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2006年11月12日 (日)

真夏の墓参   2004年7月15日

お昼過ぎ、雷鳴が聞こえたので、玄関から大宮方面を見ると幅3キロ程の雨足が見えた。雲の流れを見上げると、こちらへやって来そうだ。仕事に戻るとすぐに、大きな雷鳴がした。近くに落雷したようだ。同時に、通路のアルミ手摺りをバタバタと激しく雨が打ち付けた。慌てて、ベランダの洗濯物を取り込む。しかし、雨は10分程で小降りになり止んでしまった。

雨上がりの空を見ようと玄関前へ出ると、下の新河岸川を曳き船2隻が大きな資材船を曳いて行く。急いでカメラを持ち出し、数枚撮って写真日記に掲載した。

7月17日

甥の命日なので、上野寛永寺の墓地へ母を連れて行った。
家を10時に出て、途中、駅前のイトーヨーカ堂でミネラルウォーターの大瓶を買った。墓守に心付けを渡して水を用意して貰うのが厭なので、例年そうしている。
寛永寺のある鶯谷駅に車椅子用トイレはない。前もってイトーヨーカ堂の車椅子用トイレで母に用を足させた。

赤羽から京浜東北線快速、田端で山手線に乗り換える。母は久しぶりの山の手線に喜んでいた。
鴬谷駅のホームからエレベーターで陸橋上へ出た。それから坂を上り、右手へ国立博物館裏の深い木立の蝉時雨の中を少し行くと墓地である。
真夏の墓地は四方の木立から蝉時雨が聞こえるだけで人影はなかった。
敷石に車輪を取られながら、甥の墓へ着くと、すでに花が上がっていた。甥の母親である姉が仕事前に詣ったのだろう。冷たいミネラルウォーターを墓石にたっぷりとかけ、母と墓に手を合わせた。母は孫の墓にお参りできるとは思ってもいなかったと、喜んでいた。

帰りは上野駅へ向かう。博物館裏の道を行くと博物館の正門へ出た。博物館で母に食事をさせたかったが、改装中で入ることはできなかった。
博物館前には長蛇の列が続いていた。何か催し物でもと思ったが、並んでいる人達の雰囲気が違う。すぐに、無料の昼食を待つ列だと分かった。以前、テレビで半日並んで昼食にありつき、更に半日並んで夕食にありつくと、ホームレスが話していたことを思い出した。景気が回復した今なら、安い仕事でも1日働けば5千円程にはなる。一人なら、それで1週間は食いつなげる。並んでいる人は、どう見ても40代の働き盛りが多いのに、何故、自助努力をしないのか、釈然としない。

上野公園の噴水前から音楽ホールに入り、冷房のきいた館内で一休みして母に持参のお茶を飲ませた。
上野駅の改札を入るとすぐにエレベーターがあり、快適に赤羽まで帰ることができた。車内も冷房がきいていて、いつもの自然公園の散歩より体は楽であった。

イトーヨーカ堂の地下で夕張メロンのシュークリームを食べた。それから、赤羽商店街の八百八で黄色いスイカを買った。赤いスイカと味が違うわけはないが、黄色いスイカを見ると買わずにはいられない。大玉4分の1で500円であった。

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