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2006年12月13日 (水)

老いとは小さくなって行くもの 2005年1月23日

年末から蓄積していた疲労がようやく和らいだような気がする。
しかし、健康感はない。私は胃腸は丈夫で意識すること等まるでなかったのだが、最近、胸焼けや上腹部に圧迫感を感じたりする。もしかして、重大な病気、たとえばガンの予兆ではと心配したりする。多分、胃液が逆流して食道に炎症の起こる逆流性食道炎だと推測している。対策として、前かがみになって仕事するのを避け、寝る時は上半身を少し高くしている。

いずれにしても、体のそこかしこがおかしくなる年になったということだ。もっともっと多くの厄介な疾患や不自由さをこれから受け入れる覚悟をしなくてはと思った。

母はせき止がよく効いて、深夜の咳は治まった。しかし、風邪っ気はなかなか抜けない。このところ体力が弱り、自然公園で歩くのは疲れるようだ。
考えてみれば、人は日に日に弱っていくのが当たり前で、現状維持がいつまでも出来ると錯覚していた自分の考えは甘いと思った。

昨日、プロスキーヤー三浦雄一郎の100歳の父上がスポーツ選手の表彰式で
「もっともっとスキー技術を研鑽して上を目指そうと思っています」と挨拶していた。100歳で現役とは立派すぎる。並はずれた特別な体力の持ち主なのだろう。

私見を言うと、体力自慢は好きではない。若くても病床に伏し死を待つだけの人もいる。人それぞれ、やもうえない理由で今の状態にいるのである。健康や長生きは感謝するもので、自慢するものではない。体の丈夫な人は往々にして、弱い人への配慮が欠けたりするようだ。

寒空の中、散歩から帰ると、姉が来て掃除をしていた。昼の支度をしている台所まで、姉と話す快活な母の声が聞こえた。一瞬、元気な頃の母の声と錯覚したが、姉が帰った後、ベットへ向かう母の後ろ姿は、また一段と小さくなっていた。人は年を重ねる毎に小さくなって、ある日スーッと消えていくものなのかもしれない。

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