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2006年9月14日 (木)

まくわ瓜とメロン 2003年1月4日

お昼から母を散歩させた。
昨日と打って変わって好天で、自然公園はいつもより人出が多かった。
母は体調が良く、いつもより20メートル多く歩いてくれた。

夕刻、新宿の世界堂へ行って、横長の額を特注した。
プロの画家仲間はこの店の額は二流と言う。
私は店の格にはにこだわりが無いので、気に入った額があればどの店でも買う。

ついでに画材も補充した。絵の具と大量のボードを抱えると腕が抜けそうに重くなった。
画材が十分にストックしてあると、気持ちが落ち着く。ピカソも初めて絵が売れた時、大量の画材を買ったと言う。絵描きの心理は無名有名は関係なく似ている。絵描きにとって大変なのは制作ではなく、絵が描ける生活環境を作ることだ。大半の画家は生活できることに腐心している。

帰宅して貰い物のメロンを食べた。
食べ頃は今日指定だが、暖房の所為で少し熟れすぎていた。
メロン類は種の周りが大好きである。
これをざるにあけて裏ごししてジュースを絞る。メロン1個でコップ半分程取れる。このジュースにはメロンのエッセンスが集中していて香り高く味も濃厚である。種に絡む糸状の部分も、丹念に種を取り除いて食べる。サクサクした食感がとても美味い。

日南市大堂津の子供時代は、メロンは高級過ぎて目にする事はなかった。
代わりに、まくわ瓜はよく食べた。
まくわ瓜は果肉の味が薄いので、種と一緒に食べていた。種の回りの濃厚なジュースが果肉に絡むと一段と美味くなった。まくわ瓜の種は堅いが、それで腹を壊したことはなかった。
しかし、西瓜の種は絶対に食べなかった。親に西瓜の種を食べるとお腹の中で芽を出してスイカが実ると脅されていたからだ。

戦前、メロンは貴族が趣味の園芸で作ったものを千疋屋あたりが拝み倒して手に入れて売っていたらしい。だから、庶民の口に入るものではなかった。戦後、進駐軍の要請で静岡の農家が作り始め、一般にも出回るようになった。私達が口に出来たのはそれより後の昭和30年代後半で、デパート食堂のクリームパフェの頂上にサクランボと一緒に麗々しく飾ってあった。そのメロンは向こうが見える程の薄切りで、私はサクランボとメロンを最後に残して宝石のように味わった。

しかし今も、まくわ瓜が大好きである。
店頭に黄金色のまくわ瓜が並ぶと買わずにはいられない。
但し、今は種は食べないので、前記のようにジュースを絞って果肉に絡めて食べている。

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