2018年2月 9日 (金)

逆流性食道炎の検査に胃カメラを飲みピロリ菌の検査をした。18年2月9日

緑道公園の舗道脇の凍った土を蹴ると、霜柱が砕けてきらきら光った。
雪は路傍に積み上げたまま硬く凍っている。
この雪が溶けずに残っている間は寒い。

去年の10月から大晦日まで、厄介な仕事をしていた。
そのストレスで胃酸過多になり、胸焼けをするようになった。
胃腸は丈夫で、胃腸薬を飲むことは殆どなかった。
今回は我慢できず、生まれて初めて炭酸水素ナトリウムと炭酸カルシウムを主剤にしたパンシロンを飲んだ。これは劇的に効いて胸焼けは一瞬で消えた。しかし、治療薬ではないので原因は残ったままだ。

5日月曜に生協浮間診療所へ受診へ出かけた。
この診療所では数ヶ月に一度、睡眠導入剤のレンドルミンを処方してもらっている。担当医は坊主頭の温和で誠実な若いS医師だった。
丁寧な診察の後、
「一度、胃カメラで食道から胃壁を確認したが良いですね」と、告げられた。
しかし、胃カメラのセットはこの診療所にはない。
医師は新河岸川向こうの南原内科クリニックを紹介すると言った。そのクリニックは散歩途中にあるので、直接寄って相談してみると答えた。

埼京線の高架下にある南原クリニックには、サラリーマンらしい患者が4,5人待っていた。しかし、10分ほどで診察室に呼ばれた。医師の問診の後、8日木曜日の午後2時に胃カメラとピロリ菌の検査をすることになった。

私の年代の子供時代は衛生状態が悪く、汚染した井戸水によるピロリ菌感染は多い。昔は全世界のほとんどの人が感染していたが、水道の普及に従って感染者は減った。ピロリ菌に感染すると100パーセント胃炎を引き起こし、慢性胃炎から萎縮性胃炎に移行して、高率に胃ガンを発症する。感染がわかった場合は、一週間ほど抗生物質を飲んでピロリ菌を除去する。治療が成功すれば胃は健康になり胃がんの危険も消える。

胃カメラの予約日まで制酸剤を処方してもらった。この薬も劇的に効いて胸焼けは雲散霧消して食欲も回復した。それまで、粘りっけの強い食べ物を飲み込むと、灼熱感がみぞおちから両脇へ放散していのが嘘のように消えた。この様子では、悪い結果はなさそうだ。

まだ、悪性のものの有無は不明だが、年を取ってから、検査結果が気にならなくなった。もし悪性のものが見つかって精密検査になったとしても、そのとき考えたら良いと、おおらかに考えられるようになった。そのように考え方が変化したのは母の死が大きく影響している。家族への責任がなくなったので、自分の健康に対して気にならなくなった。


去年、末期ガンの医師のドキュメンタリーを見た。末期ガンの宣告も淡々と受け入れ、同じガン患者たちに明るく話していた。その人は僧職にもあり、同じく医師をしている妻と一緒に、末期ガン患者たちのケアをしていた。

しかし、半年足らずでガンは悪化し、激痛に苦しむようになった。彼は妻に、激痛を緩和する麻酔剤の処方を懇願したが、彼女は死期を早めるその処方を拒否した。彼は次第に死への不安にも苦しむようになり、やがて意識をなくし、あっけなく逝ってしまった。
自分もその医師と同じだ。ガン宣告を受けても症状がなければ平気で暮らせるが、症状が出始めたら悩み苦しむはずだ。


7日は初午だった。
シャワーを浴びて、王子稲荷神社へお詣りする前に大塚の眼科へ定期検診へ出かけた。
駅前の飲食店街では、革ジャンの逞しい若者が警官に取り囲まれ、毒づきながら大騒ぎしていた。
眼科では視野検査をしたが異常はなかった。
帰り、騒ぎはまだ続いていて、革ジャンの若者はおとなしく腕をまくられ注射跡を調べられていた。多分、問題を起こして通報され、麻薬保持を疑われていたのだろう。


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駅前で都電に乗車した。大塚駅から乗車するのは50年ぶりだ。


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大塚から王子へ行くには都電が最短距離だ。


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王子駅の前の飛鳥山前で下車した。


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飛鳥山前の古い質屋。
質屋は金融業ではなく古物商に近い。抵当物件である質草を預けているので返済の必要はない。だから、質入れで家庭が崩壊することはない。我が家も昔はよく利用していた。その頃は、毎月金利のみを入れて質草が流れないようにしていた。当時は古い服でも鍋釜でも、どんな物にも価値があり、そのように生活費に充てることができた。
古い質屋を眺めながら、フーッと暖かい気持ちが過った。


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夜店の通りは近隣の専門学校の若者たちで大混雑だった。


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しかし、王子稲荷神社へのお参りは少なく、いつもの長い行列はなく、すぐにお参りできた。
王子稲荷神社から王子神社へお参りして帰宅した。


8日は指示されていたように朝食を抜いて南原内科クリニックへ出かけた。
まず超音波で内蔵の状態を調べた。肝臓、腎臓、膵臓の異常はなかった。次に喉の麻酔薬を飲み、痛みを緩和する注射を受け、それから胃カメラを飲んだ。
南原医師は胃カメラの達人で、苦痛は全くなかった。
南原医師からバスガイドのように画面の説明を受けながら食道から十二指腸の内壁を眺めていた。食道も胃壁も十二指腸も健康だったが、噴門部が胃液の逆流でただれ出血していた。
「これでは痛かったでしょう。制酸剤を飲めば簡単に治りますよ」
医師は慰めなから、ピロリ菌の検査のために、胃壁の一部を採取した。

ピロリ菌検査結果はすぐに出て、感染はなかった。
医師と少し雑談をして医院をでた。
費用は保険が効くので、すべての検査で4500円だった。日本の医療と保険制度は本当に素晴らしい。一説では米国で同じ検査をすると50万は取られるようだ。

安堵から体が軽くなって、無性にステーキが食べたくなった。
ステーキのチエーン店へ行って、400グラムのアンガス牛の赤身をミディアムで食べた。
食べ物が美味いのはとても幸せだ。

ちなみに平昌オリンピックは全く見ない。
スポーツニュースが始まればすぐにチャンネルを変えている。


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Mas

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2018年2月 3日 (土)

老後に稼げる額と、IT企業の定年は35歳。18年2月3日

夜来の雪は昼過ぎには消えた。
寒さは厳しいが、淡雪に春の足音を感じる。


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荒川土手と河川敷のゴルフ場。

相変わらず貧乏絵描きをしているが、今はポツポツと仕事が入り、最悪ではない。
しかし、先行きはどうなるかわからない。
それで、シルバー人材センターへ行って、今の自分が働いて得られる収入を調べてみた。

最高額は北区が雇用するふれあい館管理で、月平均就労76時間=77,365円。
楽な仕事だが70歳までの年齢制限あり。
次は北区管理の駐輪場管理人で、月平均就労91時間=77,365円と収入はふれあい館と同じ。就労時間が15時間多い分収入は少ない。こちらは年齢制限はない。
いずれも競争率は異常に高く「まず就労は難しいですね」と係員は話していた。
それ以外の仕事のほとんどの月収は少なく、平均3〜5万円ほどだった。
シルバー人材センターで調べて分かったのは、年金でなんとか生活できるお年寄りが、暇な時間を有効活用してお小遣いを稼ぎたい場合のみに適合し、生活費のために働きたい人には不向きだった。


昔、知人は大企業のIT部門でプログム開発にあたっていた。
当時はコンピューター草創期で、将来を嘱望された最先鋭の仕事だった。
しかし、彼は30代半ばで突然退社し、電子部品関係の小さな商社を始めた。
「なぜ安定した仕事を捨てたのか」と問いただすと「プログラム開発は35歳に壁があり、幹部候補以外のほとんどは他部署に回される。だから退社した」と話していた。

彼の商社は時代の波に乗り順調に売り上げを伸ばしたが、2000年を過ぎたあたりから下降線をたどり自然消滅した。
数年前、風の噂で70歳間近の彼は私大の用務員をしていると聞いた。
「エリートコースを歩いていたのに、落ちぶれてしまったか」と同情していたが、シルバー人材センターへ行ってそれは勘違いだと知った。

用務員の仕事は電球の取り替えとか、備品の簡単な修理とか軽い仕事ばかりだ。清掃などの業務は外部に任せるので、さほど大変な仕事ではない。それでいて20数万の月収があり福利厚生もしっかりしている。比べて、シルバー人材センター所属の一般老人は、せいぜい月平均4,5万ほどだ。老人仕事の中で彼は勝ち組だった。


今、中国・深圳のIT系企業は大躍進していて、新入社員でも優秀なら年収は1000万を軽く超える。しかし、実態は大変に厳しく、幹部候補生以外は35歳で退社させられる。それは韓国も似ていて、サムソンでは40歳前に退社を迫られる。

それに関連して、シリコンバレーで働いていた日本人についての記事を読んだ。
彼は関西の名門校から東工大に現役合格した。
在学中に仲間と連れ立ちITペンチャー企業に入り浸り感化された。それですぐに東工大を中退し、米西海岸の大学へ留学した。

米大での在学中、ロスやサンフランシスコのIT企業で働くと、日本の数倍の年収2000万ほど稼げた。それで米大も中退し、シリコンバレーで本格的に働き始めた。

年収は十分にあったが、彼はどうしても個人主義の米国には馴染めず、いつまでたっても友達も恋人もできなかった。高価な食事。高価な服に時計。贅沢はできたが砂を食む思いだった。
そのうち彼はレイオフにあい帰国を決意した。
その時の30歳を超えたばかりの彼の所持金は、退職金2000万、貯蓄2000万、株3000万と合計7000万ほど。普通なら、若者には多すぎるくらいの資金で、旅行をしたり、タイあたりで数年のんびり過ごしたりするのだろうが、彼はすぐに日本のIT企業に再就職した。
IT業界の35歳の壁が彼の脳裏にあり、焦ったのかもしれない。

日本企業では収入は3分の1に落ち、就労時間は連日深夜までの残業が続いた。その上、期待した友人も恋人もできないまま酒に溺れるようになった。
楽しみはネットでの株投資だけだったが、アルコール漬けの頭ではミスの繰り返しで、7000万ほどの貯蓄はあっという間に消えてしまった。

気の毒だが、彼は生き方を間違えていた。
若い頃の彼はお金さえあれば幸せになれると信じていたようだ。
その分、お金以外の知識は疎くて、友人も恋人もできなかったのかもしれない。

そんな彼は酒に溺れて落ちるまで落ち、どん底へ達すれば、人はどう生きたら幸せになれるのか分かるかもしれない。もしかすると、すでに彼は、お金だけでは幸せになれないと感じているのかもしれない。


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Mas

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2018年1月24日 (水)

20センチ越えの大雪と、人工知能が目指す無人国家と、西部邁の死と「川は流れる」。18年1月24日

22日月曜日、久しぶりの大雪だった。
午後3時、雪が激しくなったので写真撮りに出た。


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荒川土手は北風が吹き付け、ビニール傘に雪が凍りつく。
吹雪にも関わらず、インスタ用の写真撮りの女性に幾人も出会った。大雪は滅多にないインスタ映えの機会なのだろう。
いつも行くカフテリアで一休みして、日が暮れないうちに周りの雪景色を撮った。


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東京北医療センター庭

病院下の桜並木をミニバンが大きくダッチロールしながら猛スピードで過ぎて行った。若者の無謀運転かと思ったら、運転していたのは老人だ。雪道の危険性を全く自覚していない様子だった。


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帰り道、夜になっても降雪は弱まらず、さらに雪は積もっていた。

買い物を済ませ、6時に帰宅した。炬燵をつけてホッとする間もなく、外でガタンと大きな音がして停電した。非常用懐中電灯を点け、ろうそくを探し出して灯した。

停電では何もできず時間はゆっくりと流れる。昔、登山をしていた頃の夜を思い出す。聴覚が鋭くなり、遠くの木から落ちる雪の音が聞こえた。

30分ほどしてやっと回復した。都内の停電は長くても10分以内に回復するので、今回は異常に長い。夜11時、玄関を開けて荒川対岸の川口市を眺めたが、まだ雪に霞んで何も見えなかった。気象庁発表の東京の気温よりこの辺りは2,3度は低いので、外はすでに氷点下まで下がっているだろう。


23日、日中は比較的暖かい。
雪解けが進むのを待って散歩へ出た。
散歩コースの8割は除雪してあるが、残りは踏み固められて歩きにくい。アウトドア用の革靴が重く、いつもより疲れた。
帰り道、濡れた舗道が凍り始め、氷の結晶が小さくキラめいていた。


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夕暮れの荒川土手。


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 雪の朝 紅さすきみを 幻に

昔の句だ。この写真はたくさんの山茶花だが、句は新雪に落ちた一枚の花弁を詠んだ。

午前0時、玄関前通路に置いた温度計は-1度。明日朝は-7度あたりまで下がりそうだ。ちなみに、我が家あたりの気温はさいたま市とほぼ同じ。24日朝のさいたま市は-8.6度で観測史上最低気温。だから、-7度以下に下がっていたかもしれない。

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散歩途中、環八沿いの旧居近くに差し掛かると、いつも住んでいた13階の部屋を見上げる。夜になっても明かりがついている部屋はとても少ない。しかし、稀にその部屋に小さな明かりが点いていると昔を思い出す。

母が健在の頃は、明かりが見えるとホッとした。幸せというほどではないが、あの頃は今よりずっと穏やかな時間が流れていた。

今の住まいは公営で、家族がいないと入居できない。それで姉と暮らしている。
買い物も料理も洗濯も全てそれぞれ別個なので、二人はただの同居人のようなものだ。

母は絵を描くことや手芸が大好きで、いつも休みなく何か作っていた。しかし姉は、テレビを見ているかごろ寝しているかどちらかだ。
母と私は共通項が多く会話は多かった。しかし、姉とは考えの共通項がなく、1日に数度「アー」とか「ウー」とか短い言葉を交わすだけだ。
そんな姉でも死別したら寂しいのかもしれない。


先日、各国の未来技術の実験場となっているシンガポールを特集していた。未来技術の大半はAIを使った無人化技術だ。
「車の運転も、流通も、総て無人化を進め、社会の無人化を達成します」
シンガポールの担当官は胸を張ってインタビューに答えていた。
「ほほう、それで国民も無くしてしまう訳か・・」
AIと機械だけの荒漠とした街を想像しながら苦笑してしまった。

彼が自慢するように、シンガポールはすでに近未来に近づいている。日本より所得が多い彼らは家庭で料理をしない。食事は朝から外食ですます。彼らの冷蔵庫に食材は一切なく飲み物だけだ。だから台所にはまな板も包丁もない。
外へ出れば箱のような建物ばかりで、人臭い胡散臭さがない。そんな街は私には退屈で、半日も耐えられそうにない。

Eテレで未来学者が、寂しさもAIが解決してくれるので、未来社会では誰とも関わらず一人で生活できるようになると話していた。
そのころは人工知能が人の脳とダイレクトに繋がり、勉強しなくても世界中の知識を身につけることができる。バーチャルリアルティにおいても脳自体がそれを感じるようになり、恋愛も冒険も実体験するようにAIに感じさせてもらう時代が来る。

荘子の胡蝶夢は、現実が夢なのか、夢が現実なのか分からない、と言った寓話だが、近未来ではそれが実現しそうだ。

そのような未来社会では、ストレスを伴うリアルな恋愛や結婚をする者は激減し、大半の人が一人暮らしを選ぶようになる。そうなれば人口は激減し、シンガポールの役人が嬉々として話していたように地球は無人化するのだろう。


右派の評論家の西部邁氏が先日、多摩川に入水自殺した。享年78歳。
昔、私は左寄りだったので、彼の考えは受け入れ難かった。しかし、歳をとるにつれ、彼の考えに共感することが増えた。

精神科医が書いた自殺の本に、真冬に入水自殺する人は死への強固な意思がある、と書かれていた。自殺未遂する者は死に対して曖昧な気持ちがあり、楽な死を選んで失敗するようだ。

彼は2014年に伴侶に先立たれ、厭世観に囚われるようになった。体調が悪かったことが死を選んだ要因だが、社会的評価も高く家族にも恵まれていたのに、最後にたどり着いた荒涼とした心を思うと胸が痛んだ。

彼は東大生の頃、全学連の中央執行委員だったが、昭和36年に活動と決別した。
その頃、仲宗根美樹「川は流れる」が大ヒットした。
彼はその曲が大好きで、晩年になっても、いつも口ずさんでいたようだ。

「あの曲が好きだったので川への入水自殺を選んだろう」
自殺報道の中で彼を知る人が話していた。
それで、iPodに入れてあった「川は流れる」を聴いてみた。
曲は仲宗根美樹ではなく高橋真梨子だ。

 病葉(わくらば)を きょうも浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて 哀しみに 染まる瞳に たそがれの 水のまぶしさ・・・

素晴らしい歌詞の名曲だ。
高校の頃、音楽部主催の合唱会が開催された。
校内にはハスが生い茂る弦月湖と呼ばれる広い沼地があった。
その傍の古い木造講堂壁の陽だまりに若い男女が集まり「川は流れる」の合唱が始まった。
私は集団からから離れ弦月湖の岸辺でガリ版刷りの「川は流れる」の歌詞を眺めていた。南九州は歌のうまい者が多い。若者たちの大熱唱が今も心に深く深く残っている。


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2018年1月16日 (火)

今日は誕生日。祝いメールは企業の営業ばかり。運は低迷しているが明けない夜はない。そろそろ夜明けを迎えそうだ。18年1月16日

今日は73回目の誕生日。昨日までの厳しい寒さは緩み、日中は12,3度まで上昇との予報。いつもの習慣で過去の誕生日の日記を読んだ。

・・・去年の誕生日。
今朝、再度土手上で測ると氷点下5.5度だった。荒川沿いの我が家付近は、さいたま市の気温に近い。散歩へ出ると、緑道公園の10センチほどの霜柱は全く溶けていなかった。

22年前の翌1月17日に阪神大震災が起きた。あの年も寒い冬だった。実際は平年並みの寒さだったかもしれないが、焼け跡で寒々と焚き火をする被災者の姿が強く記憶に残っている。

散歩途中、桜並木の歩道に若い綺麗なお母さんと可愛い男の子が手を繋いで立っていた。
「いい女だな」と思いながら振り返った瞬間、転んでしまった。
「大丈夫ですか」
女性が駆け寄ってきた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
急いで立ち上がり、びっこをひきながら急いでその場を去った。
転んだあたりの歩道にくぼみがあったことは以前から知っていた。
女性に気がそれて、うっかり足が取られてしまった。
地面に打ち付けたのは防護メガネと右手と右膝。どれも擦り傷程度で、すぐに痛みは取れた・・・


毎年、誕生日には過去を振り返ったり、これからのことを考える。
今年は運不運について考えた。
私の経験では、不運が多く積み重なって行くと、必ず幸せがやってくる。
だから、去年から不運続きの私は、そろそろ幸運がやってくる時期なのかもしれない。

反対に良いことが続くと、ドカンと大きな不運がやって来る。
現実にそのような知人が周りにいる。
それは私の年齢ではまさしく命取りで、ガンになったり、心臓などの重要な臓器に大きなダメージが起きたりする。今と若い頃と違うのは諦めが良くなったことだ。だから突然に不幸にさらされても、何となく受け入れてしまう。


個人の不幸と比べて自然の不幸はとてつもなく大きい。
天地は仁ならず、の老子の言葉そのものだ。

今、注目しているのは中朝国境の白頭山。
北朝鮮の地下核実験の振動が微妙な影響を与えていて、噴火危険度がさらに増している。
もし、噴火すれば中国東北部と朝鮮半島に大災害をもたらす。

今は世間から忘れられているが、歴史的に三陸の大地震と連動している関東や東南海の大地震や富士山大噴火が気になる。
869年7月9日に起きた貞観三陸地震M 8.3〜8.6から9年後の878年10月28日に、相模・武蔵地震-M 7.4が起きた。今にあてはめると9年後の2020年はオリンピクの年。
それから8年後の887年8月26日に 仁和南海地震・M 8.0〜8.5が起きて、東南海・東海地震が連動し、東海から紀伊半島にかけて巨大津波が襲った。

貞観三陸地震の5年前の864年に富士は大噴火して溶岩流が青木ヶ原を作った。今回は富士の大噴火は三陸地震の後に起きることになる。火山噴火予知は地震より容易なので、噴火が間近になれば警報が出て命の危険は少ない。

富士噴火による東京の降灰予想は2センチ。
火山灰は5ミリの降灰でも都市機能は麻痺する。
2センチ降れば、総ての交通、水、電力の供給は長期間止まる。
だから、各家庭は2週間ほどの水、食料の備蓄が必要になる。
私は1週間分の水と食料を背負って、歩いて東京を脱出するつもりだ。


世界でもっと危険なのは米国のイエローストン。
自然公園地下の巨大なマグマだまりはすでに危険域に達している。
もし、噴火すれば大火砕流と大量の降灰で米国が壊滅し、ヨーロッパも大量の降灰に晒される。米国の世界一の穀倉地帯が壊滅すれば日本とアフリカ・アジアでは大飢饉が起こる。

日本では巨大カルデラ噴火が1万年周期で起きている。
最も新しい噴火は7300年前の鹿児島県南方沖の鬼界(きかい)カルデラ。
この大噴火で南九州の縄文人は死滅し、西日本の生態系回復に千年近くかかった。

巨大自然災害を想うと、私の不幸などとてもとても小さい。
今の低迷が極めて穏やかで幸せに思えるのだから不思議だ。

年賀状のお年玉は3枚3等に当たった。
おみくじにあてはめれば、今年は中吉。


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2018年1月14日 (日)

正月は36年前の早坂暁作「夢千代日記」の再放送を見た。18年1月14日

早坂暁氏は去年暮れ12月16日、腹部大動脈瘤破裂で急死された。享年88歳。
NHKでは氏を偲んで「夢千代日記」を再放送した。音楽は武満徹。主演と語りは吉永小百合。昭和56年当時の画面を見ていると、その頃の自分や元気だった肉親や知人たちを走馬灯のように思い出して、過ぎてしまった年月の大きさを痛感する。

作者・早坂暁は「夢千代日記」を生涯で一番に評価していた。しかし、世間は次作ドラマ「花へんろ」を評価していた。私も「花へんろ」の方が強く心に残っている。「夢千代日記」は母が夢中で見ていたので、なんとなく切れ切れに見ただけで思い入れはなかった。

吉永小百合は同年齢で私より数ヶ月若い。
彼女主演の映画では「キューポラのある街」が好きだった。10代の初々しいイメージが強かったので、「吉永小百合もすっかりおばちゃんだな」と思いながら見ていた。しかし、今見ると、とても若くて可愛い。殊に貝殻節 ・鳥取県民謡を踊る彼女の仕草が格別に可愛い。男性を見上げるときの視線も切なげでいい。タモリが大ファンだったのはうなづける。

ちなみに、ドラマの場末ストリップ劇場のストリッパー・アサ子役は私の高校での2年先輩の緑魔子。当時はもっと長身でとんがっている都会的な女性と思い込んでいた。しかし、今見ると素朴な風貌だった。

ストリップ劇場・照明係のアンちゃん役は、あがた森魚。彼のバイオリンと歌「赤色エレジー・・・幸子の幸は何処にある 男一郎ままよとて 昭和余年は春も宵 桜吹雪けば情も舞う・・・」に合わせて舞うアサ子には昭和の香りが芬芬として良かった。

平成も終わり近くなった今、昭和の胡散臭さは日本から遠くなってしまった。最近、新宿が好きになったのは昭和への郷愁があるからかもしれない。

先日のドキュメント72時間は新宿花園神社の酉の市だった。私は昔から浅草の酉の市へ行っている。浅草と比べると、近くに歌舞伎町があり、IT関係の企業が多いせいか来客の雰囲気が全く違う。どことなくアングラ演劇の雰囲気がする。熊手も浅草と作りが違うのに驚いた。売り手も浅草は和の粋を感じるが、花園神社は和洋折衷の感じだった。

番組の中で突然流れた藤圭子の夢は夜ひらくの血を吐くような歌声に、新宿・酉の市風景はさらに陰影が深くなった。境内の見世物小屋も胡散臭くて良かった。座主が話していたように、昔は見世物小屋が4,5軒は境内に並んでいた。昭和にタイムスリップしたように、画面に見入ってしまった。


36年は長い。ドラマの背景や空気感が今とまるで違う。
舞台は山陰の架空の温泉町・湯の里。ロケ地は兵庫県美方郡湯村温泉。

当時は父はまだ生きていた。この2年後に、70代後半の父は人と共同で会社を起こした。その人は初めから騙すつもりで、父を保証人にして闇金から金を借りるとすぐに逃げてしまった。
闇金からの取り立ては厳しく、父はショックで倒れてしまった。取り立ては父に替わり私に向かったが、頑として拒否した。当時の私は今よりずっと豊かで、持ち金をかき集めれば返済は可能だったが、長年、母と私は父の借金を辛い思いで返済してきた。それまでの借金は父に殆ど責任があり、放っておくと保証人に迷惑をかけたからだ。しかし、最後の父の負債は詐欺によるもので、絶対に払いたくなかった。その経緯は「死ぬ程怖かった闇金の取り立てと、父の名刺の束。12年2月24日」に書いた。

そのような昔の記憶を「夢千代日記」画面の日本海の寒く厳しい海に重ねながら見ていた。
芸者夢千代(吉永小百合)はその温泉町の小さな置屋・はる屋を営んでいた。そこには、さまざまな事情を抱えた男女が吹き溜まりのように集まっていた。

ドラマ冒頭で、原爆症の夢千代は神戸の病院帰りの山陰本線の列車で刑事の山根(林隆三)と出会った。列車は余部(あまるべ)鉄橋を通過していた。車窓からはるかに下に見える集落が印象的で、このドラマをきっかけに余部鉄橋は全国的に知られた。

当時は風情のある古い鉄製橋梁だったが、1986年12月28日の列車転落事故を契機にコンクリート橋に建て替えられた。事故の概要は福知山発浜坂行下り回送列車が走行中、 風速33mの突風にあおられて客車7両が約41m下に転落し 水産加工工場と民家を直撃して車掌1名と水産加工工場女性従業員5名が死亡し、 6名のけが人が出た。機関車は非常に重かったので転落は免れた。

原因は列車指令員が運転停止にすべきにもかかわらず、 列車を強行させたのが原因とされている。しかし、この程度の風速で吹き飛ばされるとは考えにくい。強風によって橋梁に自励振動が起こり、線路が曲がって脱線転落したとの見方が強い。事故後、鉄製橋梁はコンクリート橋梁に建て替えられた。鉄道フアンにはクラシックな鉄製が人気があったが、安全を考えたら致し方ない。

ドラマは夢千代のはる屋に関わる殺人容疑のかかった元芸者市駒(片桐夕子)を追って来た山根刑事(林隆三)と夢千代との出会いで始まった。心中未遂の芸者・金魚(秋吉久美子)、末期の子宮ガンの千代春(楠トシエ)、男に逃げられてばかりの菊奴(樹木希林)。芸者雀(大信田礼子)。経営者の町の顔役山本倉次郎(長門勇)など、36年前の彼らはみな若かった。彼らに重なる寒々とした山陰の海が印象的だ。

このドラマあたりから日本経済は急上昇してバブル経済に突入した。しかし、湯村の光景はさして変化せず、36年後の今、ストリートビューで見ても町の佇まいは当時のままだ。


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荒川夕景


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荒川土手の紅ツメクサの花。
この辺りは氷点下5度ほどに下がる。
その厳しい寒さに負けずに咲いていた。


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土手近くの飼い猫。
草むらに何かを見つけた様子。
顔見知りの子で、呼ぶと「ニャン」と近づいてきて甘えた。


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夕富士。
日の入りが少し伸びた。


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«朝生での村本大輔氏のとんでも発言。彼のような無知なロマンチストによって日本国民は危険に晒される。18年1月2日