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2006年11月 8日 (水)

夜景に翻る襤褸の旗   2004年6月17日

玄関ドアは朝から、新幹線のレールを30㎝程に切った鉄の塊をストッパーにして開いたままにしてある。おかげで風の抜けがよく、夜はTシャツ1枚では寒いくらいだ。レールは以前彫刻を制作していた時、金敷代わりに使ったものだ。

夜遅くなると玄関を閉める。その前に夜景を眺めるのが最近の習慣である。
ここへ引っ越してきた頃は、夜景を眺めていると寂しくなった。
その頃は母は元気で、仕事は順調、僅かだが蓄えもあった。ガールフレンドもいて恵まれていたのに、何故か虚しかった。
デート中でも、友人達と馬鹿騒ぎしている時でも、心の底は醒めていた。その寂しさが何だったのか判然としない。もしかすると、やっていたことが空虚だったからかもしれない。

上京したての昭和30年代、東京には心の豊かさが残っていた。下町では隣人は助け支え合っていたし、町には子ども達の楽しげな声が満ちていた。あの元気の良さはどこに消えてしまったのだろう。少子化と言っても繁華街へ行けば若者が溢れているのに、彼らの表情はどこか空虚だ。 
幸せは個人のものではなく、社会的なものだ。歴史のなかで培われた社会が健在であれば豊かな心が生まれる。
今日も赤羽自然観察公園で老人達に挨拶をし短い会話を交わした。この生活は心地良い。私はいつの間にか、老人の世界に安らぎを覚えるようになった。それは彼等の中に、昔の豊かな心が残っているからかもしれない。

6月19日

母が通所リハビリへ行っている間に、さいたま市郊外にあるグループホームへMさんを訪ねた。施設は宮原から大宮バイパスを横切り3キロ程行った所にある。周りは田園風景が広がり、田圃の稲は大きく成長していた。

Mさんとは41年間のつき合いである。今回は世話になったMさんのご主人の27回忌にちなんで訪ねた。Mさんは、ほんの少しの間だけ施設で過ごすだけだと信じている。しかし、預けた家族はそうは思っていない。

Mさんの部屋には仏壇も位牌も無いが、私は故人の思い出を話すことが供養だと思って訪ねた。
「ほら、お父さん、正喜さんが訪ねてくれたよ」と知人は自宅のある東京方面へ軽く手を合わしていた。私は辛くなって、中座して窓外を眺めた。それから、Mさんとしばらく世間話をして辞した。

帰りも歩いた。大宮バイパスの交差点で、大宮区に住む鋳金業の浜田氏に電話をすると、昼食に「どんべぇ」を食べている所だと彼は言った。彼は離婚して一人暮らしである。
日新にある画廊喫茶クエンチに寄ると伝えると、後で会いに行くと言っていた。クエンチは画廊を兼ねた喫茶室で、自然林に囲まれた瀟洒な山小屋風建物である。タイヤセンターから右折して、一本道を7,8分歩くと、クエンチに出た。
オーナーの安田氏夫妻と雑談をしていると、浜田氏が汗を拭き吹き現れた。暫く雑談した後、二人で、クエンチ敷地内のヤマモモの実やラズベリーをもいで食べた。懐かしい豊潤な香りが口中に広がった。

浜田氏は戸田へ行く用事があるからと私を車で送ると言ったが、固辞して日進駅から埼京線で帰った。住まいに着くとすぐに、母のデイサービスの送迎車が帰って来た。

母に夕食を食べさせてから、画材を買いに池袋へ出た。
十分な量の画材を買うといつもホッとする。ピカソは最初に絵が売れた時、一生分の絵の具を買ったと言うが、その気持ちはとても分かる。我が家にも、昔買った画用紙が山のように残っている。

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