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2006年11月19日 (日)

傷絆創膏と,駆け巡るスコールと,ガン検査の結果   2004年7月29日

今朝からの台風余波の雨で、赤羽自然観察公園の息絶え絶えだったタマアジサイが生き返った。しかし、予報ほどには雨は降らず、地面が僅かに湿った程度だ。

昨日、キャベツを刻んでいて指を切った。いつもは、基本通りネコの手でしっかり押さえて刻むのだが、キャベツの葉を浮かせて刻もうとして包丁が不安定になり、左手人差し指側面を削いでしまった。傷は直径5㎜程にえぐれて、出血がひどい。しかし、水仕事は休めないので、治療専用の接着剤で傷面を覆った。これはウーンとうなるほどしみる。しかし、乾燥すると透明に傷を覆って耐水性があり、いつものように水仕事ができた。

包丁での怪我は年に1度ほどする。昔、石鹸水で濁った洗い桶に包丁を浸けていたら、それをうっかり忘れ、石鹸水の中に勢い良く手を入れた瞬間に包丁でザックリと指を切ってしまった。以来、包丁を洗い桶の中に漬けることは厳禁にし、包丁は真っ先に洗うことにしている。
家事は危険な職場だ。回転が止まっていない脱水機に手を入れて大怪我したり、揚げ物での火傷は珍しくない。

明日は駒込病院に骨盤CTの結果を聞きに行く。高齢は良いもので、母は結果を気にしていない。もし、私の事だったら母のように平静ではいられない。

7月30日
今朝は7時に起床して、タクシーで9時に駒込病院へ着いた。
婦人科は空いていて、母は予約の9時半丁度に診察して貰えた。骨盤CTも他の血液検査の結果もさして問題はない。去年の弱った状態を思うと嘘のようである。
2度のガン手術の予後が良いのは、赤羽自然観察公園での散歩、楽天的な母の性格、ガンに効くサプリメントの服用、それらが免疫力を高め、転移をくい止めているのかもしれない。
しかし、駒込病院へ1日がかりで連れて行くと母は疲労困憊する。
担当のW医師に近所で見て貰うからと紹介状を頼んでみるた。医師は快く承諾したが、患者が離れるのは残念な様子も見えた。
初診の時、老人センターから紹介された医長は面倒な病状の母を若いW医師へ任せてしまった。しかしねそれが良くて、W医師は大変丁寧な外科治療をしてくれた。そんな経緯もあって、母は愛着のある患者だったのかもしれない。
別れ際、W医師は何度も「具合が悪い時はいつでも来て下さい」と母へ繰り返していた。

もう、駒込病院に行くことはないだろう。田端駅へ出る途中、赤紙仁王堂に参り、無事1年が過ぎたことを感謝した。仁王堂は白竜山東覚寺の一角にある。途中のコンビニで買ったアイスクリームを寺境内の仁王堂の影で母と食べた。東覚寺はこぢんまりしているが古い瀟洒なお寺である。見上げると、本堂の屋根の上に真っ白な積雲と澄み切った青空が見えて、清々しかった。

帰りの田端駅、若い駅員の対応はとても良かった。リフトで車椅子をホームへ下ろして貰い、京浜線下りを待つ間、駅員は話しかけた。母のガン治療のことを話すと、彼は去年お爺さんをガンで亡くしたと話した。彼は何度も、母に元気でいて下さいと励ましていた。

赤羽駅前の赤羽市場で昼食用にアナゴ寿司を買って帰った。母は美味しそうに食べた。私は久しぶりに気持ちのよい夏だと思った。

午後、荒川の向こうの地表をスコールが駆けて行くのが見えた。雨の幅は1キロくらいで、次々と訪れ、時折ベランダの手摺を激しく打って過ぎて行った。
以前、モンゴル民話の絵本の仕事をしていた時、監修のモンゴル人学者のバー・ボルドー氏が話していたことを思い出した。
夏の炎天下、馬で大草原を駆けている時、暑くなると雲の影を追って駆ける。草原は縦横に走り回れるので、何処までも雲の影にいることができる。
今日のスコールは、そのモンゴルらしい逸話を彷彿させた。

夕暮れから、川向こうの盆踊り会場の音頭が聞こえていたが、9時半に終わって静かになった。仕事部屋の窓から、遅くまで会場の提灯の明かりが見えた。

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