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2006年12月 4日 (月)

へこたれの死の覚悟    2004年11月21日

昼食の後、絵本の原稿に手を入れ始めたら、止められず、そのまま夕食まで続けてしまった。
夕食後、4チャンネル鉄腕ダッシュの粟ヒエ作りを見た。粟ヒエは縄文弥生時代から連綿と日本人の食生活を支えていた・・・のナレーションを聞いているうちに、私は寝入ってしまった。

短い眠りの間、夢の中に父が出てきた。
父は23年前に80歳で死んでいる。目覚めた後、日頃、父のことはまったく思い出さないのに夢に出て来たのことが不思議だった。

夢の中で、父は山あいの日溜まりで、美しい秋景色を眺めていた。
「なんだ、生きていたのか」と父に話しかけると、父は照れくさそうに笑った。
目覚めてから、母に父の夢を見たと話すと、
「元気だったの。」と母は馬鹿なことを聞いた。

父の夢を見たのは前日、石原慎太郎原作の「弟」を見た所為かもしれない。
父は石原兄弟の父親とは正反対の男である。女々しくて、事業欲は強いが詰めが甘く毎回失敗して莫大な借金を作った。
その後始末を血の滲む思いでしたのは母と私である。だから、父について良いことは思い浮かばない。父の良い点を強いて探すと画才があったことくらいだ。画才については母もあるが、父が色感造形共に繊細なのに対して、母は大胆奇抜である。
私が今の職業に才能を発揮できるのは、半分は父の血のおかげだと思うようになった。だから、最近は父のことを悪く言わない。

父は郷里九州の方言でへこたれ--臆病者--であった。死への恐怖心は人一倍強く、風邪をひき38度の熱が出ただけで、入院させろと大騒ぎしていた。その父が最期は3ヶ月近く寝込んであっさり死んでしまった。
父の病が重いと知った時、入院させろと大騒ぎするだろうと私は思った。しかし、父は黙って寝ていた。若かった私は、静かに寝ている父に安堵していた。
治療は懇意にしている近所の女医さんが往診してくれた。
「入院させれば数ヶ月は命が延びますが、薦められません。」と、女医さんは話した。

へこたれの父が死の覚悟など出来るわけがない、と思っていたので、静かな父の姿が不思議だった。
寝込んでから2ヶ月を過ぎた辺りから父は昏睡状態になり、意識が戻ることなく死んだ。
最期の脈を取ったのは私である。深夜、脈が途絶えた後、朝を待ち、女医さんを呼んで死亡診断書を書いて貰った。

死んだ6月1日の朝は晴天で風が強かった。葬儀屋がこんな天気の日はよく人が死ぬと話していたのを、印象深く覚えている。

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