸大津波の時だった。
地震が起きる寸前まで平和な日常が流れていたのに、被災後に多くの人が命や大切な人を失って不幸のどん底へ落とされてしまった。


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東京北医療センター下の公園。

荘子の名言に「不測に立ちて無有に遊ぶ」がある。
意味は・・・明日のことは考えたり計画したりせず、今起きていることに対して受け身に素直に従えば、生き生きとした人生を送ることができる。未来を予測したり、その結果を他と比べてはならない。悪い結果を否定してしまうのは、他と比較して劣っていると思うからだ。未来も同じで、他と比較することで、結果や運命は良くなったり悪くなったり不安定に揺れ動く。

命は不安定でいつ失うか分からないし、最終的に誰もが失うものだ。どのような権力者でも、惨めな貧乏人と同じように最後に死が訪れる。不幸な人は死を受け入れる能力が優れていて、権力者たちより穏やかに受け入れてしまう。ガン宣告を受けてうろたえ「いくら金がかかっても良いから治して欲しい」と医師に虚しく懇願するのは権力者たちだ。今、世界で一番命が不安定で、不安に苛まれている権力者は北の将軍様だろう。

 人生は死への前奏曲である リスト


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ベンチから顔を出しているハルジオン。
人気のあるベンチだが、いつもハルジオンは無傷でいる。
みんなが気をつけて腰掛けてくれるからだろう。


息子をリハビリに連れて行く母親に出会った頃、毎日のように自然公園に心を病んだ40代ほどの息子の手を引いて散歩に来る70代ほどの老夫婦がいた。
老親はいずれ障害を持つ息子を残して、先に逝かねばならない。13年を経て、あの老夫婦のどちらかが逝ってしまったかもしれない。しかし、障害者を大切にする体制はできていて、健常者よりケアをしっかり受けて穏やかな生活を送ることができる。孤独による自殺のほとんどは、ケアシステムの外に放置された健常者たちが占めている。


孤独に関して、先週の「世界の哲学者に人生相談・孤独を抜け出るには」は面白かった。
ゲストの石井竜也氏は借金地獄に陥った時の孤独体験を涙ながらに語っていた。
番組中で哲学者が考えた「孤独から抜け出す秘けつ」はユニークで説得力があった。
リトアニア、カウナス出身のユダヤ人、レヴィナスは親兄弟をナチスに虐殺される壮絶な体験をした。その結果、彼は極度の孤独に晒され、人の顔がのっぺらぼうに感じられることに苦しんだ。
彼はその解決方法を必死に考え、ある簡単な方法を思いついた。それは知らない人の顔を60秒眺めるだけの方法だ。ただそれだけで知らない相手の人間性が見え、孤独感から解放される、というものだった。

この「世界の哲学者に人生相談」は哲学の面白さを伝える好番組だ。
司会の高田純次は、いつものいい加減さに崩れてしまいそうで崩れない。
ゲストの芸人や歌手やタレントたちが熱くなって熱弁を振るうのも新鮮だ。

その翌日に偶然見た、「ドキュランドへようこそ!クラシック界の貴公子シエム」も良かった。
番組の出だしに、イタリアあたりの観光地の町にふらりと半ズボンのラフな青年が現れる。青年はポルシェの販売店に入ってすぐに真っ赤なポルシェを買い、海沿いの険しい道へドライブにでる。

それがヴァイオリンの才能に恵まれ、貴公子のような容姿で世界の女性立ちをとりこにしているシエムだった。資産家の家庭に生まれ、華麗な学歴。すべてを手にしているように見えるシエムは「実は孤独とたたかっている」と告白していた。信じられないが、彼は6年前に恋人と別れてから一人のままだ。ここにもまた孤独な者がいた。

番組背景のヨーロッパの文化は重厚だった。
対して上海公演では文化のかけらも感じなかった。
演奏会の前振りで、バニーちゃん姿の黒づくめの女たちと、シルクハットの黒服の男たちが下手なダンスをしていたのが時代遅れのセンスで、見ていて恥ずかしくなった。
シエムの歓迎パーティーの出席者たちが黒ずくめなのも、服装を自由にさせたら趣味の悪さが露呈するので主催者が黒服指定にしたのだろう。

最近、中華文化を捨ててしまったことを嘆く中国人が多い。
それはこのような情景を言っているのだろう。
中国人が伝統文化を維持していると褒める日本なら、華やかな着物姿や、自由奔放なドレス姿、会場のいたるところに華麗な生け花が飾ってあったりして、ヨーロッパとは異質の個性を演出したはずだ。シエム自身も上海はつまらなかったようで、街を出歩くことなく、ホテルにこもりっきりで、終始、不機嫌だった。


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昨日の寒い雨の中。
東京北医療センターへの見舞い帰りらしい二家族。

ヒーローになりきっている7,8歳の男の子たち。
花模様の傘で楽しそうに相合傘をしている女の子二人。
どれも、とても可愛かった。


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2018年4月 7日 (土)

経済発展を歪に疾走する中国は若者にはチャンスがあるが、老人は極めて厳しい生活を強いられる。18年4月7日

民放のバラエティ番組はどれも疲れる。
空虚な歓声ばかりが耳に刺さる。
だから、静かなEテレを点けて仕事をしている。
昨夜は又吉直樹のヘウレーカの「なぜ植物はスキマに生えるのか」を仕事をしながら聞いていた。
隙間植物は昔から好きだ。
殊に、路傍のコンクリートの隙間で数種の植物が家族のように身を寄せ合っている姿が幸せそうで好きだ。植物学者によると、コンクリートのひび割れは、水分が十分にあり、競争相手もなくて、植物にとって居心地の良い環境らしい。


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昔撮った路傍のスミレ。


昨夜は又吉直樹のヘウレーカには中学生のオオバコ研究家が登場した。
彼は小学生の頃に、オオバコの研究で表彰された。彼の研究によると、オオバコは歩道の真ん中に好んで生える。なぜなら、オオバコは踏み付けられることに強靭に耐え、他の植物が全滅しても生き残るかららしい。
彼は小学生の頃にそれに気づいて、漬物重しで腕が痛くなるほど様々な植物を踏みつける実験をし、オオバコだけが生き残ることを証明した。彼のような地道に好きなことに熱中する子供を見ると日本の未来に希望が持てる。

ソメイヨシノが散ると街が暗くなったように感じる。
「花明かり」との言葉があるが、その通りだ。
満開の桜並木道は街灯を反射し、歩道を明るく照らしていた。
今年はソメイヨシノの花期に雨が一度も降らなかった。
おかげて、散った花弁はすぐに乾燥し、粉になって風に飛ばされ、いつものピンク色の花弁に覆われた歩道が見られなかった。


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病院下の公園。
八重桜が満開だが、花見客は皆無だ。


中国が経済発達するにつれ、中国礼賛をあちこちのネット記事で目にする。
中国から日本に移住し、永住権をとった知的エリート達は、それらを複雑な視線で眺めている。
収入だけを見たら、中国へ戻る方が稼げる。しかし、子育てと老後を考えると日本の方が豊かだ。子供時代は激烈な競争を強いられる中国より日本の方がのんびりしていて良い。老後は国民健康保険制度が充実している日本の方が安心して老いることができる。経済が全てではない。それぞれの視点の位置によって環境は大きく変わる。

日本の医療は極めて恵まれている。医療の質では世界トップクラスと言っていい。
欧米では家庭医制度が一般的で、全ての医療は地域の家庭医を通じて行われる。もし、住んでいる地域の指定医が優秀なら恵まれた医療を受けられるが、無能だと悲劇になる。その点、日本では自由に医師を選ぶことができる。これは患者にとって素晴らしい制度だ。

先日、中国の医療破綻したエリートビジネスマンの記事を読んだ。
今年1月、彼の義理の父が風邪を患い、病院を受診したが病状が一向に改善しないまま病院を転々とした。入院当初、ICUに入っている間の入院費と治療費は1日に2万元(約32万円)。もしそのまま長期入院となれば、彼の資産はやがて払底する。
彼は治療費以外に輸血用血液を闇で高額なお金を支払って入手した。入院や薬の円滑な調達のためのコネ、お世話になった人々への「謝礼」など治療費以外の出費も大きかった。もし、日本なら、それらの予定外の出費への心配は全くない。
彼は結局、散財したあげく、義父の命と多くの資産を失って終わった。彼は、中国ではかなり恵まれた存在だった。高学歴で金融関係の仕事をし、事業でも成功して一財産を築いてきた。マイホームやマイカーを持ち、金融資産があり、一般の人より裕福な生活をしている典型的なエリートだった。高額治療費の支払い能力があり、良い病院と良い医師の情報が得られる環境にいて、良質の病院に入院できるコネがあり、献血してくれる友人たちに多数の親戚たち、セカンドオピニオンとして相談に乗ってくれる医師の友人もいた。それなのに、わずかな期間で義父の治療費のために追い詰められた。

中国の医療事情は極めて劣悪だ。
治療費を前払いしないと受診できない。
医師は横柄で裕福でない患者は人間扱いされない。
その結果、患者に恨まれて襲撃される医療従事者が後を絶たない。
襲撃に備え、ヘルメットをかぶって出勤する医師の話があるほどに状況は深刻だ。
そのような中国では日本と逆に、医師は自分の子供を医師にしたがらない。

最近、中国礼賛をする中国で働いている日本人が多いが、彼らは中国で病気になったら日本へ一直線に飛んで帰る。まして老後を中国で過ごすなど、正気の沙汰ではない。中国で稼ぐだけ稼いたら、老後は日本で送るつもりでいる。

先日の中国ニュースで、四川料理だったと思うが、ある料理店の激辛料理にケシの実の殻を粉末にしたものを加え売り上げを伸ばしていた。それが分かったのは、料理を食べた客が警察の取り調べを受けた時、血液から麻薬成分が検出されてそのことが判明した。ケシの実の殻を入れた理由は、料理が美味しく感じられて病みつきになり、売り上げを伸ばせるからだ。もし、それが日本人旅行者だったら、確実に厳罰に処される。

最近は話題にもならないが、現在、アジア各国で、若い日本人旅行者が麻薬密売の疑いをかけられて死刑判決を受けた者が40人ほどいる。そのほとんどは、親しくなった現地人から他国へ密かに麻薬が隠された土産を託され、それが見つかっての死刑判決だ。

中国は犯罪が減っている。理由はいたるところに配置された1億台以上の監視カメラのおかげだ。監視カメラは人工知能で管理され、もし手配されると10分ほどで見つかってしまう。
それについて、英国の顔認識の研究家が面白い実験をしていた。他人の顔の写真を顔にかざすと、AIは自分を他人と認識する。それで、瞬きをしない顔写真は偽物と判断するように研究者は進化させた。しかし、3Dプリンターで作った他人のお面を被り、瞬きできるようにしたら、またしても他人と勘違いした。
現代の中国人ならその手法で他人になりすまし、犯罪を犯しているのかもしれない。

現代中国では、ゴミのポイ捨てから交通違反、貸し自転車の放置、すべて国家記録に残され、負の遺産として就職から進学まで全てで不利に働く。だから、日本に永住権を持つエリート中国人は、妻子を日本に残して母国で稼げるだけ稼いだら、のんびりできる日本へ戻って来ることになる。


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散歩友達。

夢さめて ミントの空へ 天使去る
行く人の 声静かなり 花の道

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«春爛漫、連日桜三昧。孤島で暮らす老いた母娘に孤独の概念を覆させられた。18年3月28日