のんびりと雨 2003年10月28日
昨日、母を駒込病院へ入院させた。今回の入院手術は80歳を過ぎてから11回目である。
早朝、無線タクシーを呼び、付き添いを姉に頼んだ。タクシーを見送った後、介護保険で借りている車椅子を返却しなければならないので空の車椅子を持ち帰り、ケアマネージャーへ電話を入れた。
後は目の回るような1日だった。姉からの病室番号連絡の電話を待って、お昼から画材とプリント用紙を買いに出た。帰り病院に寄って母の様子を見た。2度目なので母は落ち着いていた。話をしていると担当の看護婦さんが来たので挨拶した。この病院のスタッフはテキパキして優秀な人が多い。
帰宅は遅くなった。描きかけの仕事に取りかかったが睡魔に勝てず12時に床に就いた。
目覚めたのは午前10時。連日、4時間の睡眠が続いていたので、久しぶりに十分に睡眠を取った。おかげで今日はすっきりしている。一人になるのは慣れているので、母が居なくても寂しさはない。
もっとも、それは昼間だけのことで、深夜床に入ると寂寥感におそわれる。
今日も病院へ母を見舞った。母は病室でのんびりしていた。高齢なので看護婦さんも担当医師も優しく接してくれてるので本人は満足していた。母は同室の患者に元教師と思われている。私は母と理詰めに会話をするので、母もそのような雰囲気になっているのかもしれない。
私の職業は誰にも分からなかった。地元の赤羽のでは、昼間、食品を買っているので料理人と思われている。頭を刈り上げているので、そう思われるのかもしれない。今時、髪の長い絵描きは少ない。もっとも、上野の都美術館の食堂へ行くと、今も長髪にベレーの美術団体所属の老人たちがビールを飲みながら怪気炎を上げている。何とも胡散臭いことだが。
病院帰りにビデオを借りた。今は絵を描きながらビデオを見ている。どれも映画賞を取った堅い力作である。小説家の教授を巡る人間模様を描いた「ワンダー・ボーイズ」、麻薬取り締まりをハードに描いた「トラフィック」、共に見応えがあった。夜はビデオを見ていると寂しさや不安が薄れる。
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