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2006年10月 7日 (土)

夏の終わりに    2003年8月31日

夏は終わり。友人が明日からの仕事を思うとうんざりすると話していた。フリーの生活が長い私には羨ましい感覚である。私はいつも、うんざりするほど仕事をしてみたいと思っている。

月末は仏壇の花を新しくする。仏壇の上に母と祖父母と曾祖父の写真がある。今日は花を飾った後、しみじみと眺めた。

4,5歳の母が前列に祖母と曾祖父に夾まれて立っている。後ろに婿入りした祖父。祖父は遊び人であちこちに愛人を囲い祖母は苦労したようだ。その所為か、前列の曾祖父は祖父からそっぽを向いている。母の話では曾祖父と祖父が話しているのを見たことはないらしい。

祖父は腕っ節が強く、久留米では名が売れていた。写真で見ても眼光鋭くがっちりした体躯で、一昔前の東映映画に出て来そうな風貌である。祖父は芝居の興行なども手がけていた。母の記憶では祖父は細工物が好きで、芝居小屋に一人こもり、書き割りを描いたり、新聞紙等で小道具の鯛や野菜を巧みに作っていた。

曾祖父は寡黙な人で母を溺愛していた。酒が好きで飲みに行く時、寒い頃は小さな母を布団で巻いて抱えて行き、酒席の傍らに座らせて酒の肴を食べさせてくれた。その所為で母はコノワタ、コノコ、カラスミ、と肴類が大好きである。その好みは私にも伝わっている。
 
母の知る曾祖父は温厚篤実の人であるが、若い頃、西南戦争へ西郷さんについて城山まで行っているくらいだから血の気は多かったようだ。体も頑健で85歳で死ぬまで、歯は一本の欠損もなく晩年も堅い肉を好んで食べていた。写真で見る曾祖父は人生の荒波を越えてきた老漁師の風貌である。

曾祖母は厳格な士族の娘で祖母が小学校へ入学する前に死んだ。祖母の話では教育熱心で病いに弱った体で祖母のために学用品を揃えていた。
後添えの継母は良い人ではなく、祖母は苦労したようだ。しかし、見かねた近所の人にそのことを知らされ曾祖父はすぐに継母を離縁した。以後、曾祖父は後添えを貰うことはなかった。
祖母はよく実の母がもう少し長生きしてくれたら自分の人生は変わったと話していた。しかし、そうなれば私も存在しない訳である。

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