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2006年12月21日 (木)

もの持ちの不幸  2005年2月24日

1週間前に、大きな水菜を僅か200円で買った。
一度では食べきれないので、段ボールに入れベランダに置いた。それから毎日、ハサミで必要な量を刈って食べている。時折、水をかけるので、まだとても元気で瑞々しい。作柄によっては筋っぽいことがあるが、今年の水菜は柔らかく美味い。味噌汁の具、炒め物、と重宝している。
冬場の野菜はほうれん草の縮みも美味い。寒気の厳しい中、チリチリの葉を地を這うように広げたもので、柔らかく、濃厚な旨味がある。

昨日は春霞が出るほどに暖かかったのに、今日はどんよりとして冷たい風が吹いていた。赤羽自然観察公園手前の交差点で、公園から帰る顔馴染みの老人が見えた。その70歳半ばの老人は、最近暫く公園行きを休んでいた。
老人は交差点の向こうで気がついて立ち止まった。そして、帽子を取って母に丁寧に挨拶した。昔風の律儀な人である。それから老人は私達とは反対方向の一本道をゆっくりと去っていった。大柄な人だが、心なし後ろ姿が縮んだように見えた。

去年の猛暑は激烈で、顔馴染みの老人達の殆どが公園行きを諦めた。そして、秋になっても殆どが顔を見せず、そのまま二度と再会しなかった。
顔馴染みが去っていくのは寂しい。しかし、入れ替わるように新顔の老人が増えた。皆一人で来て、黙々と歩き体操をする。彼らが今年の夏に挫折しないことを願っている。
後10年もすれば、公園の木々は生長して木陰を作り、散歩は楽になる。しかし、母を含め、それを見ることができる老人は殆どいない。

公園からの帰り道、車椅子の母は昨夜見た水上勉の出ていた番組のことを話した。
「水上勉は晩年死を恐れていたようだけど、私は全然平気、・・・」と言った内容だった。
「彼は作家として成功し、生活の不安が無かったから、死が怖かったのだろう。」と私は答えた。生活に追われていると生死のことは眼中からなくなる。
むしろ、生きていることに疲れて、生きていることが重要でなく思えて来る。だが、成功した人は一日でも長く成功の果実を味わいたいのだろう。

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