ガン宣告 2003年6月12日
6月初頭、母は姉に連れられ、車で30分程の隣の区にある大病院へ行った。
母は1年前に下腹部に異常を感じ、その病院の皮膚科で診察を受けた。診断はベーチェットの疑いで、標準的治療として抗がん剤軟膏の処方を受けた。
それから1年間、母は3ヶ月毎に皮膚科に通ったが、一向に改善は見られなかった。ベーチェットは難治性なので、私はそんなものだと思っていた。加えて「とっても親切な、良い先生よ。」と信頼している母の言葉も信じていた。
その日、姉と帰って来た母は病院で組織を取られたと言った。何故と聞くと、担当医師と上司が二人で診察して、ボーエンガンと告げられたと言う。私はベーチェットと思っていたので、ボーエンガンとの診断には驚いた。
いつの間に病名が変わってしまったのか解せなかった。毎回、診察に同行した姉に聞いてみたが、病気の知識に疎くて要領を得なかった。私は母の付き添いを姉に任せていたことを深く後悔した。もし、私が付き添っていたら、積極的に診察内容を聞き、より完璧な治療を要求するか、拙いと判断すればすぐに転院を考えていたはずだ。
--私はかって重度のガンノイローゼであった。それは仲間内でも有名で、朝日アエラがガン特集をした時、取材を受けたくらいである。そのノイローゼのおかげでガンには随分詳しくなっていた。だから、ボーエン病がどのような病気であるのか、その場合20%の確率で内蔵にガンがあること等を知っていた。
冷静に考えてみると、母は医師の指示通り3ヶ月毎に診察を受けていた。仮にボーエンガンであっても完治する初期段階のはずである。しかし、内蔵に起因するものであったらそうはいかない。色々考えを巡らせていると、ついつい悪いことばかり思い浮かんだ。私は母の病状を軽く思っていた自分自身を深く悔いた。
最近、母は極めて元気で、風邪も引かず、散歩の距離も長くなっていた。なんとなく、まだ暫くは元気でいてくれると喜んでいた矢先のことで、突然のガン宣告には奈落へ突き落とされる思いがした。
いずれにしても、明日には組織検査の結果が分かる。だが明日は13日の金曜日である。厭な予感が再び頭を過った。
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