2019年2月19日 (火)

涙を流す涙活は、笑いや睡眠や抗うつ剤よりもストレス解消効果がある。19年2月19日

精神医学の研究によると、泣くことは笑いや睡眠よりも、どんな抗うつ剤よりもストレス解消効果がある。例えば、職場で意図的に涙を流すと、気分が向上し仕事効率が格段に良くなる。スポーツの決戦前にチーム全員で涙を流すと、集中力が増し実力以上の力を発揮できる。

昔、親しくしていた社長は、涙を流したことがなく、昼寝もせず頑強で病気知らずを自慢していた。しかし、彼は40歳でガンになり早世した。今思うと、泣かないことでストレスが溜まり、ガンになったのかもしれない。

効果があるとわかっていても、必要に応じで涙を流すのは難しい。
役者さんが演技で泣かなければならない時は悲しい記憶を思い出して涙を流すとよく聞く。舞台に立っている知人は、アニメ「火垂るの墓」の、妹が空のドロプ缶を持ったまま死んで行くシーンを思い浮かべると、すぐに泣けると話していた。
私は、死んだ肉親たちのことだけでなく、昔、看取ったペットたちや野生動物たちとの別れを思い出すと泣ける。貧乏絵描きをしているのにストレスが少ないのは、この涙活のおかげかもしれない。

昨日、Eテレでネコメンタリーをやっていた。
出演は社会学者で作家の岸政彦氏と愛猫のオハギ。
20年近く、ともに過ごしたオハギの姉妹猫キナコが亡くなったシーンの朗読を聞いていたら、もらい泣きしそうになった。

私は数匹の野良猫を看取ったが、どれも思い出すと涙腺が緩む。
涙活は気恥ずかしいが、試してみる価値は大いにあるようだ。


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 緑道公園。満開の蝋梅。


昔、都内なのに豊かな自然に囲まれた崖の上の一軒家に住んでいた。
そこは野良猫や野良犬の通り道で、厳冬期になると庭のゴミ焼き場の暖かい灰の中で、よく野良猫が寝ていた。

その敷地で最期を迎えた野良猫たちの思い出はどれも深く心に残っている。
彼らは決して助けを求めず、静かに死んで逝った。
その最期は実に立派で畏敬すら覚える。


 40年ほど昔の旧居でのことだ。
玄関へ至る山道の郵便受けの傍らに、大きなエゴの木があった。
郵便物を取りに行くと、その太い枝で時々子猫が居眠りをしていた。
子猫は生粋の野良で決してなつかず、煮干しを差し出してもシャーと私を威嚇した。
だから餌はそのあたりに置くだけにした。
そんなことを一ヶ月程続けているうちに子猫はいなくなった。

 翌年の初夏、隣家の庭で親子三匹の野良猫が遊んでいるのを見つけた。
母猫をよく見るとエゴの木にいた野良だった。
その時、あの子猫が雌だったことを知った。
隣家の庭は広く夏草が気持ち良く茂っていた。
母子は暑い午後は木陰で午睡をして過ごし、夕暮れになると子猫たちは夏草の中を駆け回って遊んだ。仕事の合間、草むらで遊んでいる子猫達を眺めているのは楽しかった。

 夏が終わり秋の長雨が続いた。
野良の母子は裏の物置の軒下に、円くなって寝ていた。
しかし、すでに乳離れの時期で、間もなく母猫は痩せた子猫たちを残して消えた。

子猫は三毛の雌と黒トラの雄だった。
人懐こい三毛はすぐに近所の飼猫になった。
黒トラは母猫に似て誰にもなつかず、私が声をかけると激しく威嚇し、逃げ去った。
だから、母猫同様に、煮干しをそのあたりに置くだけにした。

黒トラはバッタやカナブンや蜥蜴などを取ってたくましく自活していた。
しかし、すぐに秋が終わり、豊富にいた虫や蜥蜴達はいなくなった。
黒トラは居場所を変えた。
散歩途中、痩せた黒トラが道路の側溝を覗いてネズミを狙っているのを見かけたことがあった。体の大きな飼い猫に追いかけられて逃げる黒トラを一瞬見かけたこともあった。

 寒風が吹き始める頃、郵便受け傍らのエゴの木の太い枝にうずくまる黒トラを見かけた。
飼い猫の襲撃を避ける為と、かすかに残る母猫の痕跡に惹かれたのかもしれない。
厳しい寒さの中、古ぼけた刷毛のように黒トラは震えていた。
私は毎日エゴの木の根元に餌を置いた。
しかし、彼は口にしなかった。

彼は病気だったのかもしれない。
黒トラは弱って枝に登れなくなり、終日、根元にうずくまるようになった。
みすぼらしい毛並みからは痩せた体が透けて見えた。
餌を置き続けたが、彼は一口も食べなかった。
そのころは近づいても逃げようとせず、目を細くして穏やかに私を見上げた。その深く澄みきった薄緑色の瞳を、今も鮮明に思い出すことができる。

 数日後、黒トラは荒い呼吸してうずくまっていた。
声を掛けると微かに目を開いた。
私は風除けに彼の回りを段ボールで覆った。
その日は徹夜の仕事を抱えていたので、1時間おきに様子を見に行った。
黒トラの呼吸は次第に小刻みになって行き、体にさわっても目をつぶったまま反応しなくなった。

翌朝、見に行くと黒トラは前足を少し曲げて冷たくなっていた。
その姿は子猫の頃の楽しい夢を見ているように見えた。
庭の片隅にツワブキの花が咲き残っていた。
その傍らの凍った土を掘って黒トラを埋葬した。

 それから長い年月が流れた。
子猫達の遊んでいた広い庭には大きな家が建った。
黒トラのいたエゴの木は切られ駐車場になった。


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2月14日、聖バレンタインの日、姪が出張で上京したので、新橋に会いに行った。
絵は、高崎線の車中で向かいに腰掛けていた女性を記憶して、帰宅してから描いた。1年前までセーラー服を着ていたような昭和の雰囲気のある女の子だった。寒さに強く健康そうな体躯と白い足が印象的だ。学生ではない。私と同じく新橋で下車したので、新橋に職場があるのかもしれない。


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Mas

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2019年2月 9日 (土)

あらためて、歌手の夢を一瞬で掴んだ、ただのおばさんだったスーザン・ボイルに感動。しかし、日本人の魂を揺さぶるのは演歌だった。19年2月9日

明日は雪の予報だったが、美しい夕暮れだった。

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環八、小豆沢あたり。
西方、中山道方面を眺めて。


先日の、マツコが丹下健三設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂を訪ねる番組で、パイプオルガンの演奏があった。曲の中にはバッハのトッカータとフーガがあった。

50年以上昔のフランス映画「去年マリエンバートで」ではそれと似たBGMを使っていたが、曲名は思い出せない。それで、「去年マリエンバートで」のBGMを検索してみた。
同じ曲にはたどり着けなかったが、その過程で様々な音楽動画に出会えて楽しかった。

その中に、2009年、スーザン・ボイルが夢をつかんだ瞬間のドキュメンタリーがあった。大聴衆が見つめる舞台にキスの経験もない47歳の幸せ薄い失業女性現れた。彼女は美しさとは無縁のボサボサ頭の小太り中年女性。
審査員が夢を聞くと「エレイン・ペイジのようなプロの歌手になりたい」と答えた。「なぜプロになれなかったのか」と問われた彼女は「チャンスがなかったから」と答えた。

それらのやりとりを冷ややかに眺める観客たち。
「無謀な夢を」と、うんざり顔の審査員たちのアップ。
しかし、レ・ミゼラブルの「夢破れて」を彼女が歌い始めると会場の雰囲気は一変した。審査員や観客たちの侮蔑の薄笑いは消え、賞賛の大歓声が会場を揺るがした。

これから何かに挑戦しようとしている人たちにこの動画を薦めたい。この動画を観ると、勇気が湧いてくる。本当に優れたものには何の飾りも必要なく、人の心を一瞬で鷲掴みできる。

下画面をクリックすると動画が始まる。

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現代日本の声楽家たちの多くは西洋音楽を実に立派にものにしている。しかし、どこかに借り物感が残る。殊に、スーザン・ボイルのような西欧人特有の声を聴くと、日本人とはズレを感じる。だからか、いつも完全に没入できないでいる。

音楽に関連して、1月30日のEテレ科学番組の「又吉直樹のヘウレーカ“空耳”はなぜ起こる」は音と人の感情の関係を取り上げていた。音についての解説中、科学番組には不似合いの北島三郎の「風雪ながれ旅」が突然に流れてきた。解説者の音研究家、NTTコミュニケーション科学基礎研究所・柏野牧夫氏は、中学生の頃から演歌の大ファンだったからだ。
番組によると、無音室では自分の心拍から血液の流れる音まで聞こえて、長くいると頭がおかしくなるそうだ。

音楽は不意を突かれると強い感動を覚える。
早速、アイチューン・ストアで「風雪ながれ旅」を手に入れようと検索したがなかった。
代わりにユーチューブで見つけたのが下の動画だ。聴きながら、やっぱり日本人には演歌だと痛感した。

「島津亜矢 北島三郎 風雪ながれ旅--まつり」下画面をクリックすると動画が始まる。

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明日の東京は寒く雪になりそうだ。だからでもないが、雪の舞う動画があったので下に記載する。
動画は公園らしき場所にカメラを固定して写した白黒動画。
BGMはロシア民謡のトロイカを静かな曲に編曲したヒーリングミュージック。
舞い落ちる雪をぼんやり眺めていると、不思議に癒される。
私的な感想だが、舞い落ちる雪の一片一片に様々な人生を重ねてしまう。まっすぐ落ちていく雪、落ちたり上ったしている雪。それでも最後は全ての雪が落ちてしまい、消えて行くのが少し寂しい。

「Evgeny Grinko--Field」下画面をクリックすると動画が始まる。

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次は以前何度かテレビで紹介していたので、観た記憶がある人は多いはずだ。
中世風の牧歌的な曲が心地よい。

「FAUN---Federkleid」下画面をクリックすると動画が始まる。

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最近読んだ記事で「ミスタードーナツの顧客を奪う意外な競争相手について」がとても面白かった。
その競争相手とはニトリや百均の進化だ。
私は知らなかったが、1980年代後半のミスタードーナツはポイントでもらえるグッズ目当ての客で売り上げを伸ばしていた。当時の若者たちは、西武百貨店の「おいしい生活」のキャッチコピーに踊らされ、雑誌「ポパイ」と「オリーブ」が流行っていた。

その頃、若者たちの住まいは木賃アパートからワンルームマンションに変わった。そのフローリングと白い壁には雑誌に掲載されていたおしゃれな家具やグッズが似合っていた。だから、高額にも関わらず飛ぶように売れた。
当時の景気は本当に良かった。
私の収入も潤沢で、節約なんて針の先も考えなかった。

その頃、ミスタードーナツを躍進させたのが、300円の買い物毎にもらえるラッキーカードだった。そのスクラッチを削って出てきた点数を集めると原田治のイラスト付きの生活グッズが手に入った。
ロフトあたりで売っていた生活グッツはとても高かったので、若者たちはドーナツの景品グッツに飛びついた。
しかし今は、それらのグッツはニトリや百均で昔の10分の1の値段で買える。だから、ラッキーカードの魅力は薄れ、ミスタードーナツの売り上げも落ちた。

ミスタードーナツ以外の店が成長できなかった訳も面白かった。
それは、彼らはミスタードーナツとは別種のスマホに敗れたという説だ。

例えば、セブンイレブンもドーナツに参入して失敗した。
参入のきっかけはセブンカフェの成功だった。私もセブンカフェは好きで週に2,3回は飲んでいる。香りとコクにこだわった高品質のコーヒーはスタバ以上で、サラリーマンたちはセブンイレブンでコーヒーを買って職場にでかけるようになった。
これはニューヨークの出勤シーンの後追い流行だった。少し違うのは、ニューヨークではコーヒーと一緒にドーナツを買い、片手にコーヒー、片手にドーナツを持ち、それを交互に口にしながら歩くスタイルだった。それでセブンイレブンはセブンカフェの隣にドーナツを置けば売れると踏んだ。しかし、その目論見は外れた。

その理由がとても面白い。
セブンイレブンがドーナツに参入した頃にスマホが登場して、ニューヨークスタイルは時代遅れになっていた。片手にスマホではドーナツは持てなくなり、ドーナツは売れなくなった訳だ。

スマホの登場で、ドーナツ自体が売れなくなっていた。
ニューヨーカーは素手でドーナツを食べるので指先が油でベトベトになってしまう。それでは画面をタッチできないので、ドーナツは敬遠されるようになった。

スマホの登場で、指先が汚れるスナック自体が売れなくなっている。明治のカールや森永のチョコフレークの生産終了もスマホが原因だった。そのように売れ筋商品の盛衰には思いもよらない原因があるようだ。


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喫茶コーナーで見かけた老人。
日に焼けたホームレス風だが、読んでいる本は専門書だった。


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Mas

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2019年1月28日 (月)

縄文の竪穴式住居が理想の住まい。シャネルvsエルザ・スキャパレリを幸せの視点で見たらスキャパレリの勝ちだ。19年1月28日

週末は今年一番の寒さだったそうだが、まだ霜柱を見ていない。
去年の今頃は連日氷点下で、時には氷点下6度近くまで下がり、散歩道の日陰はいつも硬く凍り付いていた。

厳冬期、布団に入ってから想像する世界がある。
それは縄文時代の竪穴式住居だ。
その中で寝ている自分を空想すると幸せ感が溢れ気持ちよく寝入ることができる。
地面を掘り下げて茅葺き屋根をかぶせた竪穴式住居は寒そうだが、実験考古学で試した研究家によると夏涼しく冬は暖かく極めて快適だったそうだ。
竪穴式住居では、囲炉裏の火を1年中欠かさない。煙の防虫効果だけでなく、囲炉裏の熱が伝わって、地面は乾き温まり厳冬期でも快適に過ごすことができる。

囲炉裏の火を1年中絶やさない伝統は近年まで山村などに残っていた。昔、山国を訪ねた時、一抱えもある長く太い木材の先端を囲炉裏で燃やしているのを見て驚いた。木材は囲炉裏から土間まで突き抜けていたが、年寄りが1日中火の番をしているので火事になることはなかった。
縄文時代も、同じように留守番の年寄りが火を管理していたのだろう。ちなみに、最新の研究では縄文人は1日4時間労働で現代人より優雅に暮らしていた。食生活もその後の弥生、平安から江戸時代よりはるかに豊かで、体格も優れていた。


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もし裕福だったら、広い庭に絵のような竪穴式住居を作り、1日中過ごしたい。
友人の別荘にはアメリカ製の大きくて無骨な薪ストーブがある。火を入れると自然に人が集まり、薪の炎の揺らぎを眺めているだけで安らぎに包まれる。この安らぎは太古から人に刻み付けられている本能に近いものだ。


今、世の中は社会のAI化に血道を上げている。
社会学者の中には、これで人は不要になるだろう、と本末転倒する者すらいる。そのような錯覚を生んだ根底に労働を苦役として忌避する考えがある。

労働は苦役ではない。
何かを成し遂げるために苦労するのは楽しいことだ。
将棋や囲碁の対局で、AI棋士が人を圧倒して勝っても、ゲームの楽しさはない。
昨日は大坂なおみが全豪女子シングルスを制した。
近未来、ミスをしないAI搭載のロボットプレイヤーが登場して、軽々と人間のプレイヤーを蹴散らしても少しも楽しめない。人間が失敗したり悩んだりしながら戦うからケームは面白い。

生活だって同じだ。
IoT社会が実現して人の労働が消えても、楽になるどころか退屈で死にそうになるだろう。労働は苦役ではない。仕事で悩んだり失敗しながら成果を出すから人生は楽しくなる。


土曜Eテレのドキュランドは「シャネルvsスキャパレリ=エルザ・スキャパレリ」だった。
二人は20世紀のファッション界に革命を起こした女性たちだ。孤児院で育ち、縫製の技術を身につけ、決して手を抜かない職人気質のココ・シャネル。対して裕福な家庭で育ち、奔放な造形感覚を身につけた芸術家肌のエルザ・スキャパレリ。全く対照的な2人は若いピカソ、ダリ、コクトーなどの巨匠たちを巻き込み、戦前のパリで実に魅力的に、激しく競い合っていた。

大戦後、結局はシャネルが勝利しスキャパレリは敗退したが、幸せの視点では、家族に恵まれたスキャパレリの方が幸せだったかもしれない。
スキャパレリは近年まで世間では知られていなかったが、最近、注目され始めた。私も番組で初めて彼女の作品を目にした。その衣装模様は自由奔放で実に魅力的だった。

シャネルの死の寸前まで親しく付き合っていた女性精神科医によると、シャネルは仕事を終えた後、住まい代わりのホテル・リッツに帰って一人になることをとても恐れていた。
87歳で死んだ日も、仕事場からの帰路、付き添った親友の精神科医に明日も仕事をしたいと休みなく語りかけた。

「禍は福の倚る所、福は禍の伏する所」老子
成功イコール幸せとならないのが、世の中の面白いところだ。

余談だが現代のシャネル代表デザイナーのカール・ラガーフェルドに溺愛されている飼い猫はモデルなどで年間3億5千万を稼ぐ超セレブ猫だ。その猫には専属の世話人が2人いて、専用ジェットで移動している

ファション関連記事に、ミラノ・ブランドのバックは原価2600円だが、ミラノのモンテナポレオーネ通りにあるブランド旗艦店では39万円で売られているとあった。その低賃金を支えているのは違法滞在の中国人労働者たちだ。彼らは今は搾取されているが、その中の目端の利いた者は帰国してブランドを立ち上げ大儲けするのだろう。

そのようにファッションブランドの多くが、素材のダンピングと労働コストの徹底的な搾取によって巨大な利益を上げている。しかし、中世風の田舎町にあるブランド・ブルネロ-クチネリは対照的に、昔ながらのイタリア人職人たちによる家族経営によって支えられている、と記事にあった。

最近、フイリッピンで一番の大金持ちの華僑が94歳で亡くなった。
彼は中国福建省から12歳でフイリッピンにやって来て、靴の商売で成功してから2兆円を越す資産を形成した。そんな大金持ちでも、死から逃れることはできなかった。
彼は最高の医療を惜しみなく施されたのに、貧しい私の母より3年早く死んだ。
中国人は死を忌み嫌う。だから訪日中国人たちは、街中にある墓地を見て、墓地の近くに平気で暮らしている日本人に驚くようだ。
大金持ちの華僑の彼も死を忌み嫌い恐れていただろう。

誰もが絶対に逃れることができない死を忌み嫌う生き方は苦しい。死は受け入れ共存している方が楽に生きられる。
Eテレで、生と死の間の幽玄を描いた能の「卒都婆小町」を見ながらそんなことを思った。日本人の心の根底に死を肯定的に捉えた美意識がある。だからか、能を観ていると安らぎを覚える。


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22日、渋谷ヒカリエの前辺り。
欧米からの来日観光客たちが東京はクレージーで面白いと言っているが、このような混沌とした風景を言っているのかもしれない。

その日は劇団四季の「パリのアメリカ人」の招待日だった。
劇場は渋谷に新設されたヒカリエの11階。
招待席辺りは美人が多く幸せな気分になった。
観劇は幕間の休憩時間が楽しい。昔はロビーで知人によく出会ったが、今、その多くはリタイアし、いなくなった。それでも四季の素敵な女性スタッフと言葉を交わせて、とても楽しかった。華やいだ雰囲気の中で絵描きになりたての平成初めの頃が蘇った。あの頃はまだバブルの余韻が残り、私はとても元気で悩みはほとんどなかった。
劇団四季とは25年ほどの付き合いだが、最近の変化は中国人観客が増えたことだ。

劇団四季の「パリのアメリカ人」のクライマックスにモダンダンスが登場した。それはドキュランドの「シャネルvsスキャパレリ」の中でピカソやコクトーなど当時の巨匠たちとシャネルたちがコラボした舞台に繋がっていた。

今、アートの中心はパリからニューヨークに移動した。
現代アートの評価は、形や美しさ以上にアーティストの考え方、美術史における立ち位置など、武装された理論が重視されるようになった。その代表は、今、各国で話題になっている謎の作家バンクシーだ。

私は絵を描いて楽しむことを重視しているので、現代アートとは程遠いところにいる。


散歩コースに郊外型のディスカウントスーパー・OKストアーがある。毎日が特売日のようなスーパーで、土日など近隣から車でやってきた客がレジに長い列を作る。
ここだけで買い物を済ませれば食料費は2割ほどの節約になる。殊に土日は車でやって来た若い夫婦者の客が多い。彼らのほとんどは黒っぽい地味なダウンジャケットを着ていて、赤羽駅近くの多彩な人波を見慣れた目には滅入る光景だ。しかし今日、無彩色の人波の中に異質な中年女性がいたので描いた。


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この女性もダウンを着ていたが、全てが高級感があった。
殊に、黒エナメルのプレーン・パンプスが目を惹いた。


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昔の句に絵をつけた。
東京は連日快晴の日が続く。
冬ひざしの散歩道に長く伸びた影を見ながら、この句を思い出した。


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2019年1月14日 (月)

「平成ネット史」は正月番組で最高に面白かった。そして、スーパー・レジの女の子に荘子の「胡蝶の夢」を感じた。 19年1月14日

正月は一瞬で遠く駆け去ってしまった。
今年の冬は穏やかで、刺すような寒さは一度もない。
今日も雲一つない好天。荒川土手をジョギングする人たちが気持ち良さそうに行き交っていた。


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病院下公園。
連日、このような青空が続いている。


正月番組で一番面白かったのはEテレの「平成ネット史」だった。私がパソコンを始めたのは阪神の大震災の後、Windows95が発売されてから3年後の平成10年の54歳からだ。画像処理が目的だったので最初のパソコンはパワーマックにした。それまでの長い期間、ワープロを使っていたのでタッチタイピングはできた。

操作は入門書片手の独学で1日20時間はパソコンをしていた。作業の98%は無駄な試行錯誤の繰り返しで、膨大な時間を費やしてしまった。2ケ月後にHTML言語だけて簡単なホームページを立ち上げ、デイスプレーにホームページが映った時はとてもとても感動した。

当時のインターネットの接続スピードは今の3500分の1と、とてつもなく遅く、毎月通信料が10万を超えていた。それでも、今より余裕があったので苦もなく支払っていた。
番組ゲストたちの殆どはまだ学生で、午後十一時からの割引時間に殺到し、アクセスできなくて苦労したと話していた。そうやって、真っ先にアクセスしたのが米国のNASAとホワイトハウスだったと話していたが、私もNASAに接続して、月や地球や木星や星雲の鮮明な画像を見て大感激した。

ホームページはアクセスしてくれる人のために画像はできる限り軽くした。今は死語になってしまったがプログレッシブ変換と言う画像表示方法があった。それは最初に碁盤の目状の荒い画像が表示されて、サラサラと鮮明になって行く表示方法だ。プロバイダーが「今、一生懸命に仕事をしているよ」とアピールするためだけの機能で、決して通信が軽くなるわけではなかった。
当時はパソコンにのめり込みすぎて、夢までがプログレッシブ変換で現れ、夢の中でもっと軽くと呟いていた記憶がある。

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上画像はガラケーのためにホトショップで1ドットづつ手作業で色を置いて作った。だからとても軽く、古い通信速度でも素早く正確に表示された。

スキャナーやプリンターは機器ごとに厳格に振り分けるSCSI(スカジー)方式でパソコン本体と繋いだ。自由に繋げるUSB接続が現れた時は便利さに驚いた。

インターネット接続は電話回線の時間買いから始めた。それから少し早く通信できるISDNを経て、動画対応のADSLに変わった。しかし、渋谷駅前で出版社を経営していた身内を訪ねた時、光回線の速さに驚愕した。だから、光回線が一般化された時はすぐに契約した。ちなみに、今のマックは9台目だ。今の公営集合住宅に配置されている光回線を使っているのは我が家だけだ。

ホームページ普及の初期に立ち上げたので、付き合いのあった画材屋や絵の具メーカーが紹介してくれた。おかげで、初心者としてはアクセスは多かった。ブログは母の介護が始まると同時に始めた。1日に30アクセスほどだが、ブログに介護の苦労を吐露できたおかげでとても癒された。
ツイッターの類は、特有の若者言葉が嫌でやらなかった。
番組でホリエモンたちは、2チャンネルや、フェイクニュースの酷さを嘆いていた。

スマホが登場した時、今ほど世界を席巻すると予測できず、ガラケーを追い抜けないとブログに書いた。その予測の8割は間違っていたが、今でも2割は正しかったと思っている。しかし、スマホの普及によって、それまで数十万円ほどしたセンサー類が1万分の1まで値下がりし、電子機器の普及に大きな功績があった。

スマホはこれからも持たない主義だ。なぜなら、在宅の時、絵を描いている以外は殆どパソコンをしているので、散歩中までパソコンに縛られたくないからだ。

ラインは三陸の震災の時、繋がらない電話の代わりになる通信手段として短期間に作られた、との逸話はこの番組で初めて知った。
「平成ネット史」を見ながら、インターネットの歴史を走馬灯のように思い出して、心底、懐かしかった。番組ゲストの、ホリエモンをはじめとするクールな今風の若者たちが、ネットについて熱く語っているのも面白かった。番組を見終えてから、平成はまさしくネット史そのものだと思った。


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最近、時折見かけるスーパーのレジの女の子。瀬戸内海あたりの海の香りを感じる。律儀で元気な子だ。


浮世絵の技法書に、少女を描く時は、首は細めに額は暗く描くべし、とある。確かに、おばさんの首は太い。対して少女の首は細く、額は日に焼けて少し暗めだ。この子も細い首が初々しかった。
赤羽は銀座方面も新宿渋谷方面も乗り換えなしで行ける。そのように交通の便が良いのに家賃は安く暮らしやすい。そのせいか、タレントを目指す若者たちが多く住んでいる。だから、とんでもなく可愛い子が八百屋やパン屋でアルバイトしていたりする。この子も、そのような一人かもしれない。

美人だとチャンスに恵まれ楽しい。女性なら、魔法か何かで、美人に変身した自分を夢見たことがあるはずだ。男でも、スパーマンみたいな逞しい肉体にノーベル賞クラスの頭脳を持ちたいと夢見るたりする。もし、図抜けた容姿に天才的な頭脳を備えていたら、世の中の殆どの夢は達成できる。


科学が進化した未来では、魔法を使わなくても変身は可能だ。倫理的ハードルは非常に高いが、自分のクローンを遺伝子操作で改良したもう一人の自分に、自分の脳のデータを入力すれば、優れた肉体と頭脳を備えたもう一人の自分が生まれることになる。仮に、オリジナルの自分が臨終の間際だとすれば、一瞬で若く元気な自分に変身できるわけだ。
ただし、それには大きな問題がある。オリジナルの自分の死は止められないわけで、死の問題は何ひとつ解決しない。

しかし、老荘思想では自我は絶対的ではない。そこで語られる自我は実に頼りないもので、人は天地に翻弄されながら、自分を曖昧に意識しているに過ぎない。

荘子の寓話に「胡蝶の夢」がある。
・・・荘周は夢の中で楽しく蝶になりきっていた。その時の自分は、荘周であることを完全に忘れていた。そして目が覚めると、荘周に戻っていた。しかし、今の自分は、荘周に変身した夢を見ている蝶なのか、それとも、楽しく舞っている蝶に変身している自分を夢見ている荘周なのか、区別がつかなくなった・・・

「胡蝶の夢」の解釈は様々だが、西欧哲学に影響された現代では意識が変わっても主体は一貫して同じだと解釈する人が多い。しかし、本来の老荘思想では、自我は天地との関わりの中で一つの自分ではないかと微かに自覚している程度のものだ。だから、先述のようにオリジナルの自分が死ぬことで消えても、意識や記憶をコピーされた健康なクローンが自分だと確信するなら、自分は若返ったことになる。
実に奇妙な論法だが、自我はそのように環境によって極めていい加減に構築されたものだ。だから、昨日の自分と今日の自分に一貫性を感じる自意識は極めて曖昧なものだ。

昨日の自分と今日の自分を繋ぐものは記憶だけだ。現実と記憶や意識との間に矛盾がなければ、人は昨日も一昨日も、今日と同じ自分だと思い込んでしまう。
連続する自分について考え始めたのは、10年前、胆嚢切除手術で全身麻酔を受けた時からだ。その時、「これから麻酔をかけます」との麻酔医の言葉が聞こえた直後、間を置かず麻酔から目覚めた。もし、手術中に私が死んでいたら、自分の死に全く気づかなかったはずだ。その麻酔中に、自分の肉体がクローンと入れ替わっていたとしても、同じ自分である自意識は変わりないはずだ。

将来は毎日の眠りでも同じことが起こり得る。
もし、自分が寝入っている間に、クローン技術で再生されたもう一人の自分にオリジナルの自分の記憶や意識がコピーされたとすると、目覚めた自分は入れ替わったことを意識しない。人は自分に都合よく現実を受け入れる。コピーされたクローンの自分の方が、オリジナルより元気で美しかったら、誰でもコピーをそのまま受け入れてしまうものだ。


昨日も今日も同じ自分だと確信できるのは、いつも変わりない絶対的な自意識があるからではない。単純に周りの環境からの刺激でそう感じているに過ぎない。朝目覚めて家族と言葉を交わし、同じテーブルで朝食をとり、同じ道を歩いて駅へ行っていつもの電車に乗って会社へ行く。そのように同じ環境が繰り返されることで昨日と今日の自分は同じだと確信する。

しかし、環境が激変すると、自我は混乱しアイデンティティは失われる。そのような出来事を近年日本人は二度味わった。前者は神戸の震災で、後者は三陸の大津波だ。二つの災害で多くの人が家族や故郷の風景を一瞬で失って、自我の脆さを痛感してしまった。


サルトルあたりまでの哲学では自我を絶対的なものとしていた。社会科学ではそれは正しく、その考えが戦後の様々な変革を牽引してきた。しかし、現代哲学では、自我を絶対視しない考えが生まれている。去年末のEテレに、世界的にヒットした哲学書「なぜ世界は存在しないのか」を書いた、マルクス・ガブリエルという新進気鋭の哲学者が登場した。
彼はスケートボードで颯爽とNHKのスタジオに現れ、自信満々に自説を披露していた。彼は実存主義をはじめとするヨーロッパ的な哲学に異を唱えていたが、老荘思想を無意識に身につけている日本人なら斬新に感じなかったはずだ。


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病院のカフェ。5時をすぎるとこの暗さだ。
空調が程よく、コヒーが美味しく静かで居心地が良い。
しかし、店じまいは6時30分と早く落ち着かない。
せめて8時まで営業してくれたら助かるのだが・・・


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2019年1月 8日 (火)

はや七草。人付き合いと年賀状を断捨離したいが、難しい。19年1月7日

正月のテレビは本当につまらないものばかで、録画ばかり見ていた。
記憶に残った中に「ブループラネット・深海、最後のフロンティア」がある。
その中のシーンに、深海に逃れたハダカイワシの大群を襲う、巨大なアメリカオオアカイカの群があった。
オオアカイカたちはハダカイワシを食べつくすと凄まじい共食いを始めた。
彼らには、自分より小さな仲間は餌で、自分より大きな仲間は捕食者であった。
彼らにとっての孤独は安らぎなのはずだが、共食いしながらも群れているのは、その方が集団として生き残る可能性が多いからだろう。

人は孤独を恐れて、群れを作りながら熾烈な弱肉強食を繰り広げている。社会は残酷な一面を含んでいるのに、それでも人は孤独を恐れて群れたがる。それはオオアカイカノの群れになんとなく似ていた。

孤独は普通の若者を狂わせ、大量殺人を犯したりする。正月の竹下通りで車を暴走させて多くの若者に重傷を負わせた若者も、以前、秋葉原で大量殺人を犯した若者も、凶行に駆り立てた動機は孤独だった。

私も孤独を恐れるが、同時に人付き合いも煩わしい。それで多くの知人たちとの付き合いを断捨離しようとしている。人付き合いを煩わしく思っているのは現代の風潮で、今年の年賀状では、「これをもって年賀状はおしまいにさせていただきます」と添え書きされたものが多かった。去年までそのような年賀状はなかった。もしかすると有名人の誰それが言い出し、ブームになっているのかもしれない。そのせいか、今年の年賀状は1億通減少したようだ。殊にリタイアした老年が年賀状を整理したい気持ちはよく理解できる。

私は生活のために死ぬまで現役でいなければならないので、止めることは難しい。しかし、今日7日以降にあと出しで届いた年賀状で、手書き文字が一切ないものは来年は出すのをやめることにした。私の理想は20枚ほどだ。それくらいなら、一通一通、丁寧な年賀状を出せる。

年賀状ファイルの中で、寂しいのは鬼籍に入った知人からの最後の年賀状だ。
故人たちの絶筆を見ていると切なくなる。
それらはこれから先の最期まで捨てられないかもしれない。


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7日の荒川土手。

あっという間に七草。
早起きして七草がゆを作った。
とても美味しい。

今年は暖かく、まだ霜柱も氷も見ていない。
このまま春が来たら、物足りない冬になってしまいそうだ。

5日、お屠蘇セットを片付けた。
セットの箱を埃除けに包んでいた新聞紙は1994年の日付で、その頃の母はとても元気だった。それより10年前の1985年あたりの暮れ、父は何を思ったのか、突然にその屠蘇セットを買ってきた。屠蘇セットをしまいながら、その時の父の自慢げな表情を思い出した。
年末年始は、年々、思い出の影が伸びて行く。


昨日6日日曜日は、片瀬江ノ島線の大和駅近くの大和市文化創造拠点シリウスへ出かけた。

☆☆ シリウスのギャラリーで、陶芸家の長谷川雅一氏が作陶展を8日までやっている。近い人はぜひ訪ねてほしい。☆☆

55年前、東海大に入った友人が座間に住んでいた。
友人のアパートは桑畑の中1軒だけポツンと建っていた。
相模大野や町田は賑やかだったが、その頃の大和市あたりは本当に寂しい場所だった。

その頃、友人を訪ねた時、間違えて片瀬江ノ島線に乗ってしまった。
その途中の中央林間の駅名が、いかにも田舎びていて侘しさが募った。
その時は、その辺りで間違えたことに気づき、すぐに引き返した。


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絵は6日、片瀬江ノ島線の向かいに腰掛けていた10代の女子。
クマのぬいぐるみ風の手袋が可愛い。
手にしている太いストローで飲むゼリー状飲み物が流行っているようだ。他にも、多くの女の子が手にしていた。最近は寒い季節でも冷たい飲み物が好まれる。昔では考えられない好みの変化だ。

背景は55年前の畑と雑木林とススキ野原が広がる中央林間あたりを思い出しながら描いた。今は隙間なく住宅で埋め尽くされている。昔は富士が東京の至る所から見えたので入れた。実際は、都市化してしまって見えにくいが、大和市辺りでは丹沢山塊の上に見えるはずだ。

シリウスでの作陶展を見た後、版画家の菊池君と三人、長谷川君の車で町田へ行き、食事をした。町田は昔、何度か訪ねているが、すっかり今風の若者の街に変身していた。

地元生活が長い菊池君と長谷川君が、昔と変わらない洋食屋グリルママを見つけたので入った。ドアを開けると美味しそうな香りがした。そのような店は当たりだ。残飯やタバコの匂いがする店は、大抵不味い。
店はほぼ満席だったが、私たちとさして年の変わらない"おねえさん"が一人で忙しく注文を取り給仕をしていた。とても明るく元気な人だ。ビーフシチューを食べ、ビールを飲みながら、彼女とやり取りするのが楽しかった。平成が終われば昭和は更に遠くなる。この懐かしい雰囲気はやがて失われてしまうのだろう。

地元の長谷川君と別れた後、菊池君と小田急線に乗った。
菊池君とは柿生駅で別れた。
空いた電車の座席は暖かく、本当に心地良かった。
いつの間にか寝入って目覚めた時は新宿だった。

赤羽の荒川に近い我が家付近は寒風が吹き付け、大和あたりより2,3度低かった。
正月が終わってしまったと、しみじみと感じた。

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散歩道の、冬の水仙。


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寒椿
厳冬期に開花する花は、バラなど意外に多い。


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Goof

Mas

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