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2006年9月12日 (火)

宴会。ギャラリーニケとカレッタ汐留。 2002年12月11日

早稲田のカメラマンK氏のスタジオで飲み会。家を出る前に、母の寝る前の緑内障の目薬が見つからない。いつも、しまってある冷蔵庫の中を探しているうちに、出るのが遅れてしまった。

悪いことは重なる。早稲田は東西線なのに、勘違いして西日暮里で下車して千代田線に乗ってしまった。これではかなりの遠回りになる。遅れる旨、K氏に電話を入れて、一眠りしようと目をつぶった。次の駅で、向かいの席に清楚な女性が座った。スラリとした足。えんじ色のコートに趣味の良い黒の地模様のスカーフ。殺風景な車内が明るくなった。

しかし、このように始めに良いことがあると決まって後が悪い。
先日、パロル舍社長邸の新築祝いへ行った時も、途中、住宅街の路上でアダルトビデオのゲリラ撮影に出会った。珍しいものを見せていただいた、と喜んでいたら後が悪かった。祝いの席でうっかりそのことを漏らして、出席者の顰蹙を買ってしまった。

早稲田のスタジオには既に画家の宮さんが到着して焼酎を飲んでいた。私に遅れて、パロルの編集二人も到着した。しかし、男ばかり7人は味気ない。女っ気がないと話題は粗っぽくなる。編集二人は雰囲気に辟易したのか、眠いからと早々に帰った。宮さんも逃げるように10時前に帰った。私は帰るには早すぎるので、K氏と新宿のCATへ行った。

CATのママは休んでいた。先週届けた絵本の代金はマスターから受け取った。「直にママは来ますよ」とマスターは言うが、10時に来ていないのに、今更来る訳がない。少し飲んでから歌舞伎町のK氏の馴染みの店へ行った。私は水割り2杯を飲んだが、母のことが心配になり帰ることにした。代金4万円はK氏が払った。さすが、カメラマンは弱小編集者や貧乏絵描きと違うと思った。

終電で帰宅した時、母はぐっすりと寝ていた。仕事部屋でしばらくテレビを見ていたが、なかなか酔いが抜けなかった。


02年12月12日

銀座8丁目で知人が個展をしている。
母の散歩を済ませてから、午後に出かけた。
赤羽からは高崎線に乗り、上野乗り換えが早い。尾久を過ぎる辺りでは左右に広く風景が見渡せる。午後の西日が水平に車内を明るく照らしていた。列車はまるで夕空の中を飛んでいるように思えた。

上野駅で山手線へ乗り換え新橋で下車した。
銀座8丁目は新橋からの方が近い。
作品展会場で美術鋳物制作の浜田氏と待ち合わせをしていた。
浜田氏とは2年前、野外彫刻を作る時、溶接屋さんを世話して貰ったのが縁で付き合いが始まった。

ギャラリーニケに着いたのは約束の3時をかなり過ぎていた。
立体と墨絵の陽気な作品展である。作家と話していると「何だ貴方だったの」と画廊主が現れた。
彼女は元々は絵描きで、以前会った時、近く画廊を始めると話していた。まさかそれがこの画廊とは知らなかった。

次第に来客が増えたので浜田氏と画廊を出た。
新橋駅からの道すがら、終始見えていた汐留のビル群が気になっていた。帰りはそちらへ回ってみることにした。
近づくと黄昏の空に電通本社の壁面が星空のように綺羅めいていた。手前のビル屋上から立ち上る排気の湯気の向こうに、電通本社ビルのエレベーターのライトが上下していて、SF映画の1シーンのように見えた。

電通本社のあるカレッタ汐留の46階の展望台へ行ってみた。展望台と言っても殆ど周囲はレストランで眺望はきかない。かといってレストランは入るには高価過ぎる。これからどうしようかと思案していると、偶然に電通のT氏から電話が入った。ドラマみたいに都合良く行くものである。飲める所を探していると話すと、すぐに電通の若い人に案内してもらえることになった。

まもなく顔見知りの女性が迎えに来た。
新しい電通はセキュリティーが厳しい。46階にある入り口は何も無い壁で、壁の一部にカードを差し込むと、秘密のドアのようにスーッと開いた。それから、彼女に電通内と展望スペースを案内してもらった。しかし、眺望は期待した程ではなかった。

その後、教えてもらった地下の中華の店で浜田氏と食事をしながら飲んだ。
熱いスープ入りの小籠包がうまい。代金は色々食べた他にビールを飲み2人で3000円をきっていた。新宿あたりより遙かに安い。計算違いかもしれない。ばれないうちにと、二人で急いで店を出た。

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