ほろ苦い、祝いの花輪 2004年8月31日
オリンピックの惰性で深夜放送を見ているが、作ったドラマより、ただ競うだけのスポーツの方がずつと面白いことに気付いた。そんな夜更かし生活の所為で、今朝は眠い目をこすりながら通所リハビリに母を送った。
台風余波で異常に蒸し暑い。先日まで涼しかっただけに、耐え難い不快さだ。帰宅するとすぐにシャワーを浴びた。さっぱりして横になるとすぐに寝入った。小一時間ほど経た10時頃、母が呼んだような気がして目覚めた。介護生活の習性である。日常的に、母の声で起こされているので、その習性はなかなか抜けない。
目覚めた自室はほの暗く静かであった。母が逝って一人になれば、毎日がこのような生活になるのだろう。そのまま起きて洗濯や片づけを済ませた。お昼は昨日の残りのピザを焼き、冷蔵庫で冷やした味噌汁に生ハム入の炒り卵を添えた。
テレビは笑っていいともをやっていた。ゲストの柴俊夫の祝いの花は十分に並んでいる。他人のことなのにいつも花の数が気になる。
以前、元体操選手のタレントがゲストの時は、花輪が母親からの一つだけで痛ましかった。中川家の弟の時も花輪の出所は実質1人だけで寂しかった。中川家はお笑い芸人なのに付き合いが悪いようだ。
花輪にはほろ苦い記憶が伴う。私はつき合いが良い方なので、作品展の時はあちこちから貰っていた。貰えばお返しがある。景気が良い時のお返しは何でもないが、悪い時は辛くなる。だから近年は作品展の案内状に「会場の都合により花は固辞しています」と書き添えることにしている。そのおかげで花ではなく御祝儀を貰えるようになった。これは思いがけない嬉しい効能だ。しかし、その作品展も母が倒れてしまったので、2年前の大宮にあるクエンチを最後にやっていない。
企画展の依頼は毎年2件ほどあるが、総て断っている。私クラスの企画展は額が自己負担になるので、それもきつい。
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