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2006年10月 2日 (月)

甥の命日に寛永寺墓地へ  2003年7月19日

17日は甥の命日だった。10年前、銀座の彩林堂で個展をした時、彼はガールフレンドのドイツ人留学生と訪ねて来た。それから半年足らずで、彼は交通事故で急死し、個展の芳名帳に残された彼の署名が、私への遺書になってしまった。

鶯谷で下車して上野寛永寺の墓地へ向かった。
墓地は国立博物館裏にある。時折梅雨空が晴れて、墓地への道が眩しく光っていた。
墓地の門脇に墓守がいる。心付けをやって水を用意して貰うのは厭なので、ミネラルウォーターの大瓶を持参した。
墓地通路の敷石で若い蜥蜴が腹を暖めていた。日射しに蜥蜴は青い宝石のように輝いている。しゃがんで間近に眺めたが逃げようともせず、私を見ていた。頭上の木立では蝉が鳴いていた。
甥の墓には母親である姉が生けた花が飾ってあった。私は墓石をミネラルウォーターで洗った。
帰ろうとすると、甥の父親--姉の別れた亭主--が花を持ってやって来た。父親は少しびっくりしたが、挨拶をすると「来てくれたの。」と喜んだ。それから、彼と少し近況を話して別れた。彼は仕事が上手く行かず、寛永寺の墓地を維持するのが大変の様子だっだ。

鶯谷から田端へ出て、駒込病院へ回った。母は一人で散歩を済ませた後だった。途中のコンビニで買ったヤクルトをベット脇に置いて帰った。

毎朝、母の部屋を少しづつ片付けている。母は手芸好きで、山のように端布が出てきた。整理しようと思うが、何故か高価な品よりそれらの安価な端布が捨てられない。

関連記事---帰り道を変えれば運命も変わる。2003年11月16日
http://m4s.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/20031116_d801.html

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