彫金のオタフク鎚とイモ鎚。2003年4月16日
ディズニーランド開園20周年で騒いでいる。私は5周年記念の時、何万人目かに当たり、ミッキーのペアウオッチを貰った。私はペアルックが大嫌いで、連れの女の子にペアであげた。今、持っておけばプレミアが付いたかもしれない。
以前、私は彫金職人をしていた。絵描きに転向した今も仕事机の片隅に小さな金槌が置いてある。彫金で一番大切な道具でオタフク鎚と呼んでいる。主としてタガネをたたく為に使い、頭の重さは10匁-37.5グラム-辺りを標準に大小がある。頭の表面の皮だけに焼きが入っていて、タガネを叩く内に写真のように柔らかい中心部が凹んで来る。柄の長さは20センチ程。長さは使い手の好みで、決まりがある訳ではない。使い込むと手の一部のように馴染み、微妙な感覚で打つことができる。
打ち面の反対面は、作品を固定したヤニを砕くのに使う。作品に付着したヤニはテレピン油やソーダーで煮て落す。ヤニ=松ヤニに地の粉と少量の油を加えて作る。
腕の良い職人なら写真を見ただけで柄の出来が良いと分かる。ポイントは柄の端と鎚の叩き面が直線上にあることだ。叩き面の先が斜めに浮いているとバランスが悪く、タガネに直角に当たらず良い仕事ができない。柄の微細な白点は今の仕事で絵の具が飛び散って付いたものだ。
イモ鎚は細長い頭で、タガネ無しで地金を直接叩き鎚目をつける。他にも肉彫りなどで、地金を凹ませたり盛り上げる時に重宝する。通常は打ち面を鏡面に仕上げるが、作品によっては石目や筋目などを施す。鎚の両面を使い分けるので柄は中心軸に対しシンメトリーに仕上げる。
石目とは石の表面のようにザラザラした面、筋目は櫛目のような面を言う。石目はイモ鎚を金剛砥石に強く叩きつけ、筋目はヤスリ面をイモ鎚の叩き面に強く打ち付けて作る。
43歳で絵描きに転向するまで彫金職人で25年のキャリアがあった。転向してからも失業保険のようにオタフク鎚とイモ鎚を大切にして来たが、再登場の機会はなかった。もっとも、今、彫金職人に復帰しようとしても、視力が落ちてしまい戻るのは無理だ。
腕一本で食える職人仕事はいい。時折、使い込んで柄が掌の形に窪んだオタフク鎚とイモ鎚を手にすると不思議に心が落ち着く。
ソ連の独裁者スターリンは元々靴職人であった。子供の頃からたたき込まれた技術は忘れがたいようで、政務に疲れると工房に篭もって靴作りをしていたそうだ。独裁者の彼は嫌いだが、靴作り職人の彼は少し好感が持てる。
私が師事した渡辺弘氏は一般に知られていない町の名工である。
渡辺氏の師匠は江戸金型師だったが、明治から大正期にフランスに留学して洋式の彫金技法を身につけた人だ。
渡辺氏の代表的な仕事は1961年の美智子妃婚礼時のティアラである。その時、氏は最重要工程を担当した。具体的に説明すると、プラチナ合金にの土台に穴を開け、ダイヤを入れて地金をタガネで起こしながらダイヤに被せて固定する。被せた地金は玉に丸める。その後、縁とダイヤの間を帯状に削る仕上げの難作業がある。
もし、タガネ先がダイヤに僅かでも当たると、瞬時に欠けてしまう。しかし、ダイヤからタガネが逃げ過ぎると削り残しが出て、汚く仕上がる。だから、ギリギリの境を美しい鏡面に一気に削り上げなければならない。40代で脂が乗り切っていた渡辺氏は超人的な仕上がりで削り終えた。おそらく、これ以上のティアラは、今後、我が国だけでなく、世界中のどの国でも絶対に作ることができない。それ程に美智子妃のティアラは、宝飾品歴史上世界最高の日本人職人の技術が集約されている。このティアラの仕上がりと比べると、セレブたちにもてはやされている欧米有名宝飾メーカーの品は極めてお粗末に見える。氏の話しでは、使われたダイヤは皇室の古い宝冠からの転用で、真円ではないいびつな旧カットばかりで大変難しい仕事だったようだ。
このティアラには後日談があった。
警察官に24時間厳重警備されたミキモトの工房で、極秘に作られていたはずのティアラが、毎日グラフにスクープされ紙面を大きく飾った。スクープしたのは氏の師匠の息子のカメラマンである。公開前に撮影出来たのは、ティアラがミキモトの工房に始めからなく、町中の無防備な工房で作られていたからだ。この事件には各部署の責任問題が絡み、結局、許可されて撮影したことになった。真相を知る関係者の殆どは、今は鬼籍にある。
私は渡辺氏の最初の弟子で、氏は大変苦労した。毎朝遅刻するし、気ままに休むし、氏の言いつけは聞かないし、奥さんの料理には文句をつけるし、大変に厄介な弟子だった。そんな弟子だったので、私が独立した時、氏は安堵したようだ。
オタフク鎚やイモ槌の柄は一度作るとめったなことでは取り替えない。
柄は丈夫な樫を丁寧に削って作る。昔は樫材の専門店が日暮里にあって、そこで質の良い白樫の角材を手に入れた。角材は斧で筋目に逆らわないように割る。割った用材の中で柄の形に合った質の良い部分を選び、掌にピッタリと合うように端を丸く削る。この作りでは、繊維が切れていないので100年使っても折れない。昔の木造建築が長持ちするのは用材を割って作っているからである。板も材木を割って手斧(ちょうな)で削って作った。今は鋸で強引に切るので繊維が斜めに切られていて割れやすい。
同様に昔はダイヤの原石も石目に沿って専用の刃物を当て、大まかに割ってからカットした。だから昔のダイヤは割れにくかった。しかし今は、歩留まりが良いようにレーザーで強引にカットするので割れやすい。彫金をしている頃、そのような石の石目に運悪くぶつかり数百万のダイヤを真っ二つに割ってしまったことがある。しかし当時は景気が良くて、割った石は御免なさいと謝ればそれで済んだ。
オタフク鎚やイモ槌を手にしていると、昔のことを走馬燈のように思い出す。
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