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2006年12月12日 (火)

日溜まりに繰り返される人生     2005年1月14日

散歩の出かけ忘れ物をしたので、車椅子の母を日溜まりに置いて引き返した。
10分ほどして戻ると、老人達が母を囲んで立ち話をしていた。皆母の旧知で、この地区が農村であった頃からの在の人だ。楽しそうに話しているので、私は遠くから眺めていた。この光景はのどかで心が和む。しかし、5,6年もすると、その多くの老人が逝ってしまう。

緑道公園では保母さんに引率された年少組の園児達が遊んでいた。
3,4歳でまだ走るのはおぼつかない。帽子が前に落ちて目隠しされたまま走り回っている女の子に「見えなくて大変、大変、」と保母さんが駆け寄って帽子を直した。
足元の鋪道では、小さな男の子がしゃがんで落ちていた吸い殻で遊んでいる。
「ダメダメ」と母が注意するとニッコリ笑って灰皿の方へ持って行き捨てた。母が誉めると、男の子は嬉しそうに何か喋りながら花壇を指差した。言葉の意味は分からないが、花壇の葉牡丹が綺麗と言っているようだ。

それらの一連の光景を眺めていると、何故か胸の奥がジーンと熱くなった。それは説明しようのない和やかな感覚だ。平凡とか静けさとか、若い頃は気にも留めなかったことに、最近鋭敏に反応する。やはり老いたようだ。

緑道公園では梅が5分咲きだった。自然公園ではウグイスカグラが下膨れの小鳥が羽を広げたようなピンクの可憐な花をつけていた。旧暦で今日は12月5日。10日後に赤穂浪士の吉良邸討ち入りがある。旧暦は現実的に出来ていて、2月始めの旧元旦は新春にふさわしい。

赤羽自然観察公園の、いつもの日溜まりに私は腰を下ろして休憩した。
母は持参のお茶を飲む。昨夜は3時まで仕事をしていて、暖かい日射しに眠気が襲ってくる。ススキの原の向こうの丘に、冬枯れの林に囲まれた炊事棟の屋根が黒く光って見える。その上に冬の太陽があり、逆光のシルエットは遠目には古い建物のように見える。その光景を見ると、私はいつも子どもの頃の造り酒屋の屋根を思い出す。私の育った漁師町には2軒の焼酎醸造所があった。酒蔵の壁も柱も梁も真っ黒の埃のような黒麹菌に覆われて、独特の香りが満ちていた。それは古い写真のような記憶で、屋根の更に向こうからは微かに潮騒の音が聞こえていた。

最近、子供の頃の記憶が絶えず蘇る。
母が、毎日のように子どもの頃育った久留米のことを話すが、私も似てきたのかもしれない。遠い記憶は、懐かしいとか切ないとかとは違い、不思議な平和に満たされていて、思い返すのは心地よい。

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