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2006年9月26日 (火)

銀座とさい銭ドロ   2003年5月28日

奄美の少女を情感深く描く、宮トオル氏から作品展の案内が来ていた。
介護に追われて出かけたくはないが、行けないお詫びを言うのも面倒なので、結局、午後に銀座へ出かけた。最近は銀座へ出ても目的地に直行し、銀プラすることなどない。
しかし、7丁目の画廊へ行く途中が銀ブラになって、結構楽しかった。

晴海通りの三愛ビル前では外人が針金細工を売っていた。いかにも、女の子の母性本能をくすぐりそうな金髪青年である。小さな台に針金細工の自転車を並べ、一心にペンチを動かして自転車を作っていた。しかし、雨が落ち始めていて、立ち止まる者はいなかった。

銀座は知らない内にヨーロッパの老舗の直営店か増えていた。英国首相がこれを不況と言うのなら不況を輸入したいくらいだと言っていたが、なるほどと思った。

画廊には彼の奥さんも来ていた。年は取ったが、以前の色香は健在である。二人と絵の売り方などの情報を交換して画廊を出た。
外は本格的な雨になっていた。有楽町駅構内で雨で早めに店じまいした針金細工の金髪青年とすれ違った。もし、彼がヨーロッパから来ているなら、多分、本国から失業保険を受け取りながら日本で露天商をしているはずである。余談だが、インドには、失業保険で優雅に暮らすヨーロッパ青年が大勢いる。

帰りに床屋さんへ寄った。床屋さんは私と同世代で、母と同じ歳の父親の世話をしている。だから共通の話題も多い。
頭をあたって貰いながら、我々は親の世話をしても、子供の世話にならない世代になりそうだ、といった話をした。母を見ていると、子供の世話になることは至極当たり前のことと思っている。母の世代は家族、福祉、と幸せな晩年を迎えることができた最後の世代である。
しかし、我々は国や子供の世話になることなど想像も出来ない。いいかげんな国に、直ぐに地面に座り込む足腰の弱い若者たち。先日、缶酎ハイ片手の若者が近所の神社の祠でさい銭を探しているのを目撃したが、以前は祠の小銭に手を着ける者等皆無だった。短い間に日本は変わってしまったようだ。

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