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2006年10月19日 (木)

ハッタイ粉とミカンの葉   2003年12月23日

日南市大堂津からクール便が届いた。旧知のAさんからで、地元の魚に交じって私が子供の頃好きだったAさんの庭で実った金柑が入っていた。
Aさんは都会でタイピストをしていた知的な人だが、漁師の家に嫁いだ。そんな彼女と都会育ちの母はうまが合っていた。私が5,6歳の頃、新婚の彼女に長男が生まれた。授乳する傍らで羨ましそうに眺めていると、「マーちゃんも飲んでみる。」と彼女は私にも飲ませてくれた。今もその甘い味と感触を覚えている。

彼女は今も、私のことをマーちゃんと呼ぶ。昔の感覚はいつまでも変わらないようだ。
彼女の実家にもよく遊びに行った。細田川の橋のたもとの家で、縁側でハッタイ粉=麦焦がしを庭のミカンの葉をスプーン代わりに食べた記憶がある。麦焦がしの香ばしさと、ミカンの葉の芳香が交ざって美味かった。80歳になってもAさんは私の好みを良く覚えている。届いた荷にそのハッタイ粉も入っていた。
電話で礼を言う母にAさんはもう一度会いたいと言っていた。しかし、互いに老いてしまい、もう無理である。

夕食後、母はテレビをつけたまま死んだように眠っていた。人一倍、テレビ好きだったのにドラマへの興味が失せたようだ。母は日替わりで体調が上下し、これからどのように推移するか予測は難しい。母に多くは望んでいない。ただ、最期は静かに逝ってくれることだけを望んでいる。

ガンで倒れてから母はこの1年間で多くの知的な楽しみを失った。しかし、大好きな動物たちに会うと明るさを取り戻す。散歩コースの赤羽スズラン通り洋品店の看板犬のシーズー、理髪店のゴールデンレトリバーのラッキー、隣のネコのモモちゃん、彼等に会うと母は元気な頃と同じように明るく声をかける。

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