イラスト採用コンペに 2004年3月21日
最近、仕事は殆ど指名コンペ形式になった。コンペ形式は一見民主的に見えるが実体はそれにほど遠い。美術やデザインに疎いクライアントの上層部の選考委員が数人に絞り込まれた最終候補作家から選ぶ訳で、勢い知名度がものを言う。
大体、インスタントラーメンをすすりながら苦学して、有名大を出て、権力闘争に明け暮れ勝ち残った経営上層に美的感覚を期待しても無理である。
以前、大手飲料メーカーのポスターの最終候補3人に残った時のことだ。そのプレゼン用絵は大きな少年の足元に野山が広がっている絵であったが、経営トップは、木の大きさより子供が大きいのは変ではないか、と一言呟いた。彼にはデフォルメの意味が理解出来なかったようだ。それを聞いた担当者は、慌てて私の絵を引き下げてしまった。
実際に、ポスターやカレンダーで良い絵は少ない。理由は概ねそのような審査経緯があるからだ。私は、企業カレンダーでは、毎回最終候補に残る。私の作品は宣伝部の受けは極めて良いのだが、経営トップにはどうしても好かれず、既に40数回連敗している。
昔は企業も鷹揚で、作家ごときに上層部が口を挟むことは少なく、宣伝部の美術系部員に任されていた。だから、始めから誰と決めて仕事が発注されることが多かった。コンペもあったが競争は今より緩やかであった。
頼まれれば、どうせ当て馬にされるのかと思いながら、今もプレゼン用の絵を描いている。昔はコンペで3割の勝率を誇っていたが、最近は数%になった。売り絵もダメだし、こちらもダメ。時折、無一文になって寒空の下を彷徨する自分の姿が頭をよぎる。
母は寒い間はユニクロの毛布を腰に巻きスキー手袋をして散歩に出ていた。しかし、このところの暖かさで、もう必要ないと思い押入にしまった。次に使うのは11月頃だ。再びそれらを使うことがあるのかとふと思う。生活も母も数ヶ月先はまったく読めない。これは辛いことだ。
桐ヶ丘の坂道の古い石垣上に桜の古木が覆い被さるように満開である。見晴らしは良く見上げなくても空が見える。坂道下の自然木の中に早咲きの山桜が咲き始めた。
母の車椅子を押しながら、昔の思い出が走馬燈のように頭を巡った。4月の終わり頃、清里へ行った時、今と同じように山桜が咲いていた。高原の大気の清々しさを昨日のことのように思い出す。
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