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2006年11月 9日 (木)

昔は生と死が調和して同居できていた。    2004年6月23日

終わりばかり考えるのは後ろ向き過ぎのようだ。
やはり、万事、始める方が楽しい。それなら、すぐに何か始めればいいのだが、それは意外と難しい。若い頃なら、蛮勇を奮って思いつくまま行動した。しかし、計画性も慎重さなく、結局、失敗ばかりしていた。その反省から、慎重になりすぎたのかもしれない。

昨日今日と暑い。車椅子を押していると、ズボンが重くなるくらい汗をかく。自然公園は幼木が多く、日影が少なく、焼けた鋪道から熱気が沸き上がる。それでも母は自然公園に着くと笑顔が出る。
管理棟脇にサクラので覆われた日影の道がある。前は谷になっていて、風が良く抜ける。冬場は寒さの厳しい場所だが、夏の爽やかさはたとえようないくらい素晴らしい。
そこに母の車椅子を止め冷たい緑茶を飲む。煎茶を粉末にして冷水に溶いたものだが、これが実に美味い。私はどっかりと地面に腰を下ろし、緑茶を飲みながらぼーっとしている。汗ばんだ肌を風が冷やし、何とも言えない幸せを感じる。この爽やかさは、人工的な冷房では決して得られないものだ。

6月25日

死者の書は古代エジプトとチベットにある。
チベットの死者の書は、死後の世界はどのようなものか、死者がどのような霊的現象に出会い、成仏できるのか、詳細に語ってある。ラマ僧は臨終の枕元で、その死者の書を読んで聞かせる。すると、その人は心安らかに逝く事が出来るのである。

日本にも同じ習慣はあって、昔の人々は現代人より遙かに豊かな死を迎えることが出来た。引導を渡すと言うが、それは死者を穏やかに死後の世界に導く意味である。
昔は死者だけでなく、看取り残される家族への地域のケアも充実していた。
大正から昭和にかけて、母は肉親や知人の臨終に何度も立ち会った。死は町内での大切な大行事で、危ないと分かると、町内の大勢が駆けつけ、家族は何もしなくても、臨終から葬式、その後のことまで、事細かに配慮してもらえた。

祖父の臨終の時、家族は何もすることがなかったので、祖母はのんびりお風呂に入っていた。祖父の枕元にいた母達が、もう危ないから早くお風呂から出るようにせかすと、
「死ぬのをちょっと待って貰らっといて。」と無理なことを言った。
母に聞いた話だが、変わり者の祖母なら言いそうなことである。
住んでいたのは久留米で、電気式の最新式の火葬場ができたばかりだったと母は記憶している。当時は、新しいことは何でも電気式と言っていたので、多分、釜の送風機が電動に変わったと言う意味だと思う。
祖父の火葬が終わるまで、遊び仲間は花札に興じていた。生き生きとした生活感と厳粛な死が矛盾なく同居していた人間的な時代で、私はそれを不謹慎だとは思わない。

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