2012年5月16日 (水)

一般的に知られる物語は、伝承された物語の中では極めて特殊なものだ。12年5月16日

 日本にタピオカが登場した40年近く昔だ。幼い姪たちに食べさせようと銀座へ連れて行った。銀座場末のその中華料理店は、カウンター席のあるラーメン屋のような店だった。

料理を食べ終え、最後にカカオミルクに入ったタピオカが出て来た。姪たちが珍しそうに聞くので「これはカエルの卵だ」と教えた。姪たちが「いやだー」と騒ぐと、カウンター内のヒゲの料理人がジロリと見た。慌てて「これはただのお団子だから」と静かにさせた。

「こんなに小ちゃなお団子、どうやって作るの」
早速、姪たちが聞いた。
「ヒゲのおじさんがこちらを見ているだろう。聞こえるとまずいから静かに聞きな、と小声で話した。

・・・夜中、店を閉めた後、大きな鍋でお湯をクツクツ沸かして、小人たちが回りをかこむんだ。
そして、小ちゃな手でお団子を丸めては、次々とお湯の中に放り込むんだ。
作り方が遅い小人は、あのビゲのおじさんが爪楊枝でチクチク突つくから、みんな一生懸命作るんだ。
そして、やっと仕事が終わる明け方に、ジャムの空き箱に入って落花生を枕に泣きながら寝るんだ。

話し終えると、姪たちはタピオカを美味しい美味しいと食べながら、料理人を睨んでいた。
姪たちに睨まれたヒゲの料理人は訳が分からず困惑したことだろう。

 その頃、姪たちは白雪姫のことをリンゴ姫と思い込んでいた。
白雪姫のストーリーをちょっと変えて話してあげたからだ。

・・・意地悪な魔法使いの継母がリンゴをくれたところまでは白雪姫と同じだが後は違う。
毒リンゴを囓ったお姫様は大きなリンゴになってしまった。
大きなリンゴを見つけた小人たちは大喜びして、後でアップルパイを作ろうと新鮮保護パックに包んで冷蔵庫に入れて出かけて行った。
そこに、とってもとってもお腹を空かせた王子が通りかかった。留守の小人の家を見つけて王子はしめしめと忍び込んだ。そして、台所の冷蔵庫を開けると、そこに美味しそうな大きなリンゴがあったので夢中でがぶりと噛みついた。
するとたちまち大きなリンゴは美しいリンゴ姫に戻った。
王子はがっかりして、すがりつくリンゴ姫を振り切って出て行ってしまった・・・

 愛より食欲が強いと教えた姪たちは孫が出来そうな歳になった。私の教訓が悪かったのか、姪たちの離婚率は高く、まっとうに結婚生活を続けている者はいない。

弁解すると、世界各地のおとぎ話は本来そのようなものだ。今年始めNHKの深夜放送で市原悦子が朗読したおとぎ話もそうだった。

 それは各地にある "鶴の恩返し" の別バージョンの一つだ。

・・・ある日、男が蛤を助けてあげると、その夜、美しい女性が訪ねて来た。
男は喜んですぐに嫁にした。
毎朝、嫁は男にこの世のものではないほどに美味しい吸い物を作ってくれた。
ただし、「作る所を絶対に見てはなりませぬ。」と嫁は男に厳命していた。
しかし、男はがまんできず、ある朝、禁を破って嫁が料理する姿を覗き見てしまった。
すると、嫁は鍋にまたがって鍋にオシッコをしていた。
男がビックリして腰を抜かしていると、
「見てはいけないと申しましたのに・・・見られてしまったからには嫁でいる訳にはいきません。」
嫁は家を出て行って元の蛤に戻ってしまった。

 世界各地に語り伝えられて来たおとぎ話の中で、少数のものだけが近代思想のふるいにかけられて残った。だから、我々が知っている物語は、本来の伝承物語の世界では極めて特殊なものだ。

それが良いか悪いか早計には決められない。多くの民衆が語り伝えた物語はそれなりの力強いリアリズムと深い意味がある。だから、闇に消し去ってはならないと思っている。

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画像はパグに変えられた王子さまの物語・・私創作

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2012年5月14日 (月)

40年前の白昼の夢 12年5月14日

 これはある部分は真実で、ある部分は夢の世界だ。
戦争で独りになった老人の儚い夢に私が迷い込んで生まれた物語として読んで欲しい。 
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 40年前、東京場末の旧宿場町に住んでいた。
その街には昔の商家が残り、中央に深い掘り割りがあった。
その老人とは掘り割り沿いの散歩道で出会った。
彼はいつも木陰の縁台に座り、剃り上げた頭で刻みタバコを吸っていた。
毎日、老人と顔を合わすうちに軽く黙礼を交わすようになった。

 ある暑い夏の午後、汗を拭き吹き歩いていると老人が呼び止めた。
「にいさん、休んでいきな。」
恐縮しながら縁台に腰掛けると、老人は薬缶から冷たい麦茶を湯飲みに注いでくれた。
二人で黙って川面を眺めながら麦茶を飲んだ。
涼しい川風が深い掘り割りから吹き上げ心地良かった。
以来、老人と短い会話を交わすようになった。

 その日は彫金の仕事の納品があり、いつもの散歩は夕暮れ近くになった。
ぼんやり歩いていると、ふいに老人から呼び止められた。これから飲みに行くから付き合えと言う。仕事を済ませて、一杯やりたい気分だったので付き合うことにした。

 居酒屋は掘り割り沿いを少し行った木立の中にあった。
毎日歩いているのに、その店を知らなかったのが不思議だった。
「店は夕方から開くから、気づかなかったのだろう。」
不思議そうに店を眺めている私に老人は言った。

老人は慣れた手つきでのれんを跳ねて先に入った。
板壁に古い赤玉ポートワインのポスターが飾ってあった。
「おい・・・いないのか」
老人は奥に声をかけた。
現れた浴衣姿の女は三十前後の色白のきれいな人だった。
カウンターに着いた私の前に、冷や酒と焼き茄子が並べられた。
小一時間飲んでいたが、他に客は来なかった。
酒を重ねながら老人は、戦前、隅田川沿いの造船所で船大工をしていたとポツリポツリと身の上話をした。女は終始、笑顔で頷くだけで何も喋らなかった。

「かあちゃん。」
突然、奥から子供の声がした。
「あら、起きたみたいね。」
その時初めて女の声を聞いた。
女はきれいな下町言葉の余韻を残して奥に消えた。

女は奥から4,5歳の男の子を連れて来た。
「こいつ、俺のガキなんだ。」
老人は嬉しそうに男の子を抱き上げた。
「まさか、こちらは嫁さんだ、とでも言うんじゃないでしょうね。」
冗談だと思って言うと、「その、まさかなんだ。」と、老人は真顔で答えた。

 老人が居酒屋に誘ってくれたのはその日だけだった。
もう一度、訪ねたかったが一人で行くのは気が引けた。

 夏の終わり、縁台に腰掛けている老人に久しぶりに出会った。
老人はいつものすててこ姿ではなく、麻の上下にパナマ帽で別人のように見えた。
「今日はお洒落ですね。お出かけですか」
声をかけると、「これからガキと女房と、お出かけだ。」と、老人は笑った。
少し、立ち話をしていると、遠くで着物姿の女と子どもが手を振っているのが見えた。

親子三人が仲睦まじく歩いていくのを見送ったその日を最後に、老人とはプッツリと出会わなくなった。
気になって居酒屋で様子を聞いてみようと思ったが、いくら探しても見つからなかった。

 それから散歩コースを変えたので、老人たちのことは次第に忘れて行った。
翌年の夏、思い立って、川沿いを歩いてみた。
老人に挨拶しようと、以前聞いた記憶を辿って家を訪ねると取り壊されて駐車場になっていた。

近所で老人の消息を聞くと、最後に会った去年の夏の終わり頃に亡くなっていた。
驚いて奥さんや子どものことを聞くと怪訝な顔をされた。
「戦争中、あの人は出征している留守に、東京大空襲で嫁さんと子どもを亡くしたんだ。」
近所の人は、以来独り身だから家族はいないはずと話してくれた。
居酒屋のことも聞いてみたが、誰も知らなかった。

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家族との別離は今回の大震災でも多く生まれた。20年後か30年後、同じような物語が生まれるかも知れない。

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2012年5月12日 (土)

プロも知らない貴金属製品の損をしない売り方。12年5月12日

どの家庭でも、金のペン先・入歯・小さなピアス・細いネックレス・ペンダントなどの金、プラチナ製品の小物が多く死蔵されている。それらを売れば高額な臨時収入になり助かる。しかし、正しい売り方を知らないと安く買い叩かれることになる。

例えば、宝石入りの指輪はダメだ。これは石を外し地金だけにしなければならない。よほど大きく高価な宝石ならともかく、2,3万程度の石だと、丸損した上に手間賃を差し引かれ買い取り価格はぐんと安くなる。ちなみに、石外しは飾り職の職人さんがやってくれる。

買い取り業者はK18などの刻印は信用しないことを念頭に置いて欲しい。業者は一個一個 X線で組成を調べ、金・プラチナの量を算出して買い取りのリスクを加味して買い取る。リスクを取るのは、同一製品の中でも部分に寄って組成は均一ではないからだ。

では、どうすれば高く引き取ってもらえるか。それはこまごまとした製品総てを一緒に溶かして一個の "吹き固め" にしてもらうことだ。これも飾り職でやってくれる。工賃は高くても4,5千円程度だろう。量が多ければ地金商で割安でやってくれるが、個人客には敷居が高い。

飾り職を知らない場合は少し高くなるが宝石店で仲介してくれる。量があれぱ、少々手間賃を上乗せしても頼むだけの価値がある。また、時間はかかるが地金商を兼ねた買い取り業者なら "吹き固め" をしてくれる。その辺りは事前に電話で確認するとよい。

溶かして固まりにすることを "吹き固め" と言う。固まりにすると組成が均一になり、正確に金・プラチナの量が算出されるので正式な買い取り価格で引き取ってもらえる。"吹き固め" により金の含有量が落ちても組成は正確に出るので問題にならない。ただし、プラチナと金が組み合わされた製品は分析精錬に手間がかかるので、その分買い取り価格は安くなる。

"吹き固め" の利点は、小さな貴金属製品、例えば金のペン先・入歯・小さなピアス・細いネックレス・ペンダントなどでも一塊にできることだ。仮にそれらの小さな製品を業者に持ち込むと、一個一個 X線で調べるのは煩雑過ぎるので、リスクを取った大雑把な買い取り価格になり、最悪半分以下になってしまう。

以上を実行すれば18金100グラム程でも 5〜10万は確実に高く売れる。

買い取り業者は御徒町・神田・近辺に多い大きな地金商を推奨する。貴金属地金で検索するとトップに幾つも表示される。貴金属商はプロの出入りが多いので信用できる。私の経験では古物商系は地金商・装身具系より買い取りは安くなる。更に、X線検査機を持っていることも必須条件でこれも事前に問い合わせると良い。

地金を持ち込むと店頭でX線で調べ、その場で金・プラチナの含有量を算出して、その日の相場で現金で買い取ってくれる。その時、健康保険証・パスート、運転免許証などの身分証明証が必要だ。きちんとした業者は買い取った後に明細伝票をくれる。くれないところは信用しない方が良い。地金商の場合、業者照明証の提示を求められることがある。しかし、正直にないと話せば問題なく買い取ってくれる。

昔、彫金職人をしていた頃、金・プラチナの削り粉の品位の良いものは溶かして再利用していた。しかし、不純物の混ざったものはそのまま貯めて、定期的に分析精錬してもらって再利用していた。

絵描きに転向してからはそれらの削り粉はそのままにしておいた。絵描きの収入は不安定で、生活に窮するとそれらを売りに出し随分助かった。しかし、売りには無知で今思うとかなり安く売ってしまったようだ。今回はその反省に立って記入した。

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写真は昔の彫金作品「兵士の夢」を額装したもの。
作品の周りは母が作ったブレスレットで埋めた。
母はこれを90才から日に数本ずつ作り貯めたので、膨大な量が保管してある。
暇ができたら、これで覆ったテディベアでも作ろうと思っている。

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2012年5月10日 (木)

24年前、絵描きに転向した頃。12年5月10日

 24年前、絵描きに転向した頃、バブル成金のAさんが絵を買ってくれた。彼は私の絵を大変気に入り、有名な日本人画家を世に出したNYの日系人画商を紹介してやる、と言った。
思わず身を乗り出すと彼は「体を張る覚悟はあるか。」と真顔になった。
当然「あります。」と胸を張った。
「それなら楽勝だ。ヤツは必ず体を求めるから、目をつぶって我慢しろ。」と、とんでもないことを言った。
"張るのはケツか・・" と、悪代官にいたぶられる町娘と自分が重なった。
「オレ、切れ痔ですから、我慢できませんよ。」
とっさの思いつきを言った。
「切れ痔はきついな・・」
Aさんはため息をついて、その話しは終わった。

それから間もなく、日本人画家のNYの邸宅の取材番組があった。ピチピチのビキニパンツでプールサイドを歩く画家が妙に可笑しかった。

Aさんは再度、儲け話を持ちかけた。
彼は開店できないまま塩漬けになっていた赤坂の高級レストランへ連れて行った。イタリアから取り寄せた大理石の内装に高級調度、厨房も食器も超一流だった。
「ここを居抜きで200万で貸すからクラブをやれ。」
彼は突拍子もないことを言った。私はクラブ経営は興味ないと答えた。彼は簡単だからと儲ける仕組みを説明した。
50の席をホステス50人に一席10万で貸して月500万の収入を上げる。それで差額300万が毎月私のものになる。しかも、名前を貸すだけで、面倒な経営は総て彼の会社がすると美味しい話しだ。当時はまだバブルの余韻が残り夜の赤坂は繁栄していた。これで遊んで暮らせると私は喜んで話しに乗った。

開店を心待ちにしていると、計画が潰れたとAさんから連絡があった。予定したクラブは地元小学校の風致地区にかかっていて、PTAから猛抗議を受けて断念したと悔しそうだった。

やがてバブルがはじけた。その後処理の不良債権回収に整理回収機構が開設され中坊弁護士が社長に就任した。
その経緯をニュースで見て、やっとAさんの意図が分かった。それは賃貸借関係を複雑にして、差し押さえを逃れる違法すれすれの行為だった。中坊社長はそれらに辣腕を振るっていたので、もし、その儲け話が実現していたら、私は罪を問われ、絵描き人生ははかなく消えたはずだ。だから横やりを入れてくれたPTAに、今も心から感謝している。

画像は43歳で絵描きに転向して直ぐの作品。
絵に詩を付けて、雑誌に連載していた。

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2012年5月 7日 (月)

100年昔の綿の総絞りは尺75個の絞りだった。12年5月7日

何度か記入しているが・・・祖母千代は明治女なのに料理洗濯裁縫一切やったことがない。母に料理を教えたのは千代の実父甚兵衛で、手芸を教えたのは千代の夫健太郎だ。甚兵衛は西郷軍に従って城山に籠ったほどに血の気が多い。健太郎は腕っ節で男を売った硬派だ。その男っぽい二人が母に家事や手芸を教えたのだから面白い。

千代が熱中したのは人助けだった。頼まれると親しくない人でも金を貸し、保証人になった。物乞いが来ると座敷に上げて食事を振る舞い、身の上話を聞いて涙し、財布丸ごとと衣服を与えて送り出した。これも以前書いたが、遊郭から親友を身請けもしている。だからと言って、千代に慈善思想があった訳ではない。
「千代しゃんはえらか。女にしておくのが惜しか・・」
そう言われるのが大好きで、単に顔を売りたかっただけだ。そんな野放図な千代の後始末に、母は大変な苦労をさせられた。

千代は自分のことには無頓着で質素だった。その千代が生涯一度だけ贅沢した。それが写真の藍染めの総絞りだ。祖母はその総絞りの綿布を見て、どうしても欲しくなり大金で買い夏の着物を仕立て生涯大切にした。祖母の死後は母が羽織に仕立て直して大切に着ていた。

素材は総絞りにしては極めて珍しい綿だ。しかも絞りの数・尺75個の超絶技巧だ。絞りの名人でも絞り数は尺60個が限界で、それ以上は無理と言われている。薄地の絹なら尺60は可能としても、厚みと腰のある綿布を一反も絞るのは大変な作業だったはずだ。

写真の赤い絞りは母の遺品の良品だ。それでも絞り数は尺50個ほどだ。絹布の総絞りの場合、シボが立っているのでよく伸ばして尺あたりの絞り数を数える。

母の死後、その総絞りを姉に使ってくれと頼んだが断られた。仕方がなくタンスにしまっておいたが、このままでは私の死後ゴミにされてしまう。それで、生かせてあげようと、細く切ってストールにした。それが写真で、リンネルのストールと組み合わせると実に良い。

ほどいていて驚いたのは、100年以上使い込んだ品なのにまったく痛みがない。更に、切り落とした端がほつれない。ストールのデザイン上、ほぐそうとしたが難しくて諦めた。

このしぼりの効果は他にもあった。これを身につけるようになってから不思議なことが次々と起きた。道を歩いていると、何度も若い女性がぶつかって来た。男だったら嫌だが、「ごめんなさい。」と女性に笑顔で言われると悪い気はしない。

さらに、身につけるようになってから絵が次々と売れた。その代金がなくなるとまた売れた。以来、これは幸運の絞りと思うようになった。

昨日、姉が半年ぶりに来た。端切れを持って行けと言ったが、またしても「いらない」とそっけない。
それで、二度とできない高度な技術と幸運な出来事を話すと、現金なものですぐに持って帰った。

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木像は荒川河川敷に設置してある野外彫刻「雲おやじ」の原型。

フランス大統領選ではサルコジが落ちて社会党のオランド前第1書記が勝った。
オランド新大統領は、良いことばかり言っているが実行は不可能だろう。それで株が下落し円が高くなった訳だ。

これでヨーロッパの信用不安の混迷は深まりそうだ。
この図式は今まで数限りなく見て来た。かって東京都では美濃部知事が次々と福祉政策をやって来た。しかし、その結果は巨額の財政赤字だった。フランスも同じ道を歩く気がする。加えてアメリカも安定しない。世界経済の乱高下はまだ続きそうだ。

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«連休明け、40年前の白子の浜の思い出。12年5月6日