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2006年11月27日 (月)

秋冷え  2004年9月27日

激しい雨の中、散歩へ出た。母の車椅子は雨具で完全に覆っているが、フードの防水が弱り、頭に少し染みると母は気にしていた。帰宅すると、母は疲れたと言って、いつものシャワーを浴びずに横になった。

昼食後は少し元気になったようで椅子に腰かけてテレビを見ている。しかし、夕刻になって熱っぽいのか自分から熱を測っていた。37度、大したことはないが、老人の場合は甘く思ってはいけない。母は寝相が悪いので、寝冷えをしたのだろう。

明日は通所リハビリなので、施設へ休むと電話を入れておいた。葛根湯を飲ませたので、明日は元気を取り戻すと思う。人生、平坦に過ごすことは難しい。一難去って又一難。死なない限りこの連鎖から解放されることはない。

9月28日

早めに手を打ったので、今朝の母は元気を回復していた。しかし、通所リハビリがなくなったので時間が空いた。それで、午前9時、駒込病院からの紹介状を持って東京北社会保険病院眼科へ行った。眼科は混んでいたが、小一時間の待ちで診察を受けられた。母は緑内症で点眼薬を常用している。診察の結果は悪化はなく一安心である。医師も優しい親切な人で更に安心した。

明日は耳鼻科にかかる。母は最近鼻づまりがあって、点鼻薬は欠かせない。それは抗アレルギー薬で、一瞬は効くが習慣性があり、連用は避けたい。しかし、予約を取った医師は週一回の派遣医で、信頼できるか不安である。

母の通院に付き添っていて学んだことは、病院の医師を過信しないほうが良いということだ。たとえ親切で優しい医師であっても、診断や治療に疑念が生じた時は躊躇無く疑ったが良い。

午後4時から「東京ラブストーリー」の再放送をしていた。
改めて、今も活躍している女優が少ないことに驚く。当時の女性の肩幅がむやみと広いファッションや弁当箱みたいにでかい携帯電話が吹き出す程に可笑しい。
バブルの頃、不動産屋の若い手代が青山の街角で、ブランドファッションに身を固め、これ見よがしに弁当箱大の携帯をかけていた姿を思い出す。今思い返せば可笑しい風景だが、当時の私は羨望の眼で彼等を眺めていた。

あの頃私は絵描きに転身してまもなくで、辛い思いをしていると思っていたが、今の私と比べると遙かに贅沢に遊んでいた。あの時代は気質もファッションも軽薄で厭な時代だった。
今、中国はバブル真っ盛りであるが、上海辺りのリッチな若者達は20年後、どのように今の時代を振り返るのだろうか。

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