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2006年9月30日 (土)

母の入院前に、アメイジング・グレース を聴く   2003年6月29日

部屋の電気を消して、ジェシー・ノーマンのアメイジング・グレースをかけた。それから、玄関のドアを一杯に開け、珈琲カップを片手に夕景色を眺めた。澄み切った歌声に、地上の新幹線と埼京線の轟音が交錯する。ここからは関東を取り囲む山並みが一望出来る。私がこの住まいを選んだのは、母の最後に相応しいと思ったからだ。

母は心臓が弱いので、長患いはせず、あっさり逝くと思っていたが、そうはならないようだ。反対に、父と祖母は、長患いして死ぬと思っていたのに、あっけなく死んでしまった。予想は外れるものだ。

祖母の命日は5月1日で父は6月1日。母には7月1日に死ぬのは避けてくれと頼んだ。7月1日では暑くて参列者に気の毒だからである。しかし、4月1日のエープリル・フールも困る。

父と祖母の最後は、母と同年齢の近所の女医さんが看てくれた。
「人は口から食物を食べている間は決して死なない。点滴で栄養を補給するようになったらだめだ。」と彼女は言っていた。その言葉のように父と祖母は点滴で延命することもなく、さらりと死んだ。父がもうだめだと分かった時、彼女は私に脈の取り方を教えてくれた。そして、死んだら教えてくれと言って帰った。
酷い医者だと思う人がいるかもしれないが、私達の考えをよく理解してくれての配慮で、有り難かった。祖母も父も家族だけに囲まれて、自然に苦しむこともなく逝った。

その女医さんは13年前に郷里岡山に帰って地域医療に貢献していたが、まもなく認知症が始まり、老人施設へ入った。訪ねた人の話では、ほとんど昔の記憶をなくしたらしい。

最近母は食欲不振と下痢に苦しんでいる。腹も張るようだ。いよいよ肝臓ガンの症状が現れたのかと気が滅入る。母の苦痛を和らげる為に、早く入院させて治療に入りたい。

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