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2006年11月27日 (月)

思い返す時    2004年10月1日

赤羽自然観察公園へいつもより早く行った。いつも餌をあげているスズメ達を暫く呼んでいると顔見知りの数羽が嬉しそうに飛び降りてきた。
それにしても眠い。母が歩く傍を車椅子に乗ってついて行きながら、居眠りしてしまった。

帰りも早く、10時開店の生協の前で開くまで5分程待っていた。
今日は午後から母の定期往診と、社会保険病院眼科での眼鏡合わせがある。早めに昼食を済ませ、一眠りしたい。
 
絵の制作は快調に進行している。最近の学説では脳細胞は90過ぎても創造性も記憶力もさして衰えないと言われている。しかし現実には、それらは著しく衰える。その原因は体力の衰えによるものだと私は思っている。母も体力の衰えた今年始めは著しく頭も衰えていた。しかし、元気になった今は以前と変わらず記憶力も会話もしっかりしていて、留守番電話の代わりくらいにはなる。

10月2日

赤羽自然観察公園の椎の木陰にシートを敷き、蚊取り線香を焚いて親子連れが食事をしていた。子どもは3,4歳の男の子。通り過ぎる車椅子の母に「足がないの?」と聞いた。
「足がないの。幽霊みたいでしょう。」と母が答えると、男の子は目を丸くした。そして「ボクはあるよ」と寝転がって自分の足を見せた。母は「あら、何本あるのかしら。」とからかった。
男の子は数え始めていたが「沢山ある」とごまかしていた。
「じゃー、一本ちょうだい。」母は彼に願いした。
「大きくなったらあげるね」男の子は大きな目をクルクルさせて答えた。傍らで若い母親が幸せそうに母と子どものやり取りを聞いていた。
彼はあと何年母親に付き合ってくれるのだろうか。彼が12,3歳になった頃、小さい頃は何処でも一緒で楽しかったのに、と母親は嘆くのかもしれない。

緑道公園の花壇のスベリヒュが植え替えのため抜かれて傍らに積み上げられていたが、乾燥にも負けず再び根を張って沢山の花を咲かせていた。この強靱さは素晴らしい。

帰路、桐ヶ丘の坂道脇にザクロが実っていた。私は大きな1個を母の杖でたぐり寄せてもいだ。市販されている輸入物くらいの大きさで、皮は淡黄色である。持ち帰り割ると液果は淡いピンク色で酸っぱそうに見えた。しかし、市販されている輸入品より甘かった。
私は子どもの頃からザクロは食べていたが、どれも顔をしかめる程酸っぱくて、大人はよくそんなものを食えるなと笑っていた。日本ではザクロは甘く熟さないと思い込んでいたが、原産地西域に近い今年の夏の暑さのおかげで甘くなったのだろう。

今年の関東の果物は柿も栗も桃も葡萄も総て美味い。九州から色々果物を送ってくるが、長雨で今一美味くない。ザクロも、東京が原産地西域の風土に似てきたので先祖帰りしたのかもしれない。

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