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2006年9月15日 (金)

役に立たないものは美しい。     2003年1月20日

車椅子を押す頬に春の風を感じた。
寒中に地表を覆っていた枯れ草が倒れ、地面まで陽光が届いていた。
枯れ草は厳冬期は立ったまま地面を暖かく守っている。
そして、春間近に倒れて土地を肥沃にする。実に巧みな自然の摂理だ。

冬の木肌は美しい。
ミズキやニガイチゴの紅色。柳のオリーブグリーン。この多彩さは何故なのだろう。グリーンは葉緑素だと理解出来る。紅色は木の葉がなくなって直射する紫外線から木肌を守っているフィルターの役割があるのだろう。だから、春から夏へと木陰に覆われると、紅色は色褪せて来る。

もしかするとそれ以上に、美しいことに意味があるのかもしれない。例えば、青トカゲの子供は輝くような瑠璃色である。目立っていて補食されやすいのに、彼らは自然公園で沢山繁殖している。専門家は「それは警戒色である」と言うが、実用的に自然を見るのは間違っている気がする。

役に立たないから湿原を畑に開墾する。
役に立たないから古い建物を取り壊しビルを建てる。
その考えの結果が、人を幸せにしているとは思えない。
役に立たなくても、意味のあるものはある。珍しい切手、古い陶器、歴史のある建物、それらは眺めているだけで心地よい。

私も役に立たない絵を描いている。役に立たない老人や身障者たちも、彼らがいることで、私たちは知らず知らずの内に死や老いを受け入れる勇気を貰っている

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