2024年9月20日 (金)

9月下旬の酷暑の木陰でのお茶。1972年ソ連映画「惑星ソラリス」考。2024年9月20日

9月になったのに、まだ朝から暑い。おばあちゃんと散歩していると、木陰でネコたちがお茶を飲んでいた。ぼくはちょっと怖くなって、おばあちゃんのうしろにかくれた。お...

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2024年9月19日 (木)

映画カサブランカと赤羽自然観察公園の孤独なオオヨシキリ。2024年9月19日

「カサブランカ」1942年米国映画。 監督マイケル・カーティス。出演・リック (ハンフリー・ボガード)とイルザ (イングリッド・バーグマン)。舞台は第二次大戦...

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2024年9月16日 (月)

上善は水の如し、前後を際断せよ、太陽がいっぱい。2024年9月16日

上善如水・上善水の如し。水は世の中で一番強くすぐれたものだ。小さな流れでも、次々と合流して奔流となる。決して水と水とは対立することはなくねすぐ混ざり合って一つ...

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2024年9月15日 (日)

ヒチコックの傑作「レベッカ」と和田蔵門噴水公園のスタバ。2024年9月15日

ヒチコック1940年傑作「レベッカ」死んだ元妻レベッカが死んでも影響を残している大邸宅マンダリーで起きたミステリー。死んだレベッカがどのような女であったのかが...

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2024年9月14日 (土)

子供の頃まで、放浪の日本画家をよく見かけた。2024年9月14日

コロナ前、水墨画を始めようと4種の和紙500枚ずつ買い入れて、この絵を試し描きした。しかし墨が乾くと紙が波打ち、スキャンすると凹凸が汚く写ってしまった。この画...

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2024年9月13日 (金)

あつまれどうぶつの森が世界を変える予感がある。2024年9月13日

「ウサギのシチューを食べるウサギと、何も考えないチューリップ頭と、運命の女神が集う長い長いテーブルのお話し」コロナの頃、任天堂のあつ森(あつまれどうぶつの森)...

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2024年9月12日 (木)

夏の終わりの心打つ不思議な話。2024年9月12日

夏の終わりの奇談。50年以上昔、私は東京場末の古い宿場町に引っ越した。街には昔風の商家が残り、中央に深い掘り割りがあった。毎日の散歩の途中、その老人と掘り割り...

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2024年9月11日 (水)

チャトラは頭が良い。2024年9月11日

そのチャトラは、毎朝我が家に訪ねてきて1日を過ごすと夕暮れに帰って行った。どこの飼い猫なのかは分からなかった。ある日「バカ」と言った時「ニャン」と返事した。名...

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「昭和花あらし」87〜92ページ投稿、これで完了しました。2024年9月11日

87 88お花さんは笑顔で話していました。私は母親の悲しみは死ぬまで続くものだと思いました。「みんな先に逝ってしまいましたが、私は長生きできました。生きていれ...

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2024年9月10日 (火)

「昭和花あらし」77〜86ページ掲載。2024年9月9日

77 78 昭和二十年に入ると、各地で空襲が始まりました。私たちがいた日田の山中からも北九州の空襲が見えました。誰も信じてくれませんが、探照灯に捉えられたB2...

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2024年9月 9日 (月)

「昭和花あらし」67〜76ページ投稿。2024年9月8日

67 68 夫は海軍士官待遇でアッツ島の飛行場建設のために徴用されました。「立派にお国のために死んでください」私は励ましたつもりでしたが、夫は複雑な顔をしてい...

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2024年9月 8日 (日)

「昭和花あらし」57〜66ページ投稿。2024年9月8日

57 58 若い日本領事館員たちと、時々ドライブへ行きました。ある時、旅順へ出かけた帰り道、重い荷を担いだ中国人苦力二人が路傍を歩いていました。運転していた事...

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2024年9月 7日 (土)

心配性は進歩の母。幸せは知らない間に過ぎていく。2024年9月7日

心配性は進歩の母。心配性のポチは、ドロボーが心配で家財道具全部を持ち出した。その結果は漫画のとおりだ。 若い頃から今までを順に辿って行っても、何時が幸せだった...

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赤い靴を手にした天使。2024年9月7日

「赤い靴を手にした天使」夜明け前の空が好きだ。本当の曙光は藤色がかっているが、なぜか私はミント色をイメージしている。ちなみに作品は生成AIとホトショップを組み...

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「昭和花あらし」47〜56ページ掲載。2024年9月7日

47 48 大病から回復したばかりでしたので、週に三日は近くの二日市温泉で湯治しました。その効果で初冬の頃には元気になりました。 その日も、いつものように列車...

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2024年9月 6日 (金)

芙蓉が消え冷涼になった。貧乏は人生のスパイス。2024年9月6日

満月の散歩道の芙蓉。夏の盛りに現れ、花が消えると同時に大気は清涼となる。まるで夏の精のようだ。 かなり昔になるが、知人が脳梗塞で倒れた。命に別状はなかったが...

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「昭和花あらし」37〜46ページ掲載。2024年9月6日

37 38財閥の息子から自宅に食事に招待されたことがあります。「もし上海へ行くことがあったら、必ず私の名を出してください」彼は上海に所有しているホテルの名...

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2024年9月 5日 (木)

「嫌なことだけでなく、良いことも早く忘れた方が良い」と荘子は言っていた。2024年9月5日

タマ「ポチのやつ、新しい腹掛けを自慢ばかりしている」小春じい「タマも褒めてやれ。そうすればすぐに飽きる」 嫌なことは早く忘れたい。荘子は「良いことであっても早...

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「昭和はなあらし」29〜36ページ投稿。2024年9月5日

29 30 昭和に入りました。私は女学校へ進学しましたので、イッちゃんやお花さんと会うことは減りました。イッちゃんは高等小学校を出るとすぐにゴム工場で働き始め...

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2024年9月 4日 (水)

次総裁選について似顔絵を描きながら思ったこと。2024年9月4日

この人が頑張らないと当分日本から女性宰相は出ないだろう。しかし、長老たちが皆んなで足を引っ張っている。大手マスコミのウケも悪い。裏でどこかの国が画策しているの...

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「昭和花あらし」22〜28投稿。2024年9月4日

22  お花さんは働くのが大好きでした。おばあさんも働き者で、足袋作りの内職など休みなく働いていました。久留米は織物の街です。女の仕事は沢山ありました。お花さ...

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2024年9月 3日 (火)

「昭和花あらし」13から21ページまで掲載。2024年9月3日

13 14  帰宅して、母にお風呂に入れてもらったことや、お花さんが働いていたことを話しました。すると母は突然怒りだして、夕食前に家を飛び出して行きました。ち...

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2024年9月 2日 (月)

「昭和花あらし」6〜12ページ掲載。2024年9月2日

6 久留米近郊は酒造所が沢山ありました。猪太郎さんは腕の良い杜氏でした。第一次世界大戦特需の好景気で、面目に働いていたら、お花さんは幸せに暮らせたはずです。し...

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2024年9月 1日 (日)

「昭和花あらし」が完成しました。今日から毎日少しづつブログに掲載します。今日は1〜5ページ掲載。2024年9月1日

「昭和花あらし」は97歳で死んだ母の、大正から昭和へかけて出会った無名の女たちの戦争に翻弄された波乱万丈の思い出の実録である。私は母を8年間、雨の日も風の日も3...

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2024年8月31日 (土)

アップさせてきた「昭和花あらし」が完成しましたのでリンクを貼りました。2024年8月31日

「昭和花あらし」を完成させて電子書籍化しましたので宣伝します。内容は97歳で死んだ母の大正から昭和へかけて出会った無名の女たちの、戦争に翻弄された波乱万丈の思...

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2024年8月29日 (木)

役に立たないものは美しい。2024年8月29日

夏の終わりの赤蜻蛉。9月半ばになると、その必要はないのに紅色はさらに濃く美しくなる。何故か役に立たないものは美しい。作物が育たない原野。人が住めなくなった廃墟...

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2024年8月27日 (火)

敗戦直後のストリップショー。2024年8月26日

敗戦直後、郷里の漁師町には様々な芸人が豊富な食料を求めて漂着した。高名な芸人も多くいて、4.5人の小グループで公演した。絵はストリップショーだ。絵程度の露出な...

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2024年8月24日 (土)

「昭和花あらし」表紙完成。2024年8月24日

奇しくも今日は亡き母の誕生日だった。21年前、90歳母は新しい肝臓がん術式で世界最高齢を記録した。母は80代に7回開腹手術を受け腹膜はボロボロで補強のためメッ...

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2024年8月16日 (金)

米大統領戦、カマラハリスはどんな人なのか。2024年8月16日

カマラ・ハリスかトランプか気が揉める。殊にカマラは分からない。流布している情報を総合すると、政策は辻元清美が一番似ているようだ。違いは辻元はカマラより口達者だ...

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2024年8月13日 (火)

赤羽は異国人だらけになった。2024年8月13日

18年前62歳葬儀帰りの私。その時、右翼の知人から「サングラスは止めな。アヤ付けられるぞ」と注意された。先日、サングラスなしだが、ひさしぶりにそれをやられた。...

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2024年7月30日 (火)

小春じい3題。見えないことは考えるな。2024年7月30日

 家賃滞納でアパートを追い出された小春じいのために、タマとポチが家を建てはじめた。小春じい「国の土地に勝手に家を建てていのか」タマ「俺たちは人じゃないから、人...

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2024年7月28日 (日)

昭和花あらし-30・完。2024年7月28日

「昭和花あらし-30」「みんな先に逝ってしまいましたが、私は長生きできました。生きていれば辛いことと沢山出会います。でも生きているのは、かけがえがないほど愛お...

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気分転換に見た映画「アンデスふたりぼっち」2024年7月27日

2017年ペルー 民俗映画部門アカデミー賞 ・アンデスふたりぼっち・を見た。夭折したオスカル・カタコラ監督初長編にして遺作。ペルーの少数民族、アイマラ族の老夫...

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2024年7月26日 (金)

昭和花あらし-29、おはなさんとの再会。2024年7月26日

「昭和花あらし-29」高度成長真っ盛りの昭和42年の初夏、私は東京から久留米へ墓参に行きました。その時、私はおはなさんと20年ぶりに再会しました。「孫夫婦が優...

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2024年7月25日 (木)

昭和花あらし-28、終戦4日前に久留米空襲。2024年7月25日

「昭和花あらし-28」終戦4日前に久留米は空襲されました。久留米が空襲される噂は2ケ月前からありましたので母は日田へ疎開していました。母はすぐに久留米へ駆けつ...

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2024年7月24日 (水)

昭和花あらし-27、グラマンによる機銃掃射。2024年7月24日

「昭和花あらし-27」昭和20年になると、各地で空襲が始まりました。私たちがいた日田の山中からも北九州の空襲が見えました。誰も信じてくれませんが、探照灯に捉え...

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2024年7月23日 (火)

お気楽なお口直しに「小春じい」2024年7月23日

「昭和花あらし-26」のアップは今朝済ませたので、お気楽なお口直しに「小春じい」を入れた。小春じいはビル清掃の仕事を始めたポチにたい焼きの差し入れを持ってきた...

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昭和花あらしー26、いっちゃんの戦死。2024年7月23日

「昭和花あらしー26」入営3ヶ月後、いっちゃんは輸送船で南方へ向かいました。輸送船は夜のバシー海峡で米潜水艦の攻撃を受け撃沈され、いっちゃんはあっけなく戦死し...

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2024年7月22日 (月)

昭和花あらしー25、葬式と出征が重なった。2024年7月22日

「昭和花あらしー25」お嫁さんの葬儀といっちゃんの出征の日は重なりました。いっちゃんは喪服の羽織袴に襷をかけて私たちに挨拶しました。「卑怯者と言われても生きて...

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昭和花あらし-24・昭和19年。2024年7月22日

「昭和花あらし-24」昭和19年、戦争は厳しくなって行きました。私たちは夫の仕事のために、日田山中の村長宅の離れで暮らしていました。穏やかに正月が過ぎた頃に久...

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2024年7月21日 (日)

昭和花あらし-22、昭和花あらし-23、二つ投稿。2024年7月21日

「昭和花あらし-22」日中戦争がはじまったころに、私は八幡で寿司屋とおでん屋を始めました。それと同時に、私は家庭を持ちました。夫は建設省の技官で、赴任地は九州...

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2024年7月18日 (木)

昭和花あらしー21、突然に里心がついて帰国。2024年7月18日

「昭和花あらしー21」突然に里心がついて帰国することにしました。帰りは朝鮮半島経由の鉄道を使いました。当時は鴨緑江上で税関検査がありました。私は上海で買っ...

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昭和花あらし-20 帰国するきっかけ。2024年7月18日

「昭和花あらし-20」大連を拠点に満州各地へ出かけました。ハルピンはロシア人が多くて異国情緒がありましたが、他の都市は上海と比べると物足りなさを感じました。大...

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2024年7月16日 (火)

「昭和花あらし-18」「昭和花あらし-19」満州編。2024年7月16日

「昭和花あらし-18」大病から回復したばかりなので、週の半分は二日市温泉で湯治していました。初冬の頃には体力は回復しました。いつものように温泉へ向かいましたが...

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2024年7月14日 (日)

昭和花あらし-17- 債務者たち。2024年7月14日

「昭和花あらし-17」母を騙した債務者たちの処理の仕方は母にはわかっていました。しかし、母は頼み事が大嫌いな性格で、嫌なことは全部私に任せていました。私は仕方...

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2024年7月12日 (金)

昭和花あらし-15 結核で稲毛のサナトリウムに入院 2024年7月12日

「昭和花あらし-15」私は神田に何となく家を借りて東京暮らしを始めました。母も時々、物見遊山に上京しました。水泳は大好きでしたので、夏に入るとお台場で泳いでい...

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2024年7月11日 (木)

昭和花あらし-14 猪太郎の死。2024年7月11日

「昭和花あらし-14」満州国が建国されました。猪太郎さんは関東軍御用達の酒造会社に杜氏として招かれました。国内では統制が始まり、酒造は厳しくなっていまし...

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2024年7月10日 (水)

昭和花あらし、姑を看取った。2024年7月10日

「昭和花あらし-13」昭和大恐慌が始まったころに、おはなさんは姑を看取りました。遅れて弔問に行くと祭壇の前で、いっちゃんが大泣きしていました。「いのさんは来た...

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2024年7月 8日 (月)

昭和花あらしー12 大正は終わり昭和へ洋装の時代。2024年7月8日

「昭和花あらしー12」昭和に入りました。私は女学校へ進学しましたので、いっちゃんやおはなさんと会うことは少なくなりました。いっちゃんは高等小学校を出るとすぐに...

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2024年7月 7日 (日)

昭和花あらしー11 楽しい子供時代。2024年7月7日

「昭和花あらしー11」私はクラスで一番大きかったので、いっちゃんをはじめ男の子たちを子分にしました。夏は毎日、筑後川で遊びました。水着はなかったので私は腰巻き...

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«昭和花あらしー10、小学校入学。2024年6月7日