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2006年10月26日 (木)

母は肝臓ガンから生き残った、しかし、  2004年3月5日

駒込病院へ母を連れて行った。3月末使用期限のタクシー券が片道分残っていたので、行きはタクシーを使った。運転手は話し好きで、景気から小泉政権の政策に及んだ。相変わらずタクシー業も厳しいようだ。しかし、絵描きと比べるとまだ恵まれている。

相変わらず駒込病院の待合室は満員電車のような混みようだ。病院の待合室は風邪のウイルスが充満している。人のいない離れた通路に車椅子を止め、母に風邪予防に持参のお茶をせっせと飲ませた。今日は肝臓内科の医師に前回の血液検査の結果を聞くだけである。肝臓内科の外来患者は少なく、すぐに母の番が来た。

結果はC型肝炎ウイルスはマイナス。アルブミン値、肝機能、いずれも正常。腫瘍マーカーも正常値。医師は「完全な健康体で百歳まで生きられます」と上機嫌であった。「百歳までだなんて、厭になっちゃいます。」と母は半信半疑の顔をしていた。

帰り採血室で再度採血した。
看護婦が母の腕に「絆創膏の跡がありますね」と言った。「去年の採血の跡かな」と私が言うと「落ちにくくて評判悪いんですよ」と九州訛りで頷いた。私は冗談で言ったつもりだが、本当に2,3ヶ月絆創膏の粘着跡が残ることがあるらしい。彼女の訛りに気づいた母が出身地を聞くと、両親が九州出身だった。

帰りはJR田端駅へ向かった。途中、田端生協で買い物をして、赤紙不動に病気快癒のお礼に詣った。
風は冷たいが、明るい日射しの下、久しぶりに晴れ晴れとした気分になった。
健康は普通の人には普通のことだが、母には1年以上縁がなかった。この先にガン再発があるとしても、この一瞬を享受出来ればそれで良いと思った。

関連記事--バックナンバー「C型肝炎ウイルスが消失 2003年7月23日」

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