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2006年12月15日 (金)

季節の風習は一人になっても止めないことにした  2005年2月2日

散歩の出かけに、昨日行った眼科の処方を訂正して貰うため東京北社会保険病院へ寄った。母は緑内障の治療中だが、点眼薬のおかげで眼圧も安定して、視野の欠損はあまりない。しかし、点眼薬の一つが処方から抜けていた。

担当医師に気を使いながら新薬の追加を頼むと、意外に丁寧に対応してもらえた。同じ事を、今までかかっていた駒込病院等で行うと、1日がかりで相当の負担になる。年寄のかかる病院は近いほど良いことを確信した。

赤羽自然観察公園に移築中の民家は敷地の整備中で日に日に綺麗になっていく。
民家のすぐ下には田圃と小川とため池。水場にはカワセミがやって来るので、見物客が毎日大勢やって来る。完成すればますます増えることだろう。

民家の茅葺きは、風雪に晒されて落ち着いた色合いになった。
しかし、茅葺きは適度にいぶさないと虫や野ネズミにやられてすぐにボロボロになってしまう。それで最近はトラックの荷台に炉を積んで、木材の煙をダクトを使って屋根裏に送り込み、いぶす仕事を請け負う業者がいる。何でも、1日に20万程稼げるらしい。なかなか着眼点の良い商売である。

2月3日
今日は節分で初午。
9時半に家を出て、母を王子稲荷へ連れて行った。
南北線の赤羽岩渕駅は久しぶりである。地上からエレベーター、次は駅員にエスカレーターを操作して貰って改札へ、更にエレベーターへ乗ってホーム。一見複雑だが、実際はスムースに車椅子はホームへ出ることが出来た。三つ目の王子駅では駅員の介助なしでエレベーターを乗り継いで地上へ出た。

風もなく良い天気で人出は多い。道の両側に並ぶ出店を見て、小さな子ども達がはしゃぐのが可愛い。脇道の急坂を車椅子を押し上げて本殿へ直行した。母を邪魔にならない日溜まりに置いて、私だけお参りした。本殿の次は、山の急斜面にある小さな祠を一つ一つお参りした。これはもう何十年も続けている年中行事で、私のような不安定な仕事をしていると、自然に神頼みしてしまう。

母は楽しそうに参詣客の人波を眺めながら待っていた。
帰路、今年も無事にお参りできたことが嬉しいと何度も言った。
12時過ぎに赤羽に着いた。商店街で昼食の買い物をして、緑道公園で持参していたお茶を飲んだ。目の前に顔馴染みの三毛猫がのんびり昼寝をしている。日射しに照らされた木々の静かな佇まいは既に春の気配を感じる。

昼食後、くもん出版から詩につけた絵の初校が届いた。色校をして画像に朱を入れ、メール添付で送った。昔なら、半日がかりで出向いて色校をしたものだが、今はメールで済むので楽である。

仕事をしていると、ピンボーンと呼び鈴が鳴ったような気がした。テレビ番組中の音なのか、本物なのか判然としない。玄関へ行き覗き穴を覗いたが人影はない。ただ魚眼レンズの向こうには夕暮れの風景が見えた。玄関を開くと静かな美しい夕景が広がってた。

日が暮れる前に、形ばかりの豆まきをした。それから、太巻きの海苔巻きを、母と吉方の西南西を向いて丸かじりした。それから、ヒイラギに鰯の頭を刺して玄関等に下げ、厄よけの豆殻を大鍋の中で燃した。明かりを消した夕暮れの光の中で、赤い炎を上げながらパチパチとはぜる音がとても懐かしく感じた。

このような年中行事は、私一人になっても続けて行こうと思っている。日常を変えないことがとても大切なことだと思うようになった。

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