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2006年10月11日 (水)

エンドルフィン    2003年9月23日

昨夜は母の小用が止まっているのが気になって寝付けなかった。様子を見に行くと母は死んだように寝ていた。本当に死んでいるように見えるので、心配になって布団に触れると少し腕を動かした。

戻る時、ビデオラックにあった「高校教師」を持ち帰り布団に寝転がって見た。初回の女子校へ赴任する羽村先生=真田広之の辞令には平成5年1月7日とあった。あれからもう、10年過ぎてしまったのか。若々しくふっくらとした頬の二宮繭=桜井幸子を見ながら、当時付き合っていた女性のことを走馬燈のように思い出した。

今思うと、当時の悩みは春風みたいに軽いものだった。当時は仕事は順調で生活にゆとりがあり、母は80歳で、とても元気だった。当時私は、母は88歳くらいまでは生きるだろうと思っていたが、実際はそれより長生きしてしまった。先の事はさっぱり分からないものだ。

午前中の散歩は爽やかな日差しに恵まれた。大気も草木も雨に洗われて心地よかった。赤羽自然観察公園の中を車椅子を押していると、自然の中を駆け回っていた子供の頃を思い出した。子供の頃は自然と自分が一体化していた。野性の動物たちはもっと一体化して自然そのものになりきって生きているのだろう。

最近、東京大震災のシュミレーションをあちこちの局が放映している。
ビルに押しつぶされ、炎に焼き殺される悲惨さを思いながら、そんな人工的な死より、ライオンに食い殺されるシマウマの方が幸せなのではと思った。
ドキュメンタリーの一シーンで、ライオンに捕らえられた瀕死の草食獣の瞳に恍惚な光を感じることがある。昔読んだ科学本に草食獣が殺される時、脳内ホルモンのエンドルフィンが大量に放出されて苦痛はないと書かれていた。死は必然である以上、それを受け入れるシステムが野生に備わっているのは自然の摂理かもしれない。

昨夜から止まっていて心配した母の小用は、赤羽自然観察公園へ着くと心地良く出た。車椅子の利尿作用の素晴らしさを再認識した。

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