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2006年10月31日 (火)

クスの木はクマの木彫りの香り。   2004年4月18日

昨夜、絵描き仲間の作品展の後、池袋の安い店で飲んだ。編集者や物書きが集まって会話が弾んだが、終わった後、私は人疲れしてしまった。帰宅してもそのストレスを引きずって眠れず、1時間程眠っただけで朝を迎えた。

母の散歩は早めに自然公園へ出かけた。赤羽自然観察公園の顔見知りのスズメたちが私たちを待っていて餌をねだった。石垣では蜥蜴たちがのんびりと日向ぼっこをしていた。寝不足で疲れていたが、彼らに会うとホッとして疲れが取れた。

いつものように、母は老人たちと挨拶を交わしていた。朝日に照らされた古民家の茅葺き屋根が美しい。この穏やかな佇まいを見ていると、この国の美しさをしみじみと感じる。

4月26日

昨日今日と涼しく、赤羽自然観察公園の蜥蜴たちは朝寝坊して顔を出していなかった。
緑道公園のクスは紅葉した古い葉を落として新芽が出ていた。新芽を摘んで嗅ぐと爽やかな香りがした。このクスの香りを嗅ぐと昔を思い出す。

昭和34年、宮崎市のデパート屋上で、客寄せのアイヌショーが開催されたことがある。
北海道の旭川から呼び寄せられたアイヌの人達はムックリ--口琴--の伴奏でイオマンテや鶴の舞いをして見せた。中学生だった私は団員の女性が口の回りや手の甲に入れ墨をしているのが珍しかった。
余談だが、当時の沖縄のお婆さん達も手の甲に入れ墨をしていたと聞く。魏志倭人伝には倭人は全身に入れ墨をしているとの記述がある。古代の魔よけの風習が北と南の僻地に残されていたことは興味深い。

団員の中にアイヌ民芸品を彫る若者がいた。
彼は団員が帰った後も一人残り、デパートの一角でクマの置物や、ペーパーナイフ等を彫って実演販売をしていた。彫刻の素材はクスの木を使っていて、仕事場には爽やかなクスの香りがした。
私は、アイヌの若者はクスの芳香に惹かれて残ったのではと思った。
実演販売は4,5年後に終わったが、彼が彫った工芸品はデパートで売られ続けていた。どうやら、彼はそのまま宮崎に根付いたようだ。裕福な友人の家には大抵、そのクマの彫り物が置かれていてクスの香りがした。

彼はアイヌらしくヒゲや体毛が濃かった。熊襲の末裔が住む南九州にもそのような体型が多く違和感はなかった。私の義兄は北海道の人で、北大出のインテリであるが、アイヌの人達を侮蔑的に話していた。しかし、南九州ではアイヌの人達への差別意識は皆無で、若者は居心地が良かったのかもしれない。

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