2017年8月23日 (水)

幸せになるための、八つの心を強くする方法。17年8月23日

幸せと自我のあり方には大きな関係がある。
自我は権利と義務を伴い、幸せ感に大きく影響する。
現実には権利と義務のバランスは悪く、権利が大きければそしりを受け、義務が大きければ不満が爆発する。
そのような西欧的な考え方に対して東洋哲学では、ブッタは「諸法無我」と自我の無意味さを説き、老子・荘子は人は受け身で、自我はないと説いている。
自我を主張しすぎると前記のような煩悩を生む。
自我を認めず、自分は世界に属するものと受け身になれば悩みは消える。

米国調査では日本円で年収600万あたりが一番幸せ感が強い。
それは生活の安定感と自由な時間のバランスが良いからだ。
収入がそれ以上に増えると仕事に自由時間が奪われて幸せ感が薄くなる。

米国の心理カウンセラーによると心が強い人ほど幸せだ。
裕福でも心が弱かったら幸せ感がない。
逆に貧乏でも心が強い人は幸せ感がある。
心を強くするには、以下の八つを実践すれば良い。

1、自分を信じ、失敗にこだわらない。
失敗を恐れず果敢に挑戦し続け、もし失敗してもその経緯を記憶して同じ失敗を繰り返さない。

2、暗い人と付き合わない。
と言っても親身に愚痴を聞いてあげることは良いことだ。
しかし、相手の暗さに巻き込まれないようにしっかりと境界線を築く。

3,謝罪を求めない。
許すことで、物事が円滑に進み、体調も良くなる。

4、自分を憐れまない。
自分を犠牲者にしてしまうと、本来持っている優れた能力まで発揮できなくなる。

5、他人と自分を比較しない。人を批判しない。
他人の成功を羨んでも自分は幸せになれない。
人と自分は違うのだから成功の形も意味も大きく違う。
だから人と自分を比較することは無意味だ。
「道の道とすべきは常の道にあらず」
老子の冒頭の名言で、幸せは常識の中にはなく自分で見つける他ない、と言う含蓄ある言葉だ。

6、怠けない。
これは運動についてだ。
医学的な調査では、運動能力が上がると知力も上がる。

7、悲観しない。
ただし、死や病気について考えないことではない。
悲観的な出来事でも冷静に受け入れることだ。

8, 番外として私はプライドやコンプレックスを捨てることを加える。
全ての争いの根元にプライドがある。子供の頃の争いは、動物的な生存競争の意味がある。しかし、成長するにつれてプライドのために争い、時には国家間の戦争になることもある。

コンプレックスとプライドは大きく関わっている。
コンプレックスは欠点を認めればなくなるが、実際はプライドが邪魔するのでとても難しい


そんなことを考えながら黄昏の土手道を歩いた。
涼しい風が吹き、降るような虫の声が心地よい。
私より何万倍も豊かで家族に恵まれているのに、この幸せ感を味わえない人がいる。
例えば、不治の病で病床についている裕福な人より、貧しくても毎日散歩できる自分は幸せだ。


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先日の晴れた夕暮れの荒川土手。


古代中国の老子は「小国寡民」を説いた。
「国は小さい程国民は幸せになり、大きくなれば腐敗を招き国民は不幸になる」と言った意味だ。
それに対し、ジャーナリストの高野孟氏は中国を繁栄する大国として持ち上げ、日本を衰えると国としてこき下ろしていた。

彼が根拠にしたのは、「日本は今なお先進国だ、と思うのはもはや錯覚」と突きつけた米国ニューズウィークの未来予想記事だ。高野孟氏はニューズウィーク記事に我が意を得たりとばかりに安倍政権と結びつけて攻撃していた。

日本が先進国かどうかはどうでも良いことだ。まして、日本のうわべしか知らない米国のマスコミ人に「お前たちの国は先進国ではない」と判断してもらう必要はない。それは、禿げた人を「このハゲー」と罵るくらい余計なことだ。禿げているかいないかは、毎日鏡を見ている本人は、他人に指摘されなくても十分にわかっている。
同様に日本が先進国かどうかは、米国民より謙虚な日本人の多くは冷静に承知している。ちなみに私の未来予測では、進化したAIによって各国間の技術格差は小さくなり「先進国」の言葉自体が死語になっているはずだ。

高野孟氏は「習近平の謳い文句の偉大なる中国の復活を聞くと、多くの日本人は、何を生意気なことを言ってるんだ、どうしようもない遅れた発展途上国のくせに、とせせら笑う」と日本人を決め付けていた。彼の考えは10年以上は遅れている。今時、中国を遅れた発展途上国のくせに、とせせら笑う日本人など見たことも聞いたこともない。
中国は経済や特定分野の科学技術は進んでいるが、民主化は非常に遅れている。勝手に他国の領域に自国の国境線を引き、抗議すれば武力で脅すような国は大国ではない。

日本人が今も大国意識を持っている、との彼の指摘はかなり滑稽だ。大国意識を持っているのは断然中国人の方で、ネット上で日本人は小日本人と呼ばれている。対して、自国を大日本と呼び、中国を小中国などと言う日本人などいない。


彼は人口が減って行く日本を将来がない国と切り捨てていた。そして、稚拙なレトリックで人口減による弊害は安倍政権の責任だと決め付けていた。
安倍政権は日本の人口減問題に関与できるほどに長く統治していない。日本の人口が減少に向かっているのは生物学的な自然な現象だ。人口を右肩上がりに増やせば、資源は食い尽くされて地球は破滅する。人口減を弊害なく軟着陸させるのが先進国の責務で、その実現に一番貢献できるのは日本である。

彼は次のようにも語っていた。
「人口学的に中国の圧倒的有利が蘇って日本は中等国として生きるしかなくなっているというのに、米国という20世紀の旧超大国にしがみついて、米国を盟主として日本がそのアジア支店長のようになって中国の拡張と対決しようという「中国包囲網」の外交・安保政策を追求するというのは、歴史の流れに対して抵抗勢力化していることだ」
いかにも元共産党員らしい考えだ。中国がどんなにひどいことをしても目をつぶり、日本がほんの少しまともな国になろうとすれば「内外政経のあらゆる方面における失敗」とこき下ろす。彼が持ち上げている中国の繁栄が米国によってもたらされていることを全く理解していない。
それは日本も同じで、経済も食料も米国頼りで、中国に頼っては生き抜くことはできない。日本が中国より米国を大切にするのは自然なことだ。

さらに日本が核の傘に守られていることは厳然たる事実だ。北朝鮮が迂闊に日本を攻撃できないのは日米安保条約があるからだ。


最後に中国の外交姿勢を
「中国は東アジアで地域的覇権国家となってユーラシア全体に影響力を持とうとするのは当然だが、その地域覇権の形は数千年の歴史を持つソフトな朝貢交易関係が基本」と彼は夢想している。

現実の中国外交は朝貢交易関係などと言ったソフトなものではない。武力と金をチラつかせた恫喝が中国外交の基本だ。金を出すと言っても、自国の国策企業と自国民を大量に送り込んで、内需で消費しきれない物資の消化先として利用しているに過ぎない。
しかも、中国の援助の多くは粗製乱造で、橋が完成前に崩落したり、道路がすぐに穴だらけになったり、建物が数年で廃墟になったりしているのが現実だ。援助された国で潤っているのは政府高官だけだ。


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20日日曜、赤羽駅近くのカフェにて。


アイスコーヒーを飲んでいると、空になったミルクカップにゴキブリが寄ってきた。
バックからゲル状の消毒用アルコールを取り出して数滴かけた。ゴキブリはゲル状アルコールをかぶると呼吸ができなくなって弱る。ゴキブリはテーブルから飛び降りて逃げて行った。

少しして、隣席の夫婦者が「キャッ」と声をあげた。
足元を見ると弱ったゴキブリがいる。
すぐに踏み潰した。
様子に気づいた店員が紙ナフキンを持ってきて潰れたゴキブリを処理した。

「助かりました。本当にありがとうございます」
見上げるほどに体の大きな彼が体を小さくして礼を言った。
「ゴキブリが怖いとは可愛い奥さんですね。
そのうち、平気で踏み潰すようになりますよ」
そんなことを言うと、男性は照れ笑いしていた。


田舎育ちなので虫は平気だ。
いつも休む公園のベンチには蚊が大量に出没する。
最近気づいたことだが、蚊は大量に見えても、実際はせいぜい10匹ほどだ。だから、10匹殺すと全くいなくなって2時間は刺されない。

東京の蚊は前後左右に素早く動き回る。だから空中で叩き潰すのは難しい。叩くには手の甲を無防備に晒しておいて、蚊がちくりと刺したら真上から叩く。これが一番確実な方法だ。もし、少しでも斜めから叩くと敏捷に逃げられてしまう。昨日はそうやって7匹叩いて蚊はいなくなった。


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2017年8月13日 (日)

37度の酷暑の9日、友人とイクスピアリで飲んだ。旧盆に入り日に日に秋へ向かっている。17年8月13日

猛暑の8月9日を過ぎた途端、涼しい日が続く。
夜になると冷たい川風が住まいを吹き抜け、タオルケットなしでは風邪をひきそうだ。再度、暑さが戻っても酷暑は終わり、これから日に日に秋へ向かう。


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8月9日、今年最高の37度を記録した日の荒川土手。


土手道にはアキアカネが群れ飛んでいる。
私が育った南九州では、アキアカネを精霊(ショーロ)トンボと呼び、亡くなった人の魂がトンボに乗って帰ってくると信じていた。だから、子供たちは捉えたりせず大切にしていた。

散歩しているとアキアカネがすぐ傍まで近づいて、歩みに合わせて飛んでいた。それは手が届く距離で大きな目が可愛い。彼らを眺めていると、ついつい亡くなった肉親や知人たちの名を呼びかけてしまう。


母が死んで以来、動物に好かれるようになった。
今日は、荒川土手の階段で休んでいると、知らないフレンチブルドックが一直線に駆け寄ってきて、飛びつき顔をペロペロ舐めた。飼い主は大慌てで謝りながら「スズ、やめなさい」と引き離した。
しかし、スズはすぐに駆け戻ってじゃれついた。
「先に帰っちゃうよ」
飼い主は先に帰るふりをしたが、離れようとしない。
仕方がなく、スズの丸い尻を押して無理に帰した。

他にも、散歩道のカラスはすぐ傍まで近づいても逃げない。
警戒心の強いキジバトも足元でのんびり餌探しをしている。
子供や動物には死者の魂が見えると言われている。
もしかすると、動物好きの肉親たちの魂が、いつも私の傍にいるのかもしれない。


9日、最高気温を体験しようと午後2時に散歩へ出た。
湿度が低く、さほど暑さは感じなかった。
散歩道で上記の雲の写真を撮っていると、自転車の知らない人が「何を撮っているのか」と話しかけてきた。
「今日の雲は珍しい。それに、37度になる酷暑日は年に一度あるかないかの貴重な日だ。家にこもっているのはもったいない」
そんなことを話すとその人は「自分もそうだ」と笑顔になった。

彼は姉の嫁ぎ先だった湯島に近い文京区白山の生まれで話が合った。
私より3歳下で、対岸の川口にある駐車場まで車を取りにいくところだ、と話した。
彼の親は大戦で焼け出され、戦後、川口に引っ越して呉服店を開いたようだ。
関東震災や太平洋大戦で焼け出され、川口に引っ越した人は多い。

更に話し込んでいると、友人のT君から携帯に電話がかかってきた。
その人は気遣って去って行った。

T君は仕事で都内に出ていると言うので、上野で5時に待ち合わせた。
時間にゆとりがある。
いつもの東京北医療センターのカフテリアでアイスコーヒーを飲んだ。
そこから赤羽駅までは10分。
赤羽から上野は17分。
待ち時間を加味しても45分あれば十分だ。


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赤羽駅へ向かう高架下のショッピングモール。
水を噴霧して気温を下げている。
9日は大気が乾燥していたので、冷却効果が強く、かなり涼しかった。


5時ぴったりに上野に着き、二人でアメ横で食材を買いながら御徒町へ抜けた。
「舞浜のイクスピアリで飲もうか」
提案するとT君は快諾した。

東京駅で京葉線に乗り換えた。
彼がディズニーランドへ行った頃は、まだ京葉線は開通していなかった。
彼には初めての路線で、車窓に広がる臨海地区の広大な風景に見入っていた。


舞浜で下車し、デイズニーランドのモノレールで一周してイクスピアリで下車した。
モノレールからの眺望を楽しみにしていたが、リトルマーメードの半透明シートが窓に張り込まれ、外が見えずガッカリした。多分、施設の裏側を見せないための措置だろう。


イクスピアリ3階の中華料理屋「青龍門」で料理とビール。
皮を飴色のゼリーのように煮込んだ豚三枚肉の角煮がとても美味い。
前回、銀座の老舗中華で不愉快な思いをしたので、殊更、満足感があった。

食事の後、4階のシガー&バー「トルセドール」へ入った。
重厚な内装。高い背もたれのゆったりした革張り椅子が心地よい。
隣席の一人客は飲み終えたグラスを半ダース程並べ、シガー用ランプを前に太い葉巻を心地よさそうに燻らせていた。

二人ともタバコは吸わないのでシガーは断わった。
私はライムをかじりながらジンのストレートを飲んだ。
久しぶりのジンは美味く、何杯でもいけそうだった。
T君との会話も楽しく、あっという間に時間は過ぎた。

郊外へ帰る彼のために9時半に店を出た。
店の女性がドアをいっぱいに開いてお見送りしてくれたのが感じ良かった。


イッツ・ア・スモールワールドの曲に合わせて駅へ歩いた。
人並みの8割は女性で、半数はアジア系外国人だ。

京葉線の車内で、台湾人の5,6歳の女の子が母親に、大人の女ような仕草で楽しそうにおしゃべりしているのがとても可愛い。間違いなく美人になりそうな女の子だった。その年で夢の世界を味わった彼女はどのような大人になるのだろうか。

今回も、全て友人がおごってくれた。
ありがたく感謝して別れた。
ディズニーは卒業したつもりでいたが、再度行きたくなった。


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エノキが熟し始めた。
すでに甘い。


日野原重明さんに死期が迫ったとき、死への不安を漏らした。
医師として膨大な数の人の死に接しながら、平然と死を受け入れるには至らなかったのか、と思うのは間違いだ。死を恐れるから人は生きている。それは、生きている者の極めて自然な反応だ。生きながら死を恐れなくなるには認知症になる他ない。

しかし、氏はすぐに死を受け入れ、延命措置を拒否して自然死された。
その最期は涅槃寂静の境地だったと思っている。


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ペーパータオルケース。
製品の箱の写真を転用した。


最近、とても気に入っている透明アクリル製のペーパータオルケース。
代わりにテッシュペーパーを入れても、最後の一枚まで正確に滑らかに1枚づつ取り出せる機能が心地よい。デザインはシンプルで、しっかりした作りの日本製。値段は750円と安い。

旧盆なので仏壇の花を替えて、供物にニュージランド産リンゴを買った。
余分なリンゴは刻んで蜂蜜をかけ電子レンジで加熱し、シナモンをたっぷりかけて食べた。とても美味い。


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2017年7月31日 (月)

アキバで見た妄想の塊のフィギュアに理論物理学を連想した。銀座老舗中華料理店の横柄な対応。17年7月31日

曇り空の涼しい日が続く。
トイレの窓から吹き込む夜風が冷たくて心地よい。
明日から8月。虫の声に秋の気配を感じる。
荒川河川敷対岸遠く、川口の高層マンション群の夜景が美しい。


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浮間橋から見た積乱雲。

7月半ば、34度湿度94%サウナ状態の日に秋葉原へ出かけた。
猛烈な蒸し暑さの中、街は海外の若者たちで溢れていた。
オタクたちは海外も国内も差はない。
ポケモンのストラップを下げた根暗そうな白人少女が、ショーウインドウの美少年フィギュアを夢見るように見つめていた。

クレーンゲームをしていた綺麗な十代の女の子が巨大な子アザラシのぬいぐるみを落とした。よほど嬉しかったようで、たった一人の観客の私を彼女は振り向いた。
「すごいね。こんな大きなもの、よく落とせたね」
褒めると、彼女は弾けるように笑顔になった。
彼女の先では40代のアロハに半ズボンの男性が、大量の百円玉をじゃらつかせながら手慣れた感じでゲームをしていた。足元には景品が10個ほど詰まった買い物袋があった。それだけ落とすには、相当の投資をしたはずだ。

その後、中古フィギュア売買のビルに入った。
アキバにはその手のビルが各所にある。
どの店でも、海外の若者を大勢見かける。
若者の妄想の塊みたいな精緻なフィギアが幾万種と並んでいる光景は目眩を覚えるほどだ。
ビル3階場末のショウウィンドウに辿り着くと、そこには作家もののソフビ怪獣が置いてあった。それらは現代アートと見紛うほどの素晴らしい作品群だ。もし、資金をかけて4,5メートルほどの立体作品として発表すれば世界から注目されるだろう。

話は飛ぶが、発明家ドクター中松は発明した連射式パチンコ台だけで年間520億のロイヤルティーが入る。そのようなとんでもない金持ちが日本には大勢いる。しかし、彼らがアーティストを育てた話は耳にしたことがない。
今よりずっと貧しかった江戸時代の大衆や金持ちたちは、世界の美術史に残る、北斎、歌麿、蕭白、若冲の作家を育てた。もし現代の金持ちが、巨匠作品への投資をほんの僅か節約して、無名の彼らに投資すれば、歴史に残る作家が日本から輩出するはずだ。


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散歩コースの薄紅色の百日紅。
紅色が普通で、白、深紅も珍しくないが、薄紅色はこの一本だけだ。


フィギュアは二次元のアニメを立体化したものだ。
彼らの感覚は理論物理学を彷彿させる。
ある仮説では、我々の宇宙は本当は面に広がる2次元で、それがホログラムとして投影され立体化されたものを宇宙として我々は感じている。この仮説は、若者たちの二次元愛の妄想からフィギュアを生み出す思考に似ている。

ホログラフィー原理では、我々の属する大宇宙は、巨大なブラックホール表面の2次元データが内部に投影された3次元の幻影に過ぎないと考える。
ブラックホールの中身は3次元に詰まっているのではなく、ブラックホールの表面に2次元に広がっていると数学的に導き出されている。ちなみに3次元である宇宙では、2次元の世界は理論上のもので、どこにも存在しない。例えば極限まで薄いグラフェンであっても、炭素原子の厚みがある3次元である。

量子力学では、量子もつれによって結びつけられた二つの原子の情報共有は瞬時で、光より速いと地上実験で実証されている。その結果は光より早いものはないとする物理学に矛盾する。
仮説だが、量子もつれによって結びつけられた二つの原子が銀河系の両端に置かれていたとしても、片方の原子に刺激を与えると十万光年離れた片方の原子が同時に共振する。瞬時に10万光年の距離を無視して刺激が伝わるとは理解しがたい。しかし、宇宙を投影している基データが2次元上の一点にあるなら、量子の不思議な動きも、ワームホールも、ビックバンも、今の宇宙も、何となく納得できる。

大宇宙の姿は虹色の模様が流れるように揺れ動いているシャボン玉みたいなものと私は空想している。なぜなら、シャボン玉は石鹸水が2次元に広がったもので、数学的に推測されたブラックホールの形状と似ているからだ。その虹色に揺れ動く表面の一点が内部にホログラム投影された立体像の一つが我々の宇宙なのかもしれない。

老荘思想や仏教思想の本を毎日熟読している。
読み込むに従い、それらの思想と理論物理学がとても似ていると感じる。
それは大宇宙を司っている何かが共通しているからかもしれない。


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荒川土手を行く二人。


先日、郊外に住む友人に誘われて銀座へ行った。
彼は松坂屋跡地の新商業施設GINZA SIXを見たいと言う。
私は全く興味がないが渋々付き合った。

店内は巨大な吹き抜けに草間彌生の風船オブジェが下がっていたのが目新しいだけだ。入居している店舗はありきたりの今風で、彼にも私にもワクワク感は皆無だった。
退屈してGINZA SIXから裏道へ出ると老舗中華料理屋が目に止まった。
二人とも空腹だったので、吸い込まれるように入った。

受付の陰気な女性が慇懃無礼に「お呼びするまでお待ちください」と入り口の椅子をアゴで示した。
店内は老人ばかり8割ほどの入りだ。
案内された店内は、老舗の割に凡庸で安っぽい。
30年昔、同じ銀座にある本店によく行っていたが、もっと品良く立派だった。
注文を取りに来た中年女店員は横柄だったが、料理が美味ければ良いと気にしなかった。

運ばれた料理はどれも極めて量が少なく2,3口で終わった。
「この店はここだけですか」
記憶と違い過ぎる貧相な料理だったので女店員に聞いた。
「銀座にはたくさんありますよ」
女はそんなことも知らないのかと言った風に横柄に答えた。

グラスワインがカラになった頃、同じ店員が、今度は打って変わってにこやかにやってきて追加を要求した。
「いらない」
私は店員の顔も見ずに答えた。
愛想笑いができるのなら初めっから見せれば良いのに、と思った。

友人が支払いをした。
二人で22000円だ。
「コストパフォーマンスが極めて悪い店だな」
友人とつぶやきながら店を出た。

食べた全量は前菜ほどで、全く腹を満たしていなかった。
帰宅してから、用意しておいた夕飯を食べた。
自分の料理の方が数倍美味しいと思った。
食後、"くるなび"でその店を調べると星三つ半と甘い評価だ。
私の評価はせいぜい一つ半だった。
このような店は、昔を知っている食の細い老人と有名店崇拝の田舎者に支えられているのだろう。


昨日、イトーヨーカ堂の地下食品売り場で買い物ついでにアイスコーヒーを飲んだ。
110円と格安にもかかわらず、女店員は満面の笑顔で対応してくれた。
なんとなく、先日の銀座の老舗での対応を思い出して比較してしまった。


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画帳がなかったので手帳にスケッチした。

広い店内は空いていた。
斜め向かいの女子高生が、一心に勉強をしていた。
とても綺麗な頭が良さそうな子だった。


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2017年7月18日 (火)

今を評価しているなら、どのような過去も否定してはならない。運命は過去の小さな違いで大きく変わる。17年7月18日

午後3時、激しい雷雨が過ぎて行った。
池袋では猛烈な風とともに5センチほどの雹が降って屋根に穴をあけた。
その激しさは走行中の高級外車の数十カ所を凹ませるほどだ。
赤羽では地面が少し濡れ気温が下がったので散歩へ出かけた。


聖路加国際病院名誉院長・日野原重明氏が亡くなった。
氏は胃瘻などの延命措置は全て拒否して自然死を選んだ。
「辛いところはないですか」
終末期に担当医が聞くと「辛いところはない」と首を振られるだけだった。

母にも同じことを聞いたことがある。
母は「良い気持ち」と笑顔で首を振っていた。
高齢者が自然死を選べば、脳内麻薬の多幸感の中で逝くことができる。

7,8年前のことだ。
私が担当している日本生命倫理学会の表紙について「画料を上げなさい」と氏が担当者に進言された。お会いしたことはないが、進言通りに画料は増額されて、以来、親しみを覚えた。テレビで拝見する氏は大変お元気で、いつまでも亡くならないのではと錯覚したほどだ。
今日、訃報を耳にして、人は誰でも死ぬものだと痛感した。
心から合掌。


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赤羽自然観察公園の田圃。


夜中に背中が苦しくて目覚めた。
タオルケットが暑かったからかもしれない。
冷たい水で汗を流し、汗ばんだシャツを着替え、再度床に就くと胸苦しさはすぐに治った。

体の不調は日常的に起きている。
食道あたりの不快感、体の節々の痛み、常にどこかが傷んでいる。
しかし、気にはしていない。
それは母の介護をして、老いとは痛くて苦しいことだと学んだからだ。

生活保障がない身なので、生涯現役に努めている。だから、同年齢の知人たちより元気に行動する他、生きるすべはない。残り少ない人生に最後の一矢を報いたいと思っている。


若い頃の自分を思い出すと恥ずかしくなる。
しかし、残り時間は少ない。
後悔すれば貴重な時間が無駄になる。
老いたら後悔したりせずに、好きに過ごすのが良い。

若い頃にもっと勉強していたら、と反省することがあるが、無為に過ごして来たわけではない。
勉強する代わりに、人の数十倍は絵を描き、人の数倍は散歩して来た。
もし、猛勉強していたら、安定した老後を迎えられたが、今の自分はない。
貧乏でも今の生き方が最善だと信じている。

いくら才能があっても絵描きにはなれない。
才能以上に運が必要だ。
もし、自分に運がないと思ったら、今までと違うことをしてみることだ。例えば、家を出る時に右足から出るか左足から出るかだけで、その後の人生は変わる。過去に違うことをしていたら、運命は変化して、今の自分はない。もし、今の自分が好きなら「あの時こうすればよかった」と反省するのは無意味だ。


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池袋のサンシャイン通りで見かけた男女。
女性は10代。男性は20代前半だろう。
カップルというより、仲の良い友達関係に見える。

好き嫌いは別にして、どんな格好をしようと自由だ。
原宿ファッションが大好きで日本に住み着いている外人の女の子が「日本は服装が自由だから好きだ」と話していた。彼女の言葉は、このような男の子のことを言うのだろう。
彼は年取ってから、この頃を思い出してどう思うのだろうか。
「平気だ」と開き直るほどでもないし、後悔するほどでもない。
淡々とその歳を生きれば良い。


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毎日、電車で出かけている。
土曜は浅草へ出かけた。
以前よりさらに外人が増え、伴って人力車も増えていた。
車夫は若者ばかりで、女性も混ざっていた。
彼らは日に焼け鍛えられた肉体を誇らしげに陽光にさらしていた。
若者たちがその職を選んだのは、江戸の粋を踏襲したファション性にあるのかもしれない。楽ではない仕事を選ぶ若者の多さは、日本のとるべき方向を示しているように思えた。


自由な時間に誰にも支配束縛されない人間関係。
若者たちを惹きつけるのはそのような仕事だ。
時間を犠牲して得られた豊かさでは幸福は得られず、後で後悔する。
幸せにとって、金銭的な豊かさより心の豊かさは大切だ。


AIはこれまでの職種を半減させる。代わりに新しいプログラマーなどの仕事が生まれるが、優秀なものが少数いれば済む職種で、失った員数を埋めるほどの容量はない。重要なのはそれが人として魅力がある仕事かどうかだ。その点、昔ながらの手仕事や力仕事は人間的で魅力がある。


帰りはアメ横に寄ってアーモンドとドライフルーツを買った。
帰りは高崎線を使った。
赤羽までは尾久に停車するだけで早く到着する。
さすがに乗客のほとんどは日本人ばかりで、なんとなくホッとした。
別段、排他的なわけではない。
この安堵感は懐かしさのせいだ。
隣町の十条に安堵感を覚えるのも、同じ理由だ。


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5時半に日陰に入る公園のベンチで毎日お茶を飲む。
緑陰の涼風が心地良いが、最近、蚊が増えて閉口している。
今日も数十匹に群がられて、耐えきれずに逃げ出した。


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2017年7月 6日 (木)

過剰治療をしない欧米の高齢者の終末医療。九州に帰郷してから東京の風景が懐かしく見える。17年7月6日

欧米での高齢者の終末医療についての記事。
それによると、スウェーデンでは高齢者が肺炎を発症しても抗生剤を使わない。
高齢者が肺炎を繰り返すのは自然な成り行きで、たとえ治癒してもすぐに再発し、苦しみを長引かせてしまうだけだ。だから無用な治療はしない。
同じ考えで、尿が止まっても利尿剤を使わない。
それどころか看護師が血圧や尿量を調べることもしない。
その他にも昇圧剤(終末期に極度に下がった血圧を上げる薬)、点滴、経管栄養、血液透析、人工呼吸器装着などもしない。
ちなみに、それらの治療は日本の病院では当たり前のように行われている。

オーストラリアの特別養護老人ホームでは、高齢者が弱っても口から食べ飲むだけに限定する。そのように対処すれば約2週間で自然死し、寝たきり老人は生まれない。
オーストラリア政府の緩和医療ガイドラインには「無理に食事をさせてはならない・栄養状態改善のための積極的介入は倫理的に問題がある・経管栄養や点滴は有害と考える」とある。そのように国が率先して延命治療からの離脱を指導している。

オランダの施設では終末期老人の尊厳のために点滴や経管栄養をしない。
オーストリアでは、終末期老人の食べない権利を認めている。
米国では更に衝撃的で、西海岸のある施設ではスプーンを口元に近づけることすら禁止している。

欧米で点滴や経管栄養をしないのは、終末期老人の尊厳を尊重しているからだ。その指針が医療費抑制にもつながっている。
日本では、そのような緩和医療はガンとエイズに限定されている。

私も終末期の母にそのように対処した。
往診していた家庭医も、無理に食べさせたり、水分補給をすると本人が苦しむからと、何もしなかった。だから、母は1週間で危篤に陥り、最期は医師を呼ばず一人で看取った。今でも、母の最期の呼気と心音を静かに確かめられたのはとても良かったと思っている。医師は母が逝った後に呼んで、死亡診断書を書いてもらった。

日本の医師は高齢者に義務的に無用な蘇生を試みることが多い。なぜなら、医師が何もしないと家族から医療放棄と訴えられたりするからだ。それで、高齢者に無理な治療をする姿勢が生まれた。

私の看取り方を非難する人はいなかったが、世間ではひどい子供だと非難する人がいる。それを恐れて入院させて骨と皮だけになるまで治療を続け、結果的に本人に多大な苦しみを与えている。
もし自然死なら脳内麻薬のエンドルフィンが分泌され、多幸感の中で本人は旅立つことができる。しかし、無理な延命をすると、エンドルフィンの分泌が枯れ、非情な苦しみの中で旅立つことになる。


ガン治療についての記述もあった。
昔から「ガンと闘え」と言われてきたが、統計では闘っても効果は全くない。むしろ、気にせず普通に暮らすのが一番延命効果がある。ダメなのは気にして鬱状態になることだ。こちらは目に見えて悪化し死を早めてしまう。

祖母は50歳の時に胃ガンと診断された。
しかし、本人は全く気にせず、治療せずに平気で暮らし、85歳まで長生きして肝不全で死んだ。
世話をしていた母によると、腹部に固いしこりを感じたが、全く大きくならならなかった。
昔はそのようなのんびりした老人が多く、祖母のような例は数多くあったようだ。

そのような祖母に接して来た母も自分のガンについてはほとんど気にしていなかった。
母は80歳の頃にガンが見つかり、80代は毎年のように手術をしていた。そして、90歳での肝臓ガンの大手術の後は「何が起きても何もしない」と自ら宣言して、97歳で心不全で死んだ。

記事によると、ガンは完治しない慢性病として捉え、共存するのが一番良いようだ。しかし、情報過多の現代、ガン宣告を受けながら平静に生きるのはとても難しい。


締め切りに追われ、半世紀欠かすことなくお詣りして来た6月30日、7月1日の十条のお富士さん詣でを忘れていた。お富士さんとは十条富士塚のお祭りの、地元での愛称だ。

先日、昼寝をしていて十条のMさんの夢を見た。
夢の中で、私は十条のMさんの家で飲み会をしていた。
ビールを飲み過ぎて葡萄棚のある縁側で涼んでいるとMさんがやって来た。
「仕事が忙しいの。たまには顔を見せなさいよ」
まだ若い元気な彼女が笑顔で話しかけた。

実際のMさんは母が死ぬ4年前、84歳で亡くなった。
目覚めてから、もうすぐお盆だと思った。
いつもはお富士さんのついでに、十条の雪峰院のMさんの墓をお参りしている。しかし、お富士さんを忘れていたので墓参りもしなかった。

その日の午後、早速十条へ出かけた。
日差しは強くて暑い。
十条銀座の酒屋でミネラルウォーターの大瓶とカップ酒を買った。

商店街のアーケードは冷房が効いて心地よかった。
十条は大型店が進出していないので、商店街が昔のままに賑やかだ。
それで最近はテレビ番組で取り上げられることが増えた。

裏道を進んで雪峰院へ出た。
墓石に酒をかけ、ミネラルウォーターで洗い流し、手を合わせていると気持ちが安らいだ。


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再度、裏道を辿って富士塚へ向かった。
住宅地の路地に昔風の八百屋があった。
赤塚不二夫の「もーれつア太郎」の八百屋にそっくりだ。
綺麗に並べられたトマトがとても新鮮で美味しそうだった。
買い物していたアラブ系の男性が女主人と楽しそうに話していた。
傍の電柱の街灯もなんとなく昔風の裸電球のように見えた。
その奥に銭湯が見える。
十条には昭和が色濃く残っていた。

静かな路地奥の樹木に覆われた富士塚を登って、頂上の小さな石の祠にお詣りした。
今まで懐かしさなど感じなかった街なのに、今回は不思議なほど懐かしくて感傷的になっていた。
もしかすると九州日南へ帰郷したことが影響しているのかもしれない。心の中で純粋培養されて来た郷里が現実に触れたために消え去り、懐かしさの時系列が大変動したのだろう。


今日は湯島天神へ出かけた。
古いお札などが沢山たまってしまったので、それを納めるためだ。
夏日差しが強いので、汗をかかないように休み休み歩いた。
上野公園から不忍池かけて、相変わらず外国人観光客が多い。


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弁天堂からの上野の山夏景色。
不忍池のハスが咲き始めて美しい。

おみくじを引くと小吉だった。
以前は凶ばかり引いていたので嬉しい。
一緒に金メッキの招き猫が入っていた。
様々な開運招福の像があるが、私は招き猫を期待していたので二重に嬉しかった。

不忍池端に宝くじ宣伝用の大型車が止まっていた。
スクラッチくじを5枚買うと200円が当たった。
最近、外ればかりだったので金運がもどったと思った。


十条での感傷がまだ残っていて、いつになく上野風景が懐かしく美しい。
湯島天神には受験生らしい若い女子が多く来ていた。
彼女たちは楽しそうに七夕飾りに群がり、短冊に願い事を書いていた。
最近都内各所で見かけるスタイル抜群の外国女性たちと比べ、日本女性たちがとても魅力的に見える。それは日本女性特有の優しい物腰のせいかもしれない。


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帰り道、いつものように東京北医療センター庭で休んだ。
夕暮れの風が心地よく、汗が引いた。
病院の屋上庭園上に積乱雲が見えた。

日差しは強かったが、荒川土手あたりで突然に雲が垂れ込め、住まいの玄関エントランスへ入ると同時に大粒の雨が落ちて来た。
またしても運がいいと思った。


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Goof

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«年月は猛スピードで過ぎていく。2017年7月1日