都営桐ヶ丘団地は、日本の近未来の姿。 2003年5月23日
私は隣町の都営桐ヶ丘団地を注目している。この団地は昭和30年代初頭、都民の住宅難を急遽解決するために建設された。広さは40平方メートル前後、風呂無しで、今見ると狭くて劣悪。しかし、当時の民間アパートの更に劣悪な環境から見ると、天国のように思え、都民の憧れの団地だった。
私が団地の隣町に引っ越してきた40年代、子供の多い活気のある団地だった。しかし、今は若者は去って、残っているのは70歳前後の老人ばかりだ。
私は毎日、母の車椅子を押して団地内を通って帰る。団地内で子供に出会うことは滅多にない。時折、公園のベンチで鳩に餌をやっている老人や、缶酎ハイでささやかな酒盛りをしている老人グループに出会うだけだ。しかし、私は団地内を抜けるのが好きだ。時間が停止したような不思議な異空間は、浅草の裏通りを歩いているような安らぎを覚える。
母は団地の坂道を下る時、海を感じると言う。それは私も同じで、浦賀あたりの山の迫った海辺の住宅地を思い出す。低層の建物は浦賀造船所の社宅に似ていて、建物がうらぶれて行く静けさは心地よい。生活の営みが重層に塗り重ねられ、古い絵画のように深みを帯びているからかもしれない。
春の頃、団地の坂道に桜の古木が咲き誇った。そのめまいを感じる程に静かな花明かりを、初夏の今も夢のように思い出す。桐ヶ丘団地に限らず、旧軍施設跡地が多い赤羽近辺は隠れた桜の名所である。
4月の桐ヶ丘団地の商店街。寂れて昔日の賑わいはない。
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