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2006年11月26日 (日)

桐ヶ丘都営団地の苦い栗    2004年9月26日

小雨の中、赤羽自然観察公園の田圃の稲刈りが始まった。
田圃脇に再建中の古民家の茅葺きは終わり、今日はボランティアによる壁塗りである。竹の格子に刻んだ藁を練り混んだ粘土を塗りつけるだけで、大変堅牢に仕上がる。子ども交えた壁塗りは楽しそうで、母を連れていなければ手伝いたいくらいだ。
ミニ田園風景の中に出現した茅葺き屋根は優しく圧倒的な存在感がある。既に塗り終えて乾いた壁の土色も美しい。その土地の素材と、その土地に相応しい建築法を縄文時代から営々として取捨選択しながら発達してきた機能美でもある。

帰る頃は小雨は止んで、薄日が射してきた。
桐ヶ丘都営団地に大きな栗の木がある。樹下の道路には栗のイガが無数に落ちているが、近所の住民に中味は拾われていて殻ばかりである。
しかし、道路脇のプレハブの平らな屋根には実の入ったイガが沢山落ちていた。私は手頃な竿を見つけて、屋根から落とし実を拾っていた。すると、そこに通りかかった70代の老人が「その栗は苦くて食えないよ。以前、拾って食ったけど、苦くて苦くて、捨てちまった。」と親切ごかしに言った。
「そうですか。私、苦いコーヒーやチョコレートが大好きだから、是非、苦い栗を食べてみたいわ。」と母が答えていたが、苦い栗がある訳がない。老人はとっさに屋根の栗を拾わせない算段を思いついたのだろう。しかし母の返事を聞いて効果がないと知ると、老人は憮然と去っていった。
「珍しい人がいるものね。普通だったら、その栗は美味しいですよ。沢山拾えて良かったですね、と言うものなのに。」
母は老人の言葉に驚いていた。しかし私は、知人の隣家の人がそのような意地悪な人で、似た話をしばしば聞いていたので驚かなかった。老人の言葉の訛りはその意地悪な隣人にとても似ていた。多分、同じ地方の出身の人かもしれない。

帰宅して、栗は煎って食べたが、市販の栗より甘く美味しかった。母は食べながら、また苦い栗を拾いに行こうと話していた。

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