2017年5月22日 (月)

日テレ「スッキリ」にちょっと出た私「破り捨てられたカード」の真相。 17年5月22日

夏のような日々が続くが、5月の暑さは心地よい。
耳元をさわやかな風が過ぎる。
いつもの公園で休むと、シデノキの梢が優しく青空を撫でていた。
青空が美しいのは、沢山の人の思いを受けとめてきたからかもしれない。
公園脇の道を、皆暑そうにうつむいて歩いていた。
立ち止まって空を見上げれば心が晴れるのに、誰も空を見上げようとしなかった。
この素晴らしい5月の空と新緑を知らずに過ごすのは惜しいことだ。


先日、赤羽駅前で散歩中の私が日テレのワイドショー「スッキリ」のインタビューを受けたと書いた。今朝、二度寝から目覚めて「もしかして」とテレビをつけると、唐突に私が映し出された。テレビで自分の姿や声を聞くのはとても嫌なものだ。昔、FM東京の音楽番組で自然について語った時、その送られてきたテープは机の引き出しの奥にしまい込まれ、15年間恥ずかしくて聞くことができなかった。

いつ放映かは聞いていなかったし、期待はまったくしていなかった。放映された私は残念ながらその通り恥ずかしかった。重要エピソードはザックリとカットされて品なく変更され、紹介作品の色味もひどかった。「放映される」と知らせたのは親しい数人のみで、大ぴらに知らせなくて本当に良かったと思った。

昔、NHKで取り上げられた時はもっと長く真摯で丁寧だったが、ワイドショーでのこの切り口は仕方がないかもしれない。


Mb_5

番組のタイトルは合コン参加だったが、そんなものに私は一度も出席したことはない。
描かれた私はまるで別人で、本当の私はもっと品格がある。
上画像で着ているネルのシャツはバブルの頃に買ったものだ。
高級品なので色あせも傷みもなく、今でも新品同様だ。

インタビューされた時間は15分ほどだ。
その時答えた真相は以下のようなものだった。


  "破り捨てられたカード"

28年前、まだバブルの余韻が濃厚に残っていた頃のことだ。
その年の晩秋、親しい画廊主に連れられて3人展のオープニングパーティへ出かけた。
3人はモダンアートでは海外でも広く認められていた若手作家たちだ。
銀座のモノトーンで統一された広い会場にはテーブルがいくつも設えられ、高級ワインや料理が並んでいた。

当時、私は44歳だった。
前年の43歳の時、私は友人たちが必死で引き止めるのも聞かず、高給の仕事を捨てて、
「絵描きになって野垂れ死する」と宣言して絵描きに転向した。

絵描きとしての実績は何もなかった。
人と違っていたのは、10代後半に受験勉強を一切せずに、毎日、10時間以上絵を描いていたことだ。だから、25年以上の空白があったにもかかわらず、プロとしての技量は完成していた。

25年の空白期間の仕事は伝統工芸の彫金職人と雇われ会社役員だった。
職人仕事はとても恵まれていた時代で、月に10日働けば一般の3倍は稼げた。
会社役員の頃はバブル真っ只中で、さらに高給で生涯最高の自堕落な生活を満喫できた。


Mb_3

番組で紹介された44歳とされている私。
デジカメによる自撮り画像なので、パソコンを始めた1999年の画像だと分かった。
だから実際は54歳の私だ。しかし、若く写っているので44歳として使ってもらった。
背景の作品は「夏の終わりに」。絵描きとして認められるきっかけになった作品なので思い入れが深く、売らずに今も手元にある。


Mb_7

こちらが実際の44歳の私。
場所は青山で開催した最初の個展会場。
この個展で前述の画廊主と知り合った。
「スッキリ」の再現イラストの私はこの画像を参考に描かれている。
この縞のTシャツは今も着ている。しかし、28年も着続けると首回りが伸びきってしまう。だから着る時は後ろ前にして上着を羽織りごまかしている。

Mb_1

Mb_2

職人時代の37年前に作ったバック。
目立とうと、そのパーティーに肩から提げて行った。

バックは調理用のステンレスボールを2個利用してサバイバル用に作った。
当時の私は関東大地震が明日にでも起きると固く信じていた。
地震が起きたらバックを開き、ヘルメットとして頭に被り、ビル窓が砕けて舞い落ちるガラス片から頭部を守ろうと、本気で考えていた。

バックの中には、外出用の小物とともに、脱出用のロープや防煙簡易マスクなどが収納されていた。長さ1メートルの肩ひもは厚いビニール菅に耐荷重700キロのステンレスワイヤーを封入したものだ。開いたバックを加えると1,5メートルの長さになり、非常時にはそれを利用して階下へ脱出することができた。


パーティー会場の人たちは、今まで付き合った経験のないアート系やマスコミ関係が多く、私は田舎出の娘のように緊張していた。
手近なテーブルを選び、私は好物の生ハムをほうばりシャンパンやワインをがぶ飲みしていた。

「面白いバックですね。何が入っているのですか」
隣に立っていた若い女性が話しかけてきた。
私は複雑な機構のロックをガチャガチャと外して頭にかぶって機能を説明した。
すると座は一気に盛り上がり、人だかりができた

私は調子に乗って周りにお愛想を振りまきながら、
素早く「売れない絵描きです」とバックに入れてあった作品カード5枚を彼女に手渡した。彼女からは私立美術大助手と記された名刺をもらった。

彼女はしげしげと作品カードを眺めていた。
「"夏の終わりに"はビエンナーレで賞をとりました。
ライオンとキリンは先日売れたばかりです」
私は嬉しそうに自分の話をした。
本当の当時の自分は貧しく、時には電車賃節約のため、赤羽から歩いて池袋まで画材を買いに行ったほどだ。
自慢を聞いていた彼女の顔が「何だ売れてる絵描きじゃない」と曇ったはずだが、当時の私はまったく気付かなかった。私は図に乗って、この1年はあちこちの大小の公募展に片っ端から応募して賞金総額が200万近くになった、とかなり事実を盛って自慢した。

本当の私は自慢好きではない。
むしろ謙虚なくらいだ。
自慢相手がいつも飯を奢ってくれる裕福な友人たちなら、
「そんなに儲かっているなら飯代はお前が出せ」と容赦なく突っ込んでくれる。
だから、いつも安心して自慢話ができた。
しかし、彼女は生真面目に私の怪しい話を信じていた。


Mb_6

「このライオンの絵の空の緑、綺麗ですね」
彼女はやっとカードの批評を始めた。
「色が綺麗なのは印刷屋の力で、私の技量ではありません」
私は謙虚に答えた。
「この木はカリフラワーみたい。
カリフラワーって動物の内蔵みたいで、描いていて気持ちが悪くなりません。
それにこのライオンの足、解剖学的に変ですよ
あなたの立体は評価するけど、平面はちょっと素人ね」
彼女は厭な作り笑いをしながら、両手でライオンのポーズをして見せた。

言葉の節々にトゲを感じた。
だがそのくらいの言葉で傷つくようでは絵描きにはなれない。
「わあっ鋭い。さすが美大助手ですね」
彼女を褒めて、何とか和ませようとした。

何を話しても彼女の笑顔は凍ったままだった。
私は気まずくなってその場を離れた。
バックのおかげで、会場のあちこちで声をかけられ、綺麗な人たちから10枚近く名刺を手に入れた。
その内の何人かとは、翌年、ディズニーランドへ行った。

パーティーは予定時間を超えて続いた。
私は居残って、仲良くなった女性スタッフの掃除を手伝った。
その時、初めに着いたテーブルの下を覗くと、私があげたカードが5枚とも破ったり折ったりして捨ててあった。私はスタッフに見つからないように急いで捨てられたカードをポケットにしまった。

帰りの電車は憂鬱だった。
今も、窓ガラスに映った暗い顔の記憶が残っているほどだ。

パーティーの1ケ月後に彼女へ年賀状を出した。
松の内が過ぎた頃、普通切手が貼られたそけっけない年賀状が送られてきた。
その後、幾度か作品展案内を出したが彼女は来なかった。
年賀状は数年後には立ち消えになり繋がりは完全に切れた。

今も彼女を覚えているのは、プライドを傷つけてしまったとの反省があるからだ。
それ以来、女性にカードを渡す時は
「帰りに捨てたくなったら、こっそり駅のゴミ箱に捨ててね」と付け加えることにしている。


そのようなことがあってもめげずに、招待されると嬉々としてあちこちのパーティーに出かけた。そして、いつものように余計なことを喋りすぎて、帰りの電車で憂鬱になった。

この性癖は72歳になった今も変わらない。
先週土曜日も銀座のオープニングパーティーへ出かけて、シャンパンを飲み調子に乗り過ぎて「よしなさい」と売れっ子画家の美しいMさんにたしなめられてしまった。
「飲んで喋らなければ良い人なのにね」
彼女にはいつも注意されている。
しかし、この性癖は死ぬまで治りそうにない。


Mb_4

番組で紹介された現在の私。
描いている作品は先日納品した「T氏像」F8号、画材・リキテックスソフトタイプ。


M_9

徹夜で描いて九州へ持参した。
そのエピソードは次回記す。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas


|

2017年5月16日 (火)

最近、痴漢絡みの電車ダイヤの乱れが多い。17年5月16日

痴漢で線路上へ逃げてダイヤが混乱する事件が連発している。
昨日15日20時15分、東急田園都市線青葉台駅の下り線の線路上で30代の男性が列車にはねられた。
「痴漢行為があった」と連絡受けた駅員が事情を聴いていると男性は痴漢行為を強く否定して線路に飛び降り、背後から来た電車に跳ねられた。亡くなったので真相はわからない。捕まったら100パーセント有罪にされるので、手段を選ばず逃げろ、とのマニュアルが痴漢仲間で広がっているようだ。

ニュースを聞きながら母の介護をしている頃を思い出した。
10年ほど昔、渋谷の画材店で買ったロール巻きのキャンバスや絵の具などの大荷物を持って埼京線に乗った。埼京線は昔から痴漢が多い。電車は空いていたが、入口脇の手すりに寄りかかって大きな荷を支えながら立っていた。

次の新宿で女子高生3人組が乗り込んで来て、私の前でお喋りに夢中なった。電車が揺れるたびに彼女たちはふらつき、背を向けた一人の背が私の画材に触れた。その都度「触ったわね」と言った視線で彼女は私をにらんだ。
「荷物に触れるのが嫌なら、空いているんだから離れたらいいだろう」
強く言うと、彼女たちは文句を言いながら離れて行った。
もし、痴漢の疑いをかけられたら警察に連行されて拘留され、母の世話ができなくなる。連行されればしばらく帰宅できず、施設に預けられたとしても母はショックで体調が悪化し取り返しがつかなくなる。
この時代は冤罪でも、連行されたら100%有罪になっていた。それ以来、女性の隣には絶対に立たず、監視カメラ近くで顔と両手が見えるように立つようにした。

今年4月10日、千鳥ヶ淵での花見帰り地下鉄南北線に乗った。
電車は超満員で私の前に化粧の濃いグラマーな女性がいた。黒皮のミニスカートにはアンバランスな地味な顔だ。私は踏ん張って常に彼女から20センチほど隙間を空けておいた。しかし、電車が揺れるたびに右手に下げたリュックが彼女の足に触れたようだ。左手はつり革を掴んでいるので触れようがないのに彼女は幾度も私をにらんだ。
危険を感じ「誰もあんたなんか触っていないよ」と大きな声で言った。
周りの男性たちは同意するように笑顔でうなづいていた。女性は大人しくなって俯いた。赤羽が近づいて空いてきたので女性から離れ入口へ移動した。

今日の痴漢事故死のニュースを聞きながら、それらの出来事を思い出した。
最近、監視カメラの下で両手を上げて立つ男性が増えていると言う。私と同じ不愉快な思いを経験している男性が多いのだろう。家族持ちの男性が痴漢の疑いで長期拘留され有罪判決を受けると家庭は崩壊する。仮に冤罪が判明しても、失ったものへの保証はない。

現実には圧倒的に痴漢被害の方が痴漢冤罪より多い。しかし、冤罪は家族を路頭に迷わせて人生を狂わせるほど被害は大きい。満員電車で不愉快な思いをしているのは女性だけでないことをぜひ知ってほしい。


私が電車に乗るのは月に1,2度だ。しかし、痴漢をしそうな人は何となく分かる。通勤に疲れ果ててホームに立っている男性たちの中で、妙に生き生きと目が輝いている男がいたらそうだ。彼らは目的の女性に目をつけるとぴったり体をつけて満員列車に乗り込む。

私が見た変な痴漢二人。
車中でしゃがみこみ、女性の尻の匂いをうっとりと嗅いでいた30代の男。
もう一人は私が若い頃の赤羽線。
少し混んでいる車中で私の肩に顎を乗せて喘いでいるおじさんがいた。
後者は思い切り肘で突いてやった。

女性知人に聞いた痴漢の思い出。
小学生の頃、友達と近所の神社へ行くと白い子ウサギを抱っこした男性がいた。
「わー可愛い」と駆け寄ると子ウサギの姿がちょっと変だ。それは男性の股間あたりにいて、よくよく眺めると大事なところを包帯でクルクル巻いたものだった。
二人はすぐに「キャー」と逃げ出した。

もう一つは彼女が女子高生の頃の友人の話。
友人は強い近視だが、美容上メガネをかけない。
入口脇の席に腰掛けていると、脇の手すりに男性が指をかけていた。
「すごっく太い指」と思って、しみじみ眺めると爪がない。
下車してからも「変な指」と考え続けて、やっとそれが指でなかったことに気づいた。
女子高生の皆さん。近眼だったら外でもメガネをかけましょう。

九州行きの話は次回書きます。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

2017年5月 9日 (火)

締め切り前で繁忙 17年5月9日

締め切り前で忙しく、ブログを長く更新していない。
間が空くと、体を壊しているのではと心配される。
幸い、作品の完成のめどが立ったので短く更新することにした。

風ひかる5月。
言葉通りのさわやかな日々が続く。
散歩道の日差しに揺れる燕麦の穂波が、iPodのヴィヴァルディにマッチして心地いい。

報道はフランス、韓国の大統領選ばかりだ。
フランスはマクロンが当選したが、既成政党に属さず議会を制していないので、政治的手腕は未知数だ。私見だが、投資銀行出身の彼が格差問題を解決できるとは思えない。

ルペンは落選したが、確実に支持者を増やした。自由の本家と自認していたフランス国民が建前を捨て本音を主張し始めたようだ。マクロン大統領はそのようなルペン支持者たちを無視することはできない。

韓国は間もなく決まる。
多分、予想通り文在寅氏だろう。
韓国の若者たちやインテリは北朝鮮が送り込んだ活動家に支配されている。文在寅大統領なら韓国は北を経済援助するので、北の核武装とICBMの開発は一段と進むはずだ。従軍慰安婦日韓合意については米国からの圧力があるので無理に破棄するのは難しい。しかし、北の意向は破棄だ。なぜなら、破棄すれば日韓関係は決定的に悪化して北を利するからだ。

日本のリベラルは口を揃えて韓国若者たちの熱い政治参加が羨ましいと言う。しかし、彼らを突き動かすエネルギーは、ヘルコリアに象徴される大変に厳しい状況にある。
対して日本の若者が大人しいのは国内経済が安定しているからだ。日本にも格差問題はあるが世界トップクラスの失業率の低さが政治への関心を薄れさせている。

文在寅氏は公務員を大増員させて若者を受け入れると公約した。
韓国では公務員は憧れの職で、例えば警察官採用試験のための予備校があるくらいだ。公務員を増やせば国家財政は確実に疲弊する。加えて日韓離反が決定的になれば韓国経済はさらに悪化する。


M_2

先日まで散歩道のそこかしこにスズランが咲いていた。
かがんで鼻を近づけると、特有の甘い香りがした。
香りの形容は難しい。強いて言えば蔓ジャスミンを優しくした感じだが、やはりスズランと言う他ない個性的な香りだ。
今は、このところの暑さですべて萎れてしまった。


M_8

パナマを買った。
ハットベルトの細い遊び用だ。
遊び用のパナマがまっさらでは気恥ずかしい。
毎日の散歩にかぶって出かけ日焼けさせている。
今シーズンの終わりには、程よく古びて感じ良くなりそうだ。

写真の場所は東京北医療センターのカフテリア。
誰でも使えるのに広々と静かで、280円のコーヒーがとても美味しい。


製作中の作品は、完成したら後日九州へ持参する。
私は赤羽に引きこもっているので、旅行は苦手だ。
だから、九州はとんぼ帰りの予定だ。

赤羽は自然と都会がうまく混在していて、散歩好きの私には理想の地だ。
村上春樹の新作「騎士団長殺し」に私の住む浮間が登場するようだ。やっとマスコミに赤羽の素晴らしさが取り上げられるようになったが、次は浮間地区も加わるかもしれない。

浮間は緑地が多く広々としていて家賃も安く、最近、外国人に人気がある。
そのせいか、散歩しているとハッとするほど美しいハーフの少女たちに出会う。
マンションが次々と新設されているので、街に若い主婦が増え、これもまた楽しい。


先日、赤羽駅前で日テレのインタビューを受けた。
「女性にひどい目にあったことがありますか」が番組テーマ。
ひどい目なら人一倍経験している。
しかし、咄嗟に聞かれると大して思い出さないものだ。

話し終え「大丈夫だったかな」と、トイレの全身鏡で点検するとジーパンのチャックが全開だった。声をかけられたのはその間抜けさのせいだ。こいつなら女性にひどい目にあっていると思われたのだろう。
オンエアがいつなのかは聞かなかった。
どうせ編集カットだろうと思っているからではない。
最近、先のことを考えなくなった。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas


|

2017年4月22日 (土)

嫌なことだけでなく、良いことでも早く忘れたがいい。無知であることで自由に生きられる。17年4月22日

嫌なことは早く忘れたいと誰でも思っている。
しかし荘子は「良いことであっても早く忘れたが良い」と言っている。

30年ほど昔のことだ。帰宅した母が銀行での出来事を話した。
母が順番が来るのを待っていると、知らない老人が話しかけて来た。
「この小説は息子が書きました。芥川賞の候補にもなっています」
老人は手にした文芸誌を開いて母に作品を示した。
「素晴らしいですね。本当によございました」
母が心から褒めると、老人は嬉しそうに銀行を出て行った。

「あの方の気持ちは親としてとてもよく分かる。
正喜にそんな良いことが起きたら、私だって東京中に自慢して回るよ」
母はそんなことを話した。
私は「恥ずかしいから、それだけはよしてくれ」と応えた。

老人は、初めは近所親戚知人と本を贈り息子の自慢をしていたのだろう。
活字になった作品を見ればみんなは褒めそやすが、世間はすぐに飽きる。
そのうち誰も相手にしてくれなくなって、知らない人にまで本を見せて回っていたのだろう。
母の話を聞いた後、老人の親心が切なくなった。

良い出来事でも執着すると煩悩に変わり苦しむ。
恋愛も同じだ。
情愛の快楽に執着すると、嫉妬したり邪推したりして苦しむことになる。

「心は固(まこと)に死灰のごとくならしむべし」荘子
良いことも悪いこともさっさと燃やし尽くして灰にしてしまうのが良い。


若い頃はイベントからイベントへと生きていた。
その最たるものが好きな女性とのデートだ。
デートを待つ日々は、そのことで頭がいっぱいで、他のことは何も考えられなかった。

老いた今は違う。
楽しいイベントは時折あるが、それを待つ日々も大切におろそかにしない。
老いると、明日の保証がないからだ。
突然に体調を崩し、大切な日に寝込むことだってある。
最悪、突然死することもある。
だから、点と点の生き方ではなく、毎日、今が大切と思って必死に生きている。


M_18

荒川土手のタンポポの群落。
穂綿の群れが童話の世界のように可愛い。
雨が降りそうな湿気のために穂綿がとどまり、この風景が生まれた。
明日は好天なので、ほとんどの種は風に飛ばされて行くだろう。


先日、Eテレでモーガン・フリーマンの時空を超えて「宇宙は永遠に続くか」を見た。
番組で分かったのは、大宇宙のことを人は何も分かっていないことだ。
宇宙論を聞きながら、私の仕事場と同じ6畳間に引きこもっている青年がいたとしたら、どのように宇宙を考えるのか想像してみた。

青年にとっての宇宙の広さは6畳で、その寿命は後30〜50年ほどで終焉する。
「井の中の蛙 大海を知らず」の諺がある。
狭いところに閉じこもらず、外の広い世界も知らなくてはならない、との警告だ。
しかし、閉じこりの青年は「大海」を知らなくても生きて行ける。
むしろ、無知であることで自由に生きられるかもしれない。

大海を知っていると自認している人でも、太陽系の一点である地球のごく薄い表面だけをほんの僅かだけ知っているだけだ。
その太陽系ですら、銀河系の極小の一点に過ぎない。
さらにとてつもなく広大な宇宙が存在して、その宇宙に人が対峙すると限りなく0に近づく。
その宇宙も、多元宇宙論では大宇宙に無限にある宇宙の微細な一点に過ぎない。
我々が属している宇宙の存在期間も、大宇宙史の中では痕跡すら残らない刹那のことだ。

大宇宙を基準にすると、人類は存在していないのと同じだ。
しかし、自分を基点に大宇宙を見ると事態は逆転する。
引きこもりの青年にとっての宇宙は限りなく縮小し、手が届く範囲となる。
彼が認識できない外の世界は存在しないと独善的に考えても何の不都合もない。
引きこもり青年にとって理論物理学で考える大宇宙などどうでもいいことだ。

しかし、北朝鮮から核ミサイルが飛んで来て、引きこもりの青年が危険にさらされる可能性はある。青年を扶養している親が年老いて破産し、債権者から部屋を追い出される可能性もある。部屋へこもり続けたために体調を壊し、救急車を呼ぶ羽目に陥ることもある。それでも、自分に起きるすべてを受け入れる覚悟があるなら外の世界を知る必要はない。
なぜなら、人類自体が、極めて小さな地球に引きこもっている存在だからだ。宇宙から人を見たら、万物斉同、内向きでも外向きでも大差はない。
それが老荘思想の根幹をなしている考えだ。

人は世界を考えたり、明日のことを先回りして考ることが大切だと考える。そのように知力を使って人は豊かになり文明を築いて来た。だから、知力を否定する老荘思想は人類史に相反するものだ。

 学を断てば憂いなし 老子

近年、欧米人もやっと知力によって人が不幸になってしまった現実を認め始めた。
その一人、世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、狩猟採取から農耕に変わった時に所得格差が始まり、一般人の生活水準が狩猟採取時代を凌ぐには幾千年も要したと記している。

「サピエンス全史」に次のようにある。
「2014年の経済のパイは1500年のものよりはるかに大きいが、その分配はあまりに不公平で、アフリカの農民やインドネシアの労働者が1日身を粉にして働いても、手にする食料は500年前の祖先よりも少ない。人類とグローバル経済は発展し続けるだろうが、さらに多くの人々が飢えと貧困に喘ぎながら生きていくことになるかもしれない」
とは言え、日本などの先進国は知力によって長生きと豊かさを享受している。
それは知力の功績だが、それで人類が幸福になったかどうかは疑問だ。

2000年以上昔から、老荘思想では知識が不幸の元凶だと言って来た。
老子の言う理想社会は、人々が無知で、食べ物が十分にあって、みんな健康である社会だ。
愚民政治だと非難される問題発言で、知識全能の社会にどっぷり浸かって生きて来た我々には過激すぎる言葉だ。しかし、知識が支配者に奉仕するために生まれ、戦争や格差社会を生んだことは厳然たる事実だ。


個人と大宇宙の関係を考えることは、神の存在を考えることだ。
宇宙の真実は永遠に分からない以上、神や死後の世界や死者の魂を信じることに不都合はない。それが人生を心地よくさせるなら、積極的に神や死後の世界や死者の魂を信じたほうが良いと思っている。
宇宙についても同じだ。
理論物理学の宇宙観より、スターウオーズなどのSF世界の方が絶対に楽しい。
学者から見れば空想科学や宗教は無知そのものだが、無知の世界は自由奔放で楽しい。


M_1


もうすぐ5月1日の祖母の命日だ。
43年前、快晴の爽やかな朝に祖母は在宅で母と私に看取られて死んだ。
その夜は久しぶりに大家族が揃って、とても賑やかな通夜になった。
快晴の翌日が葬儀で、ツツジが満開だった戸田の斎場で荼毘に付した。
翌々日の3日も爽やかな快晴だった。
祖母の遺骨は紅型の風呂敷に包まれ、母と兄と共に九州の菩提寺へ旅立った。
満開のツツジと木漏れ日の美しさが鮮明に記憶に残っている。
その翌年の秋、中学教師をしていた兄は学校で急死し、見送った兄の後ろ姿が見納めになった。

兄の葬儀は学校葬として盛大に執り行われた。
都城郊外の寂しい火葬場での荼毘の後、大柄な兄の遺骨は多過ぎて骨壷に入りきらなかった。それを全部納めてと泣き叫ぶ兄嫁の姿が目に焼き付いている。

兄は昔風の2枚目で、若い頃のあだ名は「光の君」だった。
と言っても兄は極めて真面目で、私にはいつも読書していた姿しか記憶にない。
兄には重症の紫斑病があり、35歳まで生きられないと医師に言われていた。兄は自分の運命を自覚していて、九大の理系に進学したが、いつの間にか好きな仏文に専攻を変え酒とマジャーンに浸り、臓器から大出血を起こす紫斑病の発作を繰り返して中退した。

日南市大堂津での静養中、再度大発作を起こしたが地元の屈強な漁師たちの大量輸血を受けて奇跡的に命を取り留めた。さらに健康な血液のおかげで体質が変わり、兄の紫斑病は劇的に寛解してしまった。
兄はその後結婚し、生活のために通信教育で教師資格を取って都城の中学教師なった。しかし大好きな酒はやめず、組合運動にも熱中して過労から学校で脳出血を起こし急逝した。死因は紫斑病とは無関係だ。もし、ビールジョッキでウイスキーを飲むような大酒を控えていたら今は84歳で、生きていても不思議はない。


M_17

先日の桜。東京医療センター下の公園。
この光景はすでに終わり、今は緑一色に変わった。

 花の夢 覚めて青葉の風寒し

この自作の句を毎日噛み締めている。
年々、桜の美しさが身に染み入るようになった。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

2017年4月14日 (金)

生まれながらに悟りの境地、悩みなく幸せなアマゾン・アモンダワ族とピカソ考。17年4月14日

赤羽北の公団住宅に住んでいた頃のことだ。
緑内障で失明したお隣のネコのモモちゃんは、毎日のようにヒゲで壁との距離を測りながら我が家へ遊びに来ていた。
彼は失明の不幸を悩んでいるようには見えなかった。
もし彼が人であったら、自殺を考えるほどに悩み苦しんだはずだ。

モモちゃんが悩まなかったのは、健康な頃の自分と失明した自分を比較しなかったからだ。
人の悩み苦しみは、過去の自分や他人と今の自分を比較することから生まれる。昔は健康でお金持ちだったが、今は病弱で貧乏だとか。お隣は裕福で家族に恵まれているのに、自分は貧乏で孤独だとかだ。

未来に対しても、30年以内に大地震が起きるとか、ガン家系だから自分もがんになるかもしれないとか、失業するかもしれないとか、現実に起きていない妄想に苦しむ。

しかし、世界には過去の自分や他人との違いや、明日のことを悩まない種族がいる。
ブラジル・アマゾンで1986年に発見された、150人ほどのアモンダワ族がそれだ。彼らは自分の過去も未来も考えない。
彼らにも子供の頃の記憶はある。しかし、子供の頃の自分と今の自分は同じ自分だと割り切っていて、比較したりしない。彼らには年、月、日も時間の概念もなく、数字は4までしかない。もし、五個〜十個の果物があったとすれば、沢山あると表現する。

月日時間の概念は、夜、昼、雨季、乾季があるだけだ。
明日の感覚もなく、今生きている現実が全てだ。
だから、彼らは極めて幸せに暮らしている。
禅語に「前後を際断せよ」がある。
過去と未来の際で断ち今に専念せよとの意味だ。
彼らの姿勢は悟りの境地にとても似ている。

しかし、彼らが発見されてから30年は過ぎた。今はボルトガル語を使い教育も受けている。彼らがどう変化したか不明だが、昔より確実に不幸になっているだろう。

人類が農耕を知って、支配者が富を独占し始めてから数字は発展した。
対してアモンダワ族は富は平等に分配するので、数字は4までで十分だった。
明日のことも考えないから、平均余命が20年とか10年とか考える必要もなかった。


M_2

4月10日月曜日、銀座で知人の個展を訪ねた後、千鳥ヶ淵まで歩いた。
暗くなって着いたが、期待していた桜のライティングはなかった。
交番で聞くと「前日の9日まででした」と気の毒そうに教えてくれた。
それでも桜は満開でまだ散っていず、花見客は多かった。
お堀の向こうの斜面に目をこらすと、月光に浮かび上がる桜が美しかった。
絵は、翌日ドトールで描いた。


M_1

ドトールの窓外の通行人。
印象に残った人を描いた。


M_10

11日は雨だった。
旧居の公団住宅前の桜。
引っ越してきた頃、桜は手で握れるほどの幼木だった。
幹を撫でながら、幼い花が可愛いと話していた母を思い出す。


最近、ピカソのドキュメンタリー番組を見た。
感覚を二次元化する圧倒的な才能がテレビ画面から伝わってきた。
彼のような巨匠はこれからは生まれないはずだ。
今は秀でた表現力の意味が変質し、誰でも表現し発表できる時代に変化したからだ。
これからは彼のような巨匠は必要とされないだろう。

彼の出現は時代が味方した。
もし彼が10年早く、あるいは10年遅く生まれていたら、優れた画家にはなれたが巨匠にはなれなかった。スペイン国籍も味方した。彼はナチスドイツに占領されたパリで暮らしていたが、ナチスとスペインは同盟関係にあり、反ファシストであったにもかかわらず深刻な迫害は受けなかった。

フランコ政権に依頼されてドイツ空軍がゲルニカを無差別爆撃したことに対する抗議として、彼は巨大な作品「ゲルニカ」を描いた。これは彼の最高傑作の一つとして評価されている。番組ではステレオタイプに「祖国の悲劇に対する怒りを圧倒的に表現している」と述べていたが、私はそうは思わなかった。

造形的に力強く大変に優れた絵画ではあるが、この作品に怒りは感じない。それは怒りを描いた多くの歴史的名作に共通することだ。優れた芸術的作品には心地良さがあり、怒りは薄められてしまう。むしろ、無名の素人の稚拙な絵の方がはるかに怒りや残酷さを純粋に表現している。例えば被爆者が描いた絵などがその代表だ。対して、丸木夫妻による原爆の図は芸術的美しさや心地良さがあり、そのぶん怒りや悲惨さは薄められている。

ピカソは歴史上、世界一裕福で高明な画家だったが、幸せかどうかは別だ。
彼は自分以外を愛することができず、人としては不幸だった。
彼の旺盛な制作欲は、あくなき生への執着だった。
だから、死や、ぼんやり過ごすことを極度に忌み嫌っていた。
彼の死の半年前の自画像が番組で登場したが、生への執着と恐怖が描かれていた。アモンダワ族とピカソを比べると全く逆に思える。


ピカソと比べて、ゴッホは早く生まれすぎた。
ゴッホの生涯で売れた数枚の作品の合計額より、ピカソの画室に残された灰皿の吸い殻やゴミ箱の方が100倍は高く売れるはずだ。ゴッホの自殺の原因は、貧しい画商・弟のテオから、仕送りはもうできないと手紙で知らされたからだ。

番組でピカソの絵がオークションで100億で落札された。
今ならその倍で売れたかもしれない。オークションは貧乏絵描きには目眩を覚えるような光景だ。100億は1年に1億使っても100年かかる。そこに所得格差が異常に開いてしまった資本主義の終焉を感じる。

ピカソの絵はバブルの頃、大量に日本へ持ち込まれた。
ほとんどはヨーロッパでは売れないピカソの二流品だったが、日本では名前だけでバカ売れしてヨーロッパの画商はボロ儲けした。バブル崩壊後、それらの多くはヨーロッパへ売り戻されたが、購入価格の1割ほどに買い叩かれた。

中国バブルでも同じ現象が起きた。
しかし、中国富裕層は日本のバブルに学んでいるので、日本人ほどカスを掴まなかったはずだ。


M_11

12日、赤羽自然観察公園へ行った。
自然の桜も美しい。
中央崖上に見事なコブシの古木があったが、その向こうに建設予定の道路にかかっていたので伐採された。この風景を見ると喪失感を覚える。


M_322

伐採されたコブシの古木。


公園で、毎日、母を車椅子で連れて行っていた頃の知人に会った。
「母が死んでから7度目の春です」
と話すと「そんなに過ぎましたか」と、知人は感慨深げだった。

 死に支度 致せ致せと 桜かな 小林一茶

新聞に載っていたと知人から教えてもらった。
歳を重ねた今、この句はとても心に染み入る。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

«上野、新宿御苑、赤羽と桜三昧の毎日を過ごしながら、幸せについて考えている。17年4月9日