昔の海辺の夏休み 2004年7月28日
好天になった。13階の住まいから見える夏雲が美しいので母の散歩前に写真を撮った。
しかし、赤羽自然観察公園に着くと、公園上に更に美しい夏空が広がり、ここが東京であることを忘れさせた。そして、九州日南で過ごした子供時代、入道雲を飽かず眺めていたことを思い出した。
小学校の夏休みには、毎朝、神社へ出かけて掃除をした。
と言っても、地面にゴミ等ないので、適当に箒目をつけ、後はみんなでチャンバラをして遊んだ。
その後、一旦家に戻って水着に着替え、歩いて10分ほどの海水浴場へ出かけた。
朝なぎの海で泳ぐのは爽快だった。潜ると、日の光が水底の砂地に網目模様を描き、魚が猛スピードで泳いで行くのが見えた。
海は長く浸かっていると体が冷えるので、唇が紫がかるのを目安に砂浜へ上がり、熱い砂浜で体を温めた。私たちは唇の色を「ツバがない」とか「ツバがある」と互いに眺めて、冷え具合を判断した。
お腹が空くと、腰の袋に入れた煎り空豆を食べた。空豆は潮水でふやけ、適度に塩味もついて美味かった。そうやって、お昼まで浜で過ごし、昼食時に帰宅した。
午後は海に入らず、夕飯まで友だちと走り回って過ごした。夕飯を終えるとラジオの連続ドラマを聞いた。その後は猛烈な眠気が襲い8時には寝ていた。
ラジオの連続ドラマは新諸国物語である。紅孔雀、笛吹童子、と夢中で聞いて、東映で中村錦之助を主役に映画化されたのを、隣の油津まで見に行った。
夕食後、夜釣りに出かけることもあった。途中の魚屋で小鰺を2,3匹貰って、切り身にして鰺を釣るのである。港の突堤から港内の静かな水面に釣り糸を垂らすと、明かりに集まる小鰺が面白いように釣れた。ただ、その時も眠いのが辛かった。子ども達はだれもが、8時を過ぎると起きていられなくなり、大人に引っ張られるように帰宅していた。
思い返すと、夏休みの宿題をした記憶がない。
宿題は8月の最後の2,3日で大慌てで片づけていた。今も仕事の締め切りは間際にまとめて頑張っている。その癖はその子供時代に出来たようだ。
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