童は見たり野中の薔薇 2003年2月27日
私は南九州の漁師町大堂津で育った。黒潮が沖を流れていて、厳冬の朝は海からもうもうと蒸気がわき上がり、まるで海が沸騰しているように見えた。霜も多く、早朝、登校する道すがら草の葉を覆う霜を集めて小さな雪だるまを作った。氷も2㎝くらいのが張ることがあり、割ったかけらに穴を明け藁を通し、ぶら下げて遊んだ。南九州は温暖の地と思われているが、昭和20年代の冬は厳しかった。しかし、春の訪れは早く、2月半ばの暖かい日には、海に入って遊んでいた。
赤羽自然観察公園で、リハビリでソロソロと歩く90歳の母を待ちながら、50年以上昔のことを思い出していた。ススキの原の上に、樹木に囲まれた炊事棟の屋根が見える。日射しに光る黒い屋根が、郷里の姉や兄が通っていた中学校の講堂に似ている。眺めているうちに「童は見たり野中の薔薇・・・、」と、野バラが口をついて出た。口ずさみながら、木造講堂から聞こえた女生徒のコーラスや、農業試験場の白いペンキ塗りの建物や、泥濘の杉並木の道を行く荷馬車を思い出した。しかし、南九州に野バラはなかった。だからいっそう野バラに憧れ、この歌が記憶に強く残っているのかもしれない。
私は走るのが好きで、いくらでも疲れずに走り続けられた。
中学校で運動会や催し物があると1里ほど走って見学に行った。遊び過ぎて帰りが夕暮れになると、道沿いの農家から漂う夕餉の香りに空腹で辛くなった。
遠くに我が家辺りが見えた時の嬉しさは例えようがない。
「こんなに遅くまで、どこへ遊びに行っていたの。」
家に駆け込むと母に叱られた。用意されていた暖かい食事は今思うと質素である。しかし、その頃はどんな御馳走より美味しかった。
それらは昭和28年頃の記憶だ。今の子供は空腹の経験が少ない。親にせかされながら食事を嫌々口にする子供。食べ物を選り好みする子供。私の時代には想像もできない。
赤羽自然観察公園の野イバラ。5月撮影。
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