父の遺伝でヘルニアになるのを恐れている 2004年11月25日
私と同年輩の詩人が父親と会話した記憶がないと書いていた。
私はやはりそうかと思った。我々以上の世代では父親は煩い存在で、男の子は出来る限り避けていた。父が何か話す時は、説教するか、命じるか、いつも一方的で、会話にはほど遠いものだった。だから、私達は出張等で父が長期間留守になると飛び上がって喜んでいた。
ドラマで父親が忙しくて遊んでくれないとか、学校参観に来てくれないと男の子が拗ねてぐれたりする筋立てがある。私はそれくらいのことで何故腹を立てるのか今だに理解できない。私の世代の男の子は、父親が担任教師と会わないように工夫したものだ。
その小うるさい父は60代にヘルニアの手術をした。場所はへその近くで化繊のメッシュで蓋をした。体質は似るものなので私もヘルニアを警戒している。私は鼠径あたりが弱いようで眺めると、右鼠径部が僅かに盛り上がっている。統計では右側が多いとある。穴が広がり腸が出てくるまではないが、僅かに腹膜が出ている可能性はある。参考文献を読むと、その部位の筋肉が薄くなっていることが原因の一つとある。気休めだが、腹筋を始めた。
介護で一番大変なのは、介護する者が倒れることだ。だから、母が元気な内は治療を必要とする事態を招きたくない。
始め鼠径部に腫れを感じた時、悪性リンパ腫がちらりと頭をかすめたが、位置も感触もかなり違う。ヘルニアと気付いたのは、水平に寝ると平らに何もなくなり、立ち上がると僅かに膨らむからである。
鼠径ヘルニアの兆候を感じてから、インターネットで調べまくっている。私のは普通の人なら気づかない程度のごく初期のものだ。原因は体質が一番だが、毎日長時間続けている車椅子押しも影響したようだ。他に椅子にかけず、中腰や膝立ちでパソコンをやっていたのも、良くない。それで、今は椅子に腰掛けてパソコンをやっている。
もし母の存命中にヘルニアが悪化して、手術が必要になるのは大変である。手術は簡単で、局部麻酔で日帰りが出来るが、1ヶ月は車椅子を押すのを禁じられる。母の体調は毎日のリハビリで維持していることを思うと、おいそれと手術は出来ない。
進行を遅らせる器具にヘルニアバンドがある。それは時代がかっていて、緊縛ショーや拷問に使われそうなものだ。寺山修司の「天井桟敷」の衣装でそのようなものを見たことがある。デザインは皮と金属を組み合わせた無骨なもので、とても真面目に使う気になれない。
私のヘルニアの位置は盲腸の少し下で、今の段階なら軽く圧迫を加えておくだけで、腫れは防止できそうだ。何か工夫して、ゆとりが出来るまで、進行を遅らせようと思う。
今年は知っている人が多く死んだ。
母は肝臓ガン手術から生き残ったが、時折微熱を出す。もしかするとガン再発の兆候かもしれない。
自然公園で母が歩いている間、私は立ち止まってドングリの幼木を眺める。私が平均的に生きるなら、見上げる程大きくなったそのドングリを見ることができるだろう。しかし、それが幸せなのかどうかは分からない。
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