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2006年9月12日 (火)

アメ横は東南アジア。車椅子の問題点。 2002年11月17日

母を車椅子で4キロ離れた自然公園まで連れていった。
今年は例年になく紅葉が美しい。青空に映える紅葉を見上げながら、母は遠い所へ旅に出かけた気分だと喜んでいた。母は赤羽に長く住んでいるが、散歩する習慣がなく、私の散歩コースをまったく知らない。だから母には始めて見る風景ばかりだった。

自然公園では手すりにつかまって散歩した。はじめは10メートルほどだったが、1ケ月ほどで100メートル以上歩けるようになった。

10代のころ長距離をやっていたので、上り坂も息切れせずに小太りの母を乗せた車椅子を押し上げることができた。押すスピードも速く、自転車も早足の若者もぐんぐん追い抜いて行った。

しかし、車椅子は数センチの段差でも前車輪がかかって急制動がかかり大変危険だ。
だから地面の凹凸には細心の注意を払った。
段差では車体後ろの突起を片足で押し下げて前車輪を上げて乗り越えた。それでも危険は残るので、車椅子に自作の安全ベルトをつけて、母を放り出さない対策をした。

大変なのは雨の日だ。車椅子用の雨具は完全過ぎて使いにくい。
私は登山用ポンチョを代用し車体ごと覆って使っている。これは必要に応じて、両サイドを開くことができるので、夏は蒸れず、着脱も簡単だ。

母は揺れに応じて体を動かすので、乗っているだけでも運動になった。
最近、母の腎機能は落ちて小用の出が悪い。
しかし、車椅子で全身を揺らすと腎臓への血流が増えるようで、散歩の後に快調に小用が出てくれる。
それだけでなく、車椅子散歩は外の風景に触れ人に出会い、脳を刺激されるので認知症予防に効果がありそうだ。車椅子散歩をするようになって、母の笑顔が増えた。

今日の散歩の帰りに食材の買い物をした。
食材店のドアは手押しなので工夫を要する。
背中で開いたドアを支えながら車椅子を回転させるように素早く入れる。

しかし実際は、どこかで誰かが必ず気づいて、駆け寄ってドアを開けてくれる。手伝いは必要ないが、心遣いがとも嬉しい。素直に好意を受け入れお礼を言うと、皆んなとても嬉しそうにしている。?

若い男性は積極的に親切にしてくれる。意外なのは、綺麗な女性が殊に親切なことだ。これはとても楽しい。住まい近くの御諏訪神社脇の急坂で「お手伝いさせて下さい」と、何度も若い女性に声をかけられた。世間の人は東京は冷たいと言うが、実際はとても優しい。


帰宅してからの昼食後、姉と姪が母を見舞いに来た。
二人が母の世話をすると言うので、御徒町のアメ横に買い出しに出た。
最近は赤羽駅近くで殆どの食品は間に合うが、雑穀の餅キビや、安価な椎茸や業務用の白玉粉などはアメ横が格安だ。

アメ横は日曜のせいで大変な混雑だった。
この活気は好きだが、母のことが心配なので人混みを避けて裏路地を急いだ。
雑然とした道、汚れた壁、騒音、香辛料の香り。まるで香港の裏道の感じだ。料理の湯気が立ちこめる道にテーブルが並び、大勢の客が昼間から、美味そうに餃子をほうばり酒を飲んでいた。

雑穀に干し貝柱、黒砂糖、グリーンアスパラを買った。
途中、ビル地下のエスニック市場を覗いた。市場は強烈な八角等の香料の匂いが立ちこめ、飛び交う言葉は、中国、ベトナム、カンボジア、タガログ、ヒンズー語と多彩だ。今は上海蟹のシーズンで、あちこち山積みになっていた。青島ピータンが欲しかったが、荷物が多すぎるので買うのは止めた。?
売り場の狭い休憩所は東南アジア系の人達の情報交換の場になっていた。アメ横は横浜の中華街より遙かにリアルにエキゾチックに変化していた。この国際化は楽しい。ここに来るといつも、日本にいることを忘れてしまう。

夕暮れ、帰宅すると、母は一人でベットに寝ていた。
姉たちのことを聞いた。
「話し相手になるのが疲れるので、早く帰した」
母は話しながら、疲れた顔で寝入った。

早速、買って来た白玉粉で芋羊羹をくるみ蒸した。
蒸し器に敷いた布巾の匂いが気になったがとても美味かった。

母に蒸菓子を薦めたが、腰痛がぶり返して起きるのが辛いと無口に寝ていた。
冗談好きでいつも明るい母が静かなのは寂しい。しかし、このような生活は長く、一喜一憂は禁物だ。明日、痛みが治まっていたら車椅子で散歩させよう。

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