自然を前にして 2003年4月25日
今日の母の散歩はペインクリニックで休み。
午後から赤羽駅前まで食料の買い物に出て、豆乳が1リットル190円と安かったのでまとめ買いしたら、リュックが重くなった。
自然公園を休むと物足りない。一人で行ってもいいが、顔馴染みの老人達に母親はどうした、と聞かれのが面倒である。
母の世話をするようになってから、些細な事にこだわらなくなった。それは自然公園へ来ている老人達と話すようになったからだと思う。彼らは戦争と戦後の混乱期を乗り越えて来ているだけに、逞しくて大らかな人が多い。
緑道公園の桜広場のベンチに、いつも一人で腰かけているおばあさんがいる。彼女は母が現れるのを待っていて、決まって声をかける。彼女は下町育ちで、綺麗な江戸言葉を話す。しかし、糖尿で足も目も悪く、そのことをいつも嘆いている。娘が川越に住んでいるが、疎遠の様子である。
自然公園では、70代のお爺さんがいつも元気に早足で歩き回っている。身支度を見ると、元体育教師では、と想像している。会う度に「頑張っていますね。」と彼は大きな声で母に挨拶する。
一人で車椅子で来る老人は、仲間3人といつも政治談義をやっている。最近は話題が払底したのか、将棋の話に変わった。
毎日の散歩で出会う年寄り達はいずれも前向きで明るい。病院の待合所で嫁や近所の悪口を言っている年寄り達とは違う。気さくに話しかけるが、それ以上ベタベタ入っ来ることはない。その適度な距離感が心地良い。
公園に来ているのは年寄りだけではない。登校拒否の女子中学生もいる。彼女は景色を眺めたり、携帯メールをチェックしたりしている。今は心を病んでいるが、その内、自然によって癒され、立ち直ってくれるような気がする。
先日、いかにも不良ぽい若者二人が来ていた。二人は池に架かる橋の手摺に持たれ、公園の木々をぼんやり眺めていた。そして、その一人が「なんだか、気持ちがスーとする。」と呟いた。いかにも悪そうな外見の二人から、そのような言葉が出るのは意外だった。自然を前にすると人間は優しくなれる。社会から自然が失われると、人の心も荒んで来るのだろう。
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