家庭用スキャナーの進化 2003年4月10日
日差しが強い。帽子を被らなかったら額の辺りがヒリヒリする。紫外線に弱い体質だが、最近更に弱くなった。子供の頃から南九州の強烈な太陽を無防備に浴び続けて来て、老年に入った今、その付けが回って来たようだ。加えてオゾン層の破壊で、紫外線の質が悪くなったこともある。これからは日焼け止めをつけ、長袖を着用する事にする。
絵を装丁用に使ったエイズ防止の小冊子が送られて来た。厚生労働省の助成金でNPOが制作した本で全国の小中高校へ副読本として配布される。原画から家庭用スキャナーで取ったデーターを使ったが、印刷上がりは大変良い。これでは製版屋の商売が半減するだろう。そう言えば、スキャナーのオペレーターをしていた知人が失業した。
住まい下の新河岸川の川面の色が春めいてきた。日差しを受けた淡緑色の川面を眺めているとのんびりする。この輝きは懐かしい。郷里日南市の港町大堂津には小さな川がある。河口は浅い汽水域で、水が温むと子供たちは入って遊んでいだ。魚が足にぶつかるほど魚影は濃く、足裏で砂中を探るとアサリがいくらでも取れた時代は昭和20年代後半である。汚染など無縁の川底にユラユラと写る日差しが昨日のことのように蘇る。
あの時代の子供達は勉強もせず、目一杯遊び、目一杯食っていた。親は苦労していたと思うが、子供には毎日が楽しいことばかりだった。日本は食料難の時代だったが、半農半漁の郷里は米以外の食料は潤沢であった。春の野草もよく食べた。スカンポ、カタバミ、ツバナ・・・そう言えば今日、自然公園を歩いているとツバナの芽を見つけた。この草は地下茎に仄かな甘みがあった。野性の椿の蜜もよく嘗めた。一重の花を二つに割ると花軸の根元に蜜が溜まっていて、砂糖が不足していた時代の子供たちには良いおやつだった。
魚介類と野菜は豊富であったが、米軍統治下の沖縄や奄美から漁師が密輸してくる黒砂糖は高価であった。夏になればサトウキビが駄菓子屋で売っていたが、普段はイモ飴やサッカリンで甘みを楽しんだ。
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