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2006年11月25日 (土)

静かに老いる人、死に急ぐ人、人生様々。2004年9月13日

赤羽自然観察公園の椎の木陰で、車椅子の母は気持ちよさそうに居眠りしていた。
そんな母を眺めていると、山梨の長寿村についての記述を思い出す。
戦前のことだが、その村では90代の長寿の老人が普通であった。しかも、老人たちはとても元気で、死の寸前まで野良に出て、最期は畑の傍らで「ああ、眠い・・・」と、眠ったままに逝った。当時、その村には寝たっきり老人は皆無だった。
しかし今は、長寿村とは言えない。粗食でよく体を動かしていた生活は、現代風の動物性脂肪の多い食事に、農作業は機械化されて体を使わないに変化した。その結果、若い者に成人病が急増し、老親が倒れた50代の息子の世話をするのが、ありふれた光景になってしまつた。
誰しも、生きている限り元気でありたい。
椎の木陰で爽やかな風を感じながら、「ああ眠い・・・」と逝くことができたら、最高の人生だが、現実には難しい。

母が休んでいる間、私は椎の枝を引き寄せて青い実を採った。緑の殻を割ると、艶やかな焦げ茶色に熟した実が入っていた。普通は自然に殻が割れ、地表に落ちたものを拾う。しかし、私が子供の頃は、未熟の実を生で食べていた。未熟の実は甘みがあってとても美味しかった。
椎の実を集めていると、「食べられますか。」と老夫婦が声をかけてきた。言葉に北国の訛りがある。椎は照葉樹林帯を代表する温帯の樹木で北国にはない。
「これは椎の実で煎って食べると美味しいですよ。」と話すと感心して、老夫婦も枝から集め始めた。

老夫婦は想像通り北国の人で、孫の結婚式に福島から上京してきた。公園近くの息子の家に泊まっているが、退屈しのぎに来園したようだ。見るからに実直に人生を重ねて来た夫婦で、小津監督「東京物語」見ているようだった。

9月15日

旧知のイラストレーターK氏の訃報が届いていた。
・・・ついては、10月10日に1日だけのK氏の回顧展をやります。」とある。

K氏はバブルの頃までは売れっ子で、広いベランダのある原宿のマンション暮らしだった。それから暫くして青山のパーティで再会した時は、長く仕事が途絶え作品も売れず、今は夜警で生活している、と青い顔をしていた。作品の制作は・・と聞くと疲れ果ててその気力がないと、更に悄然とした。神経もまいっているようで、絶えず顔面が痙攣するのが気になった。

直接会ったのはそれが最期だが、電話は時折あった。
4年前、いつも暗い話ばかりなので、
「落ち込み過ぎるとガンになりますよ。」と、冗談めかして言った。すると彼は、
「いや、本当にガンになってしまいました。」と、食道ガンで放射線と抗癌剤での治療中だと話した。愕然として慰める言葉もなく電話は終わった。

それから半年後、郷里の静岡に戻って元気に再起中です、と絵葉書が来た。電話をしてみると、実兄の所へ居候しているが、兄嫁に冷たくされていたたまれない、と話していた。
その頃、私はパソコンを始めたばかりだった。電話で話すのは辛いので、メールのやり取りをした。彼のメールの文面はいつも明るく前向きで、治療はうまくいっているように思えた。

年賀状のやり取りもしていたが、それが一昨年の正月で止まった。
不吉な予感がしたが、それ以後も、彼のホームページは健在だったので、それ以上の詮索は止めた。

今日届いた案内状には平成14年4月に死去とあった。
しかし、当の本人が死去しているのに、彼のページは今日も開き、御用の方はこちらへと、連絡先の電話番号まである。掲載されている明るい色使いの彼の作品を見ながら、私は言いようのない虚しさを覚えた。これは他人事ではなく、一歩間違えば私自身の姿だと思った。

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