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2006年12月14日 (木)

母は耳鼻科へ、私は歯科へ、  2005年1月25日

耳鼻科の予約を取って、お昼前に東京北社会保険病院へ母を連れて行った。
待合室の内装は綺麗で付き添いするのも気分が良い。その上すぐに診察が始まった。金持ちはいつもこのような快適な診察を、受けているのだろう。

結果は予想通り急性副鼻腔炎。慢性化すると厄介だが今なら簡単に治せる。
金曜日に家庭医から処方して貰った抗アレルギー剤を、服用してから母の疲労感が強くなったことを相談すると、すぐに止めるように言われた。
帰宅してすぐにその薬を検索すると、眠気だけでなく倦怠感が生じるとある。そう言えばその錠剤は真っ赤なホイルに包まれていた。昔から赤い包み紙は劇薬に決まっている。他にも不必要な薬は止めることにした。明日の朝、母の体調が快復していることを願う。
内心、疲労感は肝臓ガン再発の所為ではと気になる。

1月26日
朝から母は疲労感が強い。しかし、10時頃、みぞれがやむと母は出かけたいと言う。
無理をさせないつもりで、散歩に連れ出した。赤羽自然観察公園に着くと母は自分から歩くと言う。好きにさせると、いつもの体操をして50メートル程歩いた。先日の風邪以来、日に日に弱って来ていたので心配していたが、これで少し安心した。

帰り桐ヶ丘団地の商店街を通った。肉の安売り店へ寄ろうと思っていたら、閉店してコインランドリーに変わっていた。他の商店も殆どシャッターが降りている。いつも人が溢れていた元気な時代を知っているので、とても寂しい。

先週、プルーンを食べていたら種を思い切り噛んでしまった。種抜きなのに1個だけ種が抜けていなかったようだ。おかげで、インレーが入っている奥歯の縁が欠けてしまった。星占いでは、山羊座の私は最低の週になっている。午後遅く、その治療で上野歯科医院へ行った。幸いにも、すぐに紫外線硬化樹脂で補填でき助かった。

その上野歯科医院のある弁天通りもシャッターの閉まった店が多い。
帰り道、その中に一軒だけ小さな書店が頑張って開いていた。夕暮れに、白熱灯の光に照らされた平積みの雑誌の彩りが暖かく心に響く。最盛期の昭和30年代は百貨店や、八百屋、魚屋、荒物屋が軒を並べて赤羽一の繁華街だったのに昔日の面影はない。

歯の治療から帰宅すると、母は散歩へ出た効果で元気になっていた。老人は心の持ち方で体調が変化する。明日は普通に散歩へ出かけられそうだ。最近、いつもと変わらないことの素晴らしさを、しみじみと感じている。

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