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2006年10月10日 (火)

喪失感    2003年9月16日

緑道公園から赤羽自然観察公園への散歩道の紅葉が始まった。まだ、ごく一部の山ブドウ等だけだが、今年は秋の訪れが早いようだ。車椅子を押して熱を帯びた体に秋の涼風が心地良い。

散歩から帰宅すると今日も母はすぐにベットに横になった。暫くして様子を見に行くと、母は不自由な体で衣装ケースの整理をしていた。後ろ姿は背中が丸くなり、すっかり小さくなってしまった。顔はあまり年取っていないので、この後ろ姿を見ると老いてしまったなと喪失感におそわれる。
「後は俺がやるから、休んでいなよ。」と言うと母は嬉しそうに「有り難う。」と言ってソロソロとベットに戻った。

若い頃は親など煩わしい存在だった。早く親を亡くした友人が自由に見えて羨ましくさえあった。若さとはとんでもないことを考えるものだ。しかし今は、日に日に弱って行く母を見ていると、やりきれない喪失感に襲われる。

しかし、現実を否定することは出来ない。私もいつのまにか今の生活に順応してしまい、喪失感はすぐに嘘のように消える。いつものように仕事に集中し、バラエティ番組を見てゲラゲラ笑う。友人から電話が有れば馬鹿話をする。生活の見た目だけは以前とほとんど変わらない。遊びに行かなくなったのは介護の所為ではなく、仕事に熱中したいからである。今は遊びより作品を完成させる方が楽しい。母が死んだ後も、私の生活はさして変わらないかもしれない。いや、これは単なる願望で、現実には長く喪失感に苦しむことだろう

アウシュビッツで生き残った医師の手記を読むと、極限状態で生きる意義を見いだした者は生き残る確率が高かいようだ。期せず、私も母の死によって得られるものを考えていたが、正しかったようだ。
私が自由になって出来ることは、
登山や海外旅行。テロがなければニューヨーク暮らしも良い。昔よくやっていたように横浜で深夜まで飲んで、山下公園のベンチで朝を待つのも良い。新しくガールフレンドを作り家に連れ込むことだって出来る。

昔、何度も女性関係に失敗して苦しんだが、これは大変辛いものだった。しかし、修行僧が苦行の末、悟りを開くように、私もこの苦行で強くなれた。
今思うと、女と母との別離の違いは激情と静けさかもしれない。たった一人の家族である母が逝った後は、喪失感を自然に静かに受け入れたいものだ。

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