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2006年12月29日 (金)

訃報様々。2005年3月23日

今日は雨だった。彼岸は過ぎたが、緑道公園脇の墓地に墓参りが多い。墓石の間を、黒い大人の傘について水色の小さな子供の傘がピョンピョンついて行くのが可愛い。

毎日、死亡記事を読む。今日は丹下健三が91歳で死んだとあった。一世を風靡した建築家だが、死ねば終わりである。死ぬ本人にとっては、総ての栄光は意味を無くす。
私は最近、長生きしたいと思わなくなった。母より先に死ぬ訳にはいかないが、母が逝ったら暫く自由を楽しんで、後は時の流れに身を任せることにする。

3月24日

辛夷が桜に先駆けて開き始めた。青空をバックに咲く辛夷は清楚で心が洗われる。
赤羽自然観察公園には新年長組の幼稚園児が大勢来ていた。母が歩いている間、私は母の車椅子に乗って追いかける。
年長組の子ども達が車椅子の私に「どうしたの」と心配そうに聞く。
「足が痛いの」と答えると心底気の毒そうな顔をする。その無邪気な表情がとても可愛い。

帰りは赤羽台団地の商店街を通った。団地の小学校は去年の新入学が僅か3名で、今年限りで廃校になった。この団地も老齢化が進み、商店街の殆どはシャッターが降りたままだ。昔、母は毎日ここへ買い物に来ていたので、通る都度、賑わっていた昔話をする。

昔、商店街に若い者を使って繁盛していた魚屋があった。
秋口、私が店の前を通りかかると、目の前で、店の二代目が地面に音をたてて倒れた。体格の良い威丈夫で病気とは無縁に見えていたが、脳出血で即死に近かった。

二代目には弟が二人いて、兄に代わって店を継いで切り盛りしていた。しかし、その弟二人も数年の内に同じように急死してしまつた。
その後は、引退していた初代夫婦が復帰したが、その初代もすぐに死んだ。
残されたお婆さんはとても強い人で一人で店を切り盛りしていた。しかし時折、母におばあさんは「どうして、こんなに不幸が続くのか」と嘆いていた。
シャッター通りを行きながら、「虚しいね」と母は呟いた。

最近母は大変元気だが、食事の量は減った。3年前の手術前と比べると半分に近い。
昔、即身仏になった坊さんは、五穀断ち、十穀断ち、断食と進んで往生した。断食すると死への苦痛が薄れるらしい。母は断食をしている訳ではないが、自然の摂理で食事量が減って行くものかもしれない。

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