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2006年9月12日 (火)

池袋の給水塔。埼京線、人物雑記。 2002年12月14日

昔、仕事で世話になった故人がいた。
彼は私と同い年だった。
環境浄化装置の開発をしていたが、それで生活費を稼いでいたとは思えなかった。しかし、私が仕事で困ると物心ともに助けてくれた。よく分からないが、裕福な人でだったようだ。

彼が突然に亡くなったのは5年前の今日のことだ。
極めて健康に見えていた人だったので大変に驚いた。
彼の未亡人のYさんから「一期一会」の石塔を墓地に建てた法事に招かれた。

その法事の今日、池袋の大谷口にある墓地へ出かけた。
墓地は大谷口の給水塔近くの西光寺境内にあった。
お昼前、地下鉄有楽町線の千川で下車すると、Yさんが車で迎えに来てくれた。案内された西光寺には先日の雪が残っていた。私は日射しの中で手を合わせながら、月日の過ぎる早さをしみじみと感じた。

帰り、参列した人達とYさん宅でお茶を飲んだ。
彼の通夜の時は夜で見えなかったが、家の裏手に給水塔が見えた。林の中に大きな灯台のようなクラシックな作りの給水塔は息を飲む見事さであった。
しかし、その給水塔は取り壊されると聞いた。 

故人には結婚しているお嬢さんがいた。彼女は夫婦仲が壊れかけていて、時折、デートしてくれた。法事で会えると期待したが彼女は来ていなかった。彼女は結局夫婦別れして、今は再婚し幸せに暮らしているとYさんから聞いて、少しがっかりした。

帰り道、家に電話を入れると「大変なことが起きた。」と母が言った。
母は風呂場のフローリング上に落ちていたシャツを踏んで滑ったらしい。
私は洗って乾いた下着やシャツ類はたたまず藤籠に放り込む。出がけに籠からTシャツがはみ出ていたのは気付いていたが、そのままにして家を出た。一瞬、昨日のおみくじの凶が頭をかすめた。しかし、母はゆっくりと洗濯籠のシャツの山の上へ倒れて、どこにも怪我はなかった。だから、おみくじとは逆に運は良かったほ訳だ。

転んだ後の母は大変だった。
母は両膝共人工関節のため90度以上曲がらず、自力では立てない。
母は這って電話まで辿り着き、千駄木に住む姉を呼んで助けてもらった。始めに私へ電話をすれば良かったのだが気が動転して、携帯電話の長い番号を正確に押せなかった。

人工関節の手術後、執刀医から絶対に転ばないように念を押されていた。
それにもかかわらず、母は上手く転んで怪我はなかった。


02年12月23日

最近、70過ぎのホームレスが住まい下の新河岸川河畔に住みついた。
彼は母が以前通っていた病院の入院患者であった。
退院の時、病院が配慮して施設への入所を斡旋したが、彼は再びホームレスの道を選んだ。

母の話では、彼は中小企業の元経営者で裕福な生活をしていた。そう言えば先日、彼は日溜まりでコーヒーを飲んでいたが、表情に品があり、まともな服を着せたら、今でも社長で通用しそうな雰囲気だった。

寒い日が続くのに、今日も彼はガラクタを満載した乳母車の傍らでゴロ寝していた。車椅子の母は、路上の彼を見て、施設に入れば良いのにと嘆いた。外見は痛ましいが、安易に彼の幸不幸を判断することは難しい。

このところ毎日、住まいのエントランスホールのベンチに熟年の男性が休んでいる。彼はこの建物の住人のようだ。先日、通りかかると、彼はベンチで泣いていた。部屋で泣けない理由が何であったのか。失業したのか。それとも家族に不幸があったのか。とても気にはなった。

昨夜は大宮駅隣の日新にある画廊喫茶クエンチでの忘年会だった。
夕暮れに着くと、浜田氏がおでんを作って待っていた。我が家も3日前におでんを大量に作り、日に3度食べている。今日も朝昼とおでんを食べた。そして更に、浜田氏のおでんも食べることになって、食傷気味だった。

しかし、忘年会は楽しかった。大騒ぎして、たらふく飲んで終電で帰った。
埼京線上り終電は特異な光景だった。

私の向かいのイラン人は眠りこけていた。斜向かいの黒人青年と日本人青年のカップルは人目もはばからず濃厚に抱き合っていた。私の隣は濃厚な化粧の女の子の二人が、体を揺すって踊っていた。
その向こうは30代女性二人で、周りには無関心にお喋りに熱中していた。

帰宅して録画しておいた「アーリー・マイラブ」を見た。
このドラマははしたないくらいエッチな所が良い。
その他、映画2本の録画を見ていたら朝になってしまった。
母の車椅子押しが辛そうだ。

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