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2006年10月 1日 (日)

漁師町の老人達    2003年7月6日

最近、子供時代を過ごした南九州日南市の漁師町を思い出す。
その頃は、老人は医者にもかからず淡々と死んで行った。若者も漁で遭難することが多かった。戦後間もない頃で、戦死した者も多かった。小学校のクラスメイトの殆どは身内の一人は海か戦争で亡くしていた。
当時の船の多くは木造の小さな機帆船である。風が凪の時は焼き玉エンジンを使い、風があれば帆を張って進んだ。今のような救命ゴムボートなど皆無の時代で、ちょっと嵐で船は簡単に沈み漁師は遭難した。

毎夜、決して雨戸を閉めないお婆さんがいた。数十年前に海で遭難した息子が帰ってくるような気がして、戸締まりが出来ないのだと、母が話していた。
危険と隣り合わせの漁師達には残された老人を助ける老人間の相互扶助システムがあった。孤独な老人には、近所の漁師が魚を届けた。隠居仕事で畑を作っている老人は野菜を差し入れた。老人が病に伏せれば元気な老人達が皆で世話をした。
漁師には、他人の遭難は明日は我が身で、相互扶助の精神が強かった。ある意味で今より生きやすい時代であった。

今は漁師町から漁師が消え、町の大半はサラリーマン家庭に変わったと聞いている。福祉医療制度の充実が個人主義を助長し相互扶助システムは崩壊する他ない。

医療の進歩は、死を克服したような錯覚を生む。死への心構えは薄くなり、一旦死に直面すると右往左往してしまう。そのような社会では昔のように淡々と病と死を受け入れる事はできない。進歩は不幸も生み出したようだ。

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