昭和23年の赤羽の航空写真 2004年11月7日
国土地理院の地図検索で、昭和23年に米軍が空撮した赤羽周辺の一万分の一写真を閲覧しプリントした。
散歩をしながら、プリントと現在を比較しながら歩いた。
その頃は、我が家周辺は工場が点在している田畑である。顔見知りのIさん夫妻に航空写真を見せると、60年近く途絶えていた記憶が蘇ったようだ。
写真の陸軍工廠への引き込み線を指で辿りながら、
「西が丘にバタバタ停車場があって、汽笛が鳴ると、やっと寝かしつけた娘が起き出して、困りました。」と能弁に語り始めた。私が持っている昭和30年刊の区分地図には引き込み線が載っているので、その頃までは機能していたようだ。
その引き込み線は今の赤羽台下から赤羽自然観察公園脇を通って西が丘サッカー場辺りへ伸びていた。
私が赤羽へ引っ越して来た昭和48年頃はその引き込み線は残っていた。その廃線は子供たちの格好の遊び場で、いつも大勢の子供たちが走り回っていた。
その後、線路は撤去されたが、10年前まで赤羽自然観察公園入り口近くに10メートル程レールが残っていた。アスファルトの道を斜めに横切って空き地の草むらに消えるレールは不思議な眺めで印象深い。今の緑道公園はその引き込み線跡を整備して作られている。
当時、桐ヶ丘団地は一面の畑地で各所に沢山桐が生えていた。近所に戦前から住んでいるお婆さんに写真を見せると、
「終戦直後、桐を近所のおじさんが勝手に切り出して、下駄を作っては売って生活していたんですよ。」と楽しそうに話した。桐は今も沢山の残っていて桐ヶ丘の地名になっている。
他に、桑畑も多く、その生き残りが今は巨木に成長して、夏には沢山の実をつける。
国土地理院のサイトを開いたのは、金曜深夜のタモリクラブで面白いと言っていたからだ。その時、すぐにアクセスしようとしたが、既に殺到していて、5分以上読み込みをしていた。
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