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2006年11月 9日 (木)

カボチャのお礼  2004年7月3日

蒸し暑いが厚手の長袖にした。
両腕にSPF50の日焼けどめを使っているが、最近、発疹が出来た。成分表示がないのではっきりは分からないが、紫外線吸収剤が使用されているのかもしれない。
厚手の長袖は暑い。母の車椅子を押していると、暑さで頭がクラクラする。次からは薄手の長袖ワイシャツにして、腕には赤ちゃん用のSPF30の日焼けどめを塗ることにした。赤ちゃん用は、紫外線吸収剤不使用と明記してあるので、大丈夫である。

仕事は厳しい。しかしその都度、危機を乗り切っているので、知人達は悪運が強いと言う。本当に悪運が強いのなら、危機に陥る前に避けているはずだと私は反論している。

仕事が大変な時は順調な人が羨ましくなる。同様に、健康を損なっている時は、健康な人ばかり目に入って羨ましくなる。失恋した時は、仲のいい男女が気になる。コンテストに失敗した時は、スイスイ難関を突破していく者が羨ましくなる。人はいつも何かを羨む存在のようだ。

私は成功ばかり願っているが、仮に成功を手に入れたら、次は健康を悩み始めると思う。健康に問題がなければ、災害とか、孤独とか、次々と悩みを見いだすだろう。
そんなことをくだくだ悩んでいたら、ふいに、子どもの頃可愛がってくれた隣家のお貞さんのことを思い出した。

彼女は当時60代だったと思う。家業は漁師で、裏で小さな畑を耕したり、天秤棒で魚を担って農村部まで売りに行っていた。勤勉で寡黙で、母は今でも、あれ程、優しく強い人はいないと話す。

その頃は敗戦直後の食糧難時代で、その小さな漁師町にも食料を求める人達が町からやって来た。
ある日、お貞さんが作っていたカボチャが採られ、代わりにお金が結びつけられていた。お貞さんは、お金なんか気にしないで、黙って持って行けば良いのに、と持って行った人を同情していた。
後年、お貞さんに体の不自由な孫が生まれた。しかし、愚痴一つ言わず、いつも背負って可愛がっていた。
今、思うと、お貞さんの運命を決然と受け止める姿勢が眩しく見える。当時はどの土地にも、そのような無名の老人が沢山いた。

7月5日

昔、尻取り料理と言うのを考えた。
初日はシンプルなシチュー。次の日は残ったシチューにトマトピューレを加えてボルシチ。最後の日はカレー粉を加えてカレー、と変化させる料理で、途中で食材を適当に加えて更に変化させる。ポイントは最後にカレーにする点だ。カレーは個性の強い料理で、そこから先は絶対に変化できない。

その頃、新宿中村屋と関わりがあり、中村屋から中華を始めたので試して欲しいと頼まれた。その時丁度、私が幹事当番の同窓会があり中村屋に決めて中華料理を頼んだ。
当日、同窓生の評判は良かった。しかし、気になったのは、どの料理にも微かにカレーの香りがしたことだ。新宿中村屋の名物は本格的なインドカレーだ。どうやら厨房に染み付いたカレーの香りが中華に移ったようだ。今も、あのカレー粉の個性の強さに驚いている。

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