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2006年10月11日 (水)

見えない人    2003年9月20日

今日は昨日と一転、涼しい雨になった。車椅子を押していても汗一つかかない。色褪せた草木も一気に蘇って生き生きとしていた。

赤羽は寺の町で大きな寺院が幾つもある。それぞれに墓地を持っていて、緑道公園脇にも法善寺の大きな墓地がある。彼岸の入りで小雨の中でもお詣りの家族が絶えず、線香の煙りが緑道公園まで漂っていた。
「今のお爺さん、危なかったね。」車椅子を押している私に、母が言った。怪訝に思って問い返すと、
「道の真ん中に座っていたお爺さんのことよ。今、よけて行ったでしょ。」と母は言う。振り返っても、道には誰もいない。
「誰もいないよ。」と言うと「お前、若いのにぼけたんじゃない。」と母は笑っている。
しかし、道の右手は墓地である。私には見えないお爺さんが母に見えたのかもしれない。
そう言えば一時退院してすぐの頃、その墓地脇を通る都度、「大勢人がいて賑やかね」と母は言っていた。最近母は死者を身近に感じているようだ。

法善寺の墓地は桐ヶ丘団地と赤羽台に夾まれた窪地にある。墓地特有の陰気さはなく、広々と気持ちの良い場所である。周りには大きな自然林が残り、春は見事な桜に囲まれる。墓石の周りには埋葬者が生前好きだった草花や花木が植えてあって、それぞの季節に彩りを添えてくれる。
そんな明るい場所で亡霊を見たとしても、怖くも何ともない。

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