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2006年12月 3日 (日)

絵描きの生活とヘクソカズラ 2004年11月15日

冷たい雨の中、自然公園へ行った。静かで、濡れた紅葉が美しい。母が拾ってくれと言うので、ニシキギの深紅の落ち葉を集めた。今年の九州の紅葉は台風で痛めつけられて良くない、と兄から手紙が来ていた。母は東京の美しいニシキギの葉を兄へ見せたいようだ。

T君に絵本英訳を頼んであった。T君は英国留学経験がある。彼から英訳ができたと連絡があったので、夕刻に池袋で会った。
彼は医家一族の家庭で育ち裕福で、私が困ると何かと助けてくれる。去年、母ががん手術で入院していた時、私の窮状を察して、黙って過分の額で絵を買ってくれた。絵描きは大変な仕事であるが、そのような世間の暖かさで何とか作家活動が続けられている。

池袋西口でトンカツを肴に二人で生ビールを飲んだ。久しぶりなので、アルコールの回りが早い。割り勘でと言ったがT君は奢ってくれた。有り難い。私は母のことがあるので、10時に別れた。

北赤羽駅前のスーパーライフは12時まで開いている。帰りに寄って、明日の食材を買った。12時まで店を開くようになって、近隣のコンビニが影響を受けている。よく利用していたセブンイレブンは繁盛していたのに、夏に突然閉店したまま後は入らない。

11月16日

赤羽自然観察公園では、秋の日射しを受けてヘクソカズラの実が琥珀玉のように輝いていた。夏の頃はピンクの花弁に深紅の花芯の可憐な花をつける。ヘクソカズラとは気の毒な命名である。
ヘクソカズラは植物図鑑によると仰け反るほどの悪臭がするとある。しかし、実際はそれほどではなく、執筆者が実際に嗅いでみたのか疑ってしまう。もしかすると自然公園の個体がとりわけ臭気が薄いのかもしれないが、たとえばドクダミの強い匂いと比べれば、植物の匂いをベースにややガスぽい臭気がするだけで、私はおとなしい匂いだと思っている。悪臭や異臭は硫化ガスや腐敗臭など危険を伴うものへの表現で、人を害さない植物や食物に使う表現ではない。

ヘクソカズラは昔の子どもはつみ取って肌にくっつけて遊んだらしい。その時の格好がもぐさに似ているので、ヤイトバナの別名がある。他に花を逆さに水面に浮かべて動き回るのを楽しんだり、先に倒れた方を負けとする遊びもあったようだ。

匂には常に偏見が伴う。それが食物とあると、更に偏見が強い。私の大好物のドリアンや、関西地方での納豆への偏見は異常である。不思議なことに、更に西日本の九州育ちの私は幼少の頃から納豆は好物であった。
どうやら、関西地方に穴が空いたように納豆への偏見が強いようだ。それでいて、ブルーチーズなみの臭気の鮒寿司が関西の食物であることは奇妙である。

私は悪臭と言われるウオッシュタイプのチーズやクサヤ等が大好きである。その所為か、美味しいものを匂いで悪く言われると義憤を感じる。可憐なヘクソカズラも悪く言われると腹が立つ。今、艶やかな茶色の実をつけているヘクソカズラはクリスマスのリースに加えるととてもいい。ちなみに枯れたヘクソカズラには匂いはない。

匂い繋がりで思い出したことだが、痔の座薬をリップクリーム代わりに使うとなかなか良いらしい。出口と入り口の違いだけで、機能も構造もよく似ている場所だから納得できる。成分も傷ついた肌を修復するもので、体内に入っても問題は生じない。唇の荒れやすい人は試すと良い。たちどころにすべすべに治るらしい。

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