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2006年10月18日 (水)

親が老いて行く喪失感   2003年12月23日

昨夜、友人のT君が食事に誘ってくれた。夕食後、母をベットに寝かせて7時半に家を出た。池袋でイタリー料理をご馳走してもらい、母の見舞いに洋なしラ・フランスをもらった。母の介護の毎日なので、心遣いが身に染みる。

11時に帰宅した。消したはずの母の部屋の明かりが点いているので急いで行くと、何事も無く寝ていた。寝相が悪く、手を出しているので布団をかけ直すと母は目覚めた。
「お前が帰った時、暗いと危ないから点けておいた。」
母は寝ぼけ声で言った。老いた身で気遣いなどしなくてもいいのに、間欠泉のように悲しみがわき上がった。
母は「有り難う」と言って再び寝入った。

仕事部屋へ戻ってから、祖母の介護をしていた30年前を思い出した。
祖母は九州で兄夫婦と暮らしていたが、色々不都合があり私が東京に引き取った。死ぬまでの1年半、祖母は殆ど寝たっきりで、昼間は母、夜は私と分担して介護した。
祖母もよく手を出して寝ていた。夜中、布団を直していると、同じように「有り難う」と言っていた。祖母は85歳で死んだ。その頃の私は若くて介護生活に縛られるのが辛かった。だから祖母が死んだ時、これで思いっきり遊べると思った。

父は20年前1年の寝たっきりの後80歳で死んだ。
父が倒れたのは79歳の時で、苛烈な裏金融の取りたてに疲れ果ててのことだ。父は山っ気が多く、私が子供の頃から借金を繰り返していた。父の死の原因になった裏金融の取り立ても、仲間と創業した会社の連帯保証人になっていたからだ。

父が死ぬとすぐに、喜び勇んで霞ヶ関の法務局へ借金の相続放棄の手続きに行った。だから、父の死は喪失感より開放感が勝っていた。その後、私が43歳になってから、絵描きに転向したのはその開放感が大きく影響している。

しかし、母を失うことで得られる開放感は小さい。私はすでに初老に達し、祖母や父の時のように、これで自由な人生を選べる、と言った開放感はない。母が死ねば私は最後の家族を失う。しかし、このままでは終わりたくない、と強く思っている。その意思が、やがて訪れる母の死の喪失感を乗り越えさせてくれるかもしれない。

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