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2006年10月 3日 (火)

C型肝炎ウイルスが消失    2003年7月23日

午前中に母のガンの手術。今までの習慣で付き添は姉に頼んだ。自宅でじりじりと連絡を待ち、1時過ぎに輸血なしに無事に済んだと姉から電話が入った。
手術は80歳を過ぎてから10回目で、毎年している計算になる。そのせいか、母も私達も動揺はない。明日は病院へ行く。消化器系も呼吸器系も傷つけてないので、明日から歩かせると医師は話していた。

翌日行くと、母は既に集中治療室から一般病棟へ戻っていた。点滴、排尿、脊髄への鎮痛剤の注入チューブとまさにスパゲッティ状態であるが極めて元気である。
母は来るのが遅いと憎まれ口をたたいた。この元気なら回復は早い。歩きたいと言うので手を貸すと、チューブだらけのまま往復10メートル程歩いた。まるで蛸足配線のソケットが動いているように見える。看護婦は驚異的な快復力だと言っていた。

しかし、次の肝臓ガンは簡単ではない。肝臓内科の診断では肝臓表面近くにガンがあるので開腹して取りたい意向である。しかし、腹膜を塞ぐ為に入れてあるメッシュが組織と一体化していて、それを傷つけると重篤な感染症を起こす。本当の苦労はこれからやって来そうだ。

駒込病院は日本で初めてエイズ患者を受け入れた先進的な病院である。しかし、システム上の問題は多い。二箇所にガンを抱えている母のケースでは、婦人科と肝臓内科が連携を取って治療計画を立てるべきなのに、バラバラ勝手に治療を押し進めている。それで素人の私が、それらを調整するはめになった。全体を統括して治療計画を立てる専門家がいてくれたら、私はこれ程悩むことはなかった。

朗報もあった。肝臓内科の医師にC型肝炎ウイルスが消失していると告げられた。長い間、キャリアだから気を付けるようにと言われ続けていただけに、狐につままれた思いである。
胆石手術でC型に感染して日に日に体力が弱って行った時、ウコンを飲ませてみると驚異的に回復した。それでも長い期間、ウイルス消失には至らなかったのに、何故なのか分からない。母は特殊なケースかもしれない。

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