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2006年9月28日 (木)

続、ガン宣告    2003年6月13日金曜日

病院へは朝9時に家を出て、タクシーで9時半に着いた。
待合室は一杯で4時間近く立ちづめだった。検査結果への不安もあり、私はすっかり滅入ってしまった。

お昼過ぎ、やっと呼ばれて診察室に入ると、担当医師と上司が待ち構えていた。私はすぐに結果が悪いことを予感した。
若い担当医師はこともなげに、ボーエンガンの検査結果は転移の恐れがある真皮まで浸食している、と告げた。そして、手術は難しいので、リンパ節廓清と放射線治療が最善と付け加えた。

母は1年前に下腹部の皮膚に小さな異常を感じてから、直ぐに診察を受けた。そして、医師の指示通り3ヶ月毎に診察に通い、抗がん剤軟膏の塗布も真面目に続けていた。それなのに、その医師は一体どんな診察をしていたのだろうか。私は突然、怒りと不信感がこみ上げ、厳しく医師に詰め寄った。
「貴方は1年前、ベーチェットと診断したじゃないですか。貴方の書いたメモも残っています。それが今になってボーエンとの診断とは一体貴方はどんな診察を続けていたのですか。納得出来ません。仮に一歩下がって貴方を信じたとしても、どうしてただのボーエンが3ヶ月の短期間で進行がんに変異するのですか。そんなに危険な病状だったら、私は毎週でも母を診察に連れてきていました。」
「始めから一貫してボーエンでしたが、それが突然、進行する事はありまして・・・」
担当医師は上司の表情を見て、口をつぐんでしまった。
「急速に進行する可能性があることが分かっているのに、なぜ適切な処置をせず、転移する段階まで、漫然と軟膏塗布を90近い老人に任せるようなことを続けたのですか。最悪を想定して治療にあたるのが医師の常識でしょう。」
更に、厳しく詰め寄りながら、傍らの母を見ると、私の激しい詰問と飛び交う病名に困惑していた。
人生の終わりを無茶苦茶にされかけている母が無性に可愛そうになった。私は母の為に怒りを抑え、冷静になるように努めた。今は争うより母の治療が先であった。だが同時に、ボーエンと同時にあるかもしれない内蔵ガンのことが心配になっていた。
上司にそのことを質問すると、「その可能性はあります。これからCTスキャンを受けて下さい。」と当然のように答えた。手回しが良過ぎる。既に、血液検査の腫瘍マーカーが高値を示しているのかもしれない。私は落胆で目の前が暗くなった。

慌ただしくCTスキャンを撮った。
帰りのタクシーの中で、先々の事を考え続けた。ボーエンの治療は入院1ヶ月程だが、それに伴う鼠径リンパ節廓清による機能障害は必ず起こる。もしそうなれば、母は歩くことができなくなる。加えて内蔵にガンが見つかれば・・・考えていると次第に気持ちが沈んで行った。そして不意に、去年の暮れ浅草寺で引いたおみくじの3連続凶のことを思い出した。あのおみくじの凶はこの暗示であったのか。私は再び暗然とした。

帰宅したのは3時過ぎであった。
母は深刻な事態を解せず、テレビを見ながら、「今日は先生たちが親切に心配してくれて本当に良かったね。」とのんびりと話していた。「そうだね。良かったね。」と私は努めて明るく振る舞った。

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